今日の誕生日の花は・・ミカン
花言葉は・・・・・・・親愛
♪ミカンノのはながさぁ~いている。♪
♪思い出の岡、おかのみち。♪
太平洋オレンジベルトなる時の宮崎県黒木博知事の全県下に号令をかけ咤激励の農政があった。
貿易はお互いの国の利益の衝突。
国策の輸出品は工業製品ゆえ農業製品は逆に輸入製品。
機械ナイ人力時代ゆえ爺らはスコップを持ち1メートル四方のミカンを植えるアナを毎日掘った。
オレンジ輸入の国策で暴落で植えたミカンの木を爺らは切った。
植えるも切るも結構なるアルバイト料になった。
農家には借金が残った。
労働力の若者は都会に出た。
地方が果敢に取り組んでも国壁に押し潰される。
その勝ち得た国家体制が今日の日本である。
それでさえ勝ち組負け組が健在顕著化。
貧困の果ての問題とまでなっている。
展望ナイのは国家の議論機関である国会論議にその認識がないこと。
まだ国全体がテレビジョンもなく貧乏であったが
あの頃の地方は未来がありどこの地方をも輝いていた。
シャッター通りのまちまちが日々形成されていくワクワクする地方であった。
そのシャッター通りの扉はナント閉まったままであかなくなってるのが現状。
郊外型車ショッピングスタイルの大型店が蔓延り席巻している。
地方全体層の落ち込み。
今度の度重なる経済政策でもそこに視点があってない補正予算内容なので経済回復はむなしく。
さらなる格差助長となろう。
ローカル線の石炭の燃料列車SLをおりると駅舎にさえミカンの木の枝がのびていた。
薫風の中放漫なる豊かなハズの時期であるハズ。。
21日夜チョットの雨で22日は21日昼間同様のお日様真っ赤っかの青天である。
あのころのミカンの香はない。
駅降りて すぐにミカンの 花の中。
補正予算審議の参議院審議の二日目の21日。
昨日の残り時間の民主党以降少数政党の短き時間での審議参加。
自公議員の時間バク議員のヨイショ質問に人間の良心はないのかと問いたい。
補正予算の使い方での景気回復は無理である。
漫画館117億円は土地代が30数億東京都に支払われる。
東京は先の税制で3000億円近くを全国に配分に協力した。
与謝野財務大臣でさえこの程度。
社民党福島党首はこのブログでも触れたがエコポイントは既に現場では実施されている。
予算が成立しなかったらどうなるのか。と切り出した。
実施できない。
2946億円事務費23億円。取り扱うエコポイント組織も出来てない。
委託業者はどうなってるのか。
まだ始めてない。
うそだ募集要項を持っている。21日の今日が募集締め切りではないか。
参考人「21日正午が締め切り。」
公募に応じたのはそれぞれ7,2社。
審議中に何故すすんでいる国会軽視ではないか。
事務費23億円はエコ事務局、基金事務局いくらづつか。
決まってなく件数も解ってないので答えられない。
国民新党じみ庄三郎
郵政社長は辞任すべきではないか。
精進することが責任を果たすこと。
鳩山邦夫大臣としては新規で出直して欲しい。
最終承認は総務大臣にある。
衆議院で予定通りの強行採決で審議がされてないことの証左である。
その決議後自然成立する予算案ゆえの議会制民主主義が形骸化している。
戦前までで言うなら参議院は貴族院。
ただ違うのは一般選挙に寄らず
皇族や華族、多額納税議員で構成されていた。
その名残が任期6年で解散がない。
ただ今の議会のあり方は数の力の自公の横暴で少数意見は犬の遠吠え。
之では野党はいらない。
いかに政権与党が凶暴化しているかを示している。
戦前から学ものはないのか。
戦前と比して違うのは両院にもう一つ枢密院があった。
枢密院は1888年明治21年設置された。
1947年昭和22年廃止された。
59年間存続した。
開催、任務は
天皇の諮詢応じて国務を審議する大日本憲法下に於いて最高諮問機関。
議員と呼ばれず顧問官は18名。初代議長は伊藤博文。
国会同様建物が残っている。ただし皇居内である。
爺も写真でしかみたことはないが皇居内案内にこうある。
威風堂々としたノスタリジックなるもの。
桔梗門を渡ってすぐ左手の石造りの建物。
国会を設計した矢橋賢吉が設計士老朽化で2007年にリフォーム、
皇居音楽隊の練習場と使用されているようだ。
ここに君臨した人がおそらくギネスもんという厖大なる日記を残している。
大正15年議長に就任した久留米の人・倉富勇三郎である。
これまで枢密院のことは議事録しかなかった。
原敬日記、木戸幸一日記牧野日記などで断片的にしかなかったが
ここの議長として長きにわたり君臨したメモ魔的習性や生い立ちがなさせたもの。
人間賛歌の英知が秘密で盛られたはずの天皇制の元に記録として奇跡的にみれる。
何故それが世間に出てないのか。
公刊が難解長文過ぎて出来なかったんである。
日記を残した人の妻の兄の子に広津和朗がいる。
取り組んだが挫折している。
余りにも厖大で詳細すぎ何人かが挑んだが公刊が出来なかったがノンフイクション作家佐野真一が成し遂げた。
枢の日記である。
昨年公表された天皇周辺に使えた天皇の肉声を記録した卜部日記小倉日記に勝るとも劣らぬ世界一長い日記があったのである。
これで近世史がえぐり出す安くなった。
久留米の人・倉富勇三郎の人となりは父の力による。
父胤厚は1829年文政12年16歳で豊後日田の広瀬淡窓の咸宜園にまなんだ。
おおさかの緒方洪庵の適塾に勝る成果を上げてるが名前扱いが劣っている。
学友に大村益次郎高野長英写真の草分け上野彦馬がいる。
藩校の教官を務めたり明治期は県議会議長を歴任。。
兄は自由民権運動から福岡日々新聞創刊者で社長となる。
倉富家はもともと島津大友と九州に覇を唱えた龍造寺の出である。
倉富勇三郎は久留米藩主有馬21万石の相談役顧問の立場にもあった。
31才歳下有馬家当主は有馬頼寧、
日本橋蛎殻町に明治17年生まれた水天宮ある場所である。
水天宮の総代元は久留米の水天宮である。
2代藩主有馬忠頼が寄進した広大な社殿が久留米の水天宮となった。
参勤交代で困るので江戸の屋敷内に社を構えたゆえだ。
有馬頼寧を正確に読める人はなかなかのもの不在の漢検理事長に推薦しましょう。
歓心を買おうと人は言う
「ありまエライネ」と読むんですね。」
「さようよむのではありません。アラマタヨリネ」
正解はヨリヤス。
学習院では武者小路実篤志賀直哉と机を並べた。
政界入り後は木戸幸一近衛文麿ともども革新華族と呼ばれた。
部落解放運動に奔走、貧しき人も学べる夜学の創設に尽力。
赤い貴族と呼ばれた。
セパ交流戦でも巨人を日ハムの躍進ぶり。
その日ハムの起源になる東京セネターズを創設。
苦難中。中央競馬会理事長も務めた。。
その功績を記念して今でも有馬記念レースと呼ぶ。
有馬家相談会の最高顧問・倉富勇三郎の存在があればこその有馬頼寧の快挙がある。
枢密院を束ねる議長倉富勇三郎は時の政権と幾度となく対立した。
たとえば
昭和5年ロンドン軍縮で浜口内閣と対立。
昭和天皇妃決定にさいし元老山県有朋勢力の抗する力を排除した。
韓国併合李王朝との苦難の調整。
いまの国会をみているとどうにも水戸黄門様の善政に頼るほかない!のかとさえ思わせる議論無駄状況
まるで修正なぞあり得ない。
小泉政治で国富を宗主国に持ち出し国家全般が疲弊した。
加工貿易に国家経済を委ねてる長期の自民党政権であるがその劣化がいちじるしい。
労働市場も燦々たるもの。
この補正予算ではまるで経済回復には繋がらない。
その財源も借金の国債でまかなう問題点の先送り子らへの支払いツケを残すもの。。
コの国の興り近世史から紐解いても今の世情は歴史性に於いても異常なる時期である。
何故こんな国になってるのか。
新型インフルノニュース報道が数字の羅列でなく罹患sが出た家庭のあり方などと急激に変化している。
これが危機管理に備えるべきもの。
危機を煽る報道の変化はナニがあったのか。
発生源メキシコの米系スミスフィールドフーズ社のザルテベック養豚場に迫るニュースはまだ無い。
災厄をもたらしたのはここにある。
メキシコから輸出される9割が日本向け。
工業的異状畜産のお得意さんが我ら日本人である。
罹患者はついに不名誉な世界三番目罹患者数となろう。
ニュースはそこからはじめねば真の解決の方向は出ない。
騒ぎすぎはしゃぎすぎの国家ごっこは新型ウイルスより怖い。
真実を伝えるべき報道機関さえ劣化していくからである。
国家が崩壊していきつつあるからである。
枢密院復活に期待したい!爺とは・・・情けない議会制民主主義国家である。
どうぞマウス・クリック・・・
・よ・ろ・し・く!。( ̄。 ̄;)フゥ・・
お願いします。
↓ ↓ ↓ ↓
http://blog.with2.net/link.php?62076
↑ ↑ ↑
一日一回ワン・クリック!
花言葉は・・・・・・・親愛
♪ミカンノのはながさぁ~いている。♪
♪思い出の岡、おかのみち。♪
太平洋オレンジベルトなる時の宮崎県黒木博知事の全県下に号令をかけ咤激励の農政があった。
貿易はお互いの国の利益の衝突。
国策の輸出品は工業製品ゆえ農業製品は逆に輸入製品。
機械ナイ人力時代ゆえ爺らはスコップを持ち1メートル四方のミカンを植えるアナを毎日掘った。
オレンジ輸入の国策で暴落で植えたミカンの木を爺らは切った。
植えるも切るも結構なるアルバイト料になった。
農家には借金が残った。
労働力の若者は都会に出た。
地方が果敢に取り組んでも国壁に押し潰される。
その勝ち得た国家体制が今日の日本である。
それでさえ勝ち組負け組が健在顕著化。
貧困の果ての問題とまでなっている。
展望ナイのは国家の議論機関である国会論議にその認識がないこと。
まだ国全体がテレビジョンもなく貧乏であったが
あの頃の地方は未来がありどこの地方をも輝いていた。
シャッター通りのまちまちが日々形成されていくワクワクする地方であった。
そのシャッター通りの扉はナント閉まったままであかなくなってるのが現状。
郊外型車ショッピングスタイルの大型店が蔓延り席巻している。
地方全体層の落ち込み。
今度の度重なる経済政策でもそこに視点があってない補正予算内容なので経済回復はむなしく。
さらなる格差助長となろう。
ローカル線の石炭の燃料列車SLをおりると駅舎にさえミカンの木の枝がのびていた。
薫風の中放漫なる豊かなハズの時期であるハズ。。
21日夜チョットの雨で22日は21日昼間同様のお日様真っ赤っかの青天である。
あのころのミカンの香はない。
駅降りて すぐにミカンの 花の中。
補正予算審議の参議院審議の二日目の21日。
昨日の残り時間の民主党以降少数政党の短き時間での審議参加。
自公議員の時間バク議員のヨイショ質問に人間の良心はないのかと問いたい。
補正予算の使い方での景気回復は無理である。
漫画館117億円は土地代が30数億東京都に支払われる。
東京は先の税制で3000億円近くを全国に配分に協力した。
与謝野財務大臣でさえこの程度。
社民党福島党首はこのブログでも触れたがエコポイントは既に現場では実施されている。
予算が成立しなかったらどうなるのか。と切り出した。
実施できない。
2946億円事務費23億円。取り扱うエコポイント組織も出来てない。
委託業者はどうなってるのか。
まだ始めてない。
うそだ募集要項を持っている。21日の今日が募集締め切りではないか。
参考人「21日正午が締め切り。」
公募に応じたのはそれぞれ7,2社。
審議中に何故すすんでいる国会軽視ではないか。
事務費23億円はエコ事務局、基金事務局いくらづつか。
決まってなく件数も解ってないので答えられない。
国民新党じみ庄三郎
郵政社長は辞任すべきではないか。
精進することが責任を果たすこと。
鳩山邦夫大臣としては新規で出直して欲しい。
最終承認は総務大臣にある。
衆議院で予定通りの強行採決で審議がされてないことの証左である。
その決議後自然成立する予算案ゆえの議会制民主主義が形骸化している。
戦前までで言うなら参議院は貴族院。
ただ違うのは一般選挙に寄らず
皇族や華族、多額納税議員で構成されていた。
その名残が任期6年で解散がない。
ただ今の議会のあり方は数の力の自公の横暴で少数意見は犬の遠吠え。
之では野党はいらない。
いかに政権与党が凶暴化しているかを示している。
戦前から学ものはないのか。
戦前と比して違うのは両院にもう一つ枢密院があった。
枢密院は1888年明治21年設置された。
1947年昭和22年廃止された。
59年間存続した。
開催、任務は
天皇の諮詢応じて国務を審議する大日本憲法下に於いて最高諮問機関。
議員と呼ばれず顧問官は18名。初代議長は伊藤博文。
国会同様建物が残っている。ただし皇居内である。
爺も写真でしかみたことはないが皇居内案内にこうある。
威風堂々としたノスタリジックなるもの。
桔梗門を渡ってすぐ左手の石造りの建物。
国会を設計した矢橋賢吉が設計士老朽化で2007年にリフォーム、
皇居音楽隊の練習場と使用されているようだ。
ここに君臨した人がおそらくギネスもんという厖大なる日記を残している。
大正15年議長に就任した久留米の人・倉富勇三郎である。
これまで枢密院のことは議事録しかなかった。
原敬日記、木戸幸一日記牧野日記などで断片的にしかなかったが
ここの議長として長きにわたり君臨したメモ魔的習性や生い立ちがなさせたもの。
人間賛歌の英知が秘密で盛られたはずの天皇制の元に記録として奇跡的にみれる。
何故それが世間に出てないのか。
公刊が難解長文過ぎて出来なかったんである。
日記を残した人の妻の兄の子に広津和朗がいる。
取り組んだが挫折している。
余りにも厖大で詳細すぎ何人かが挑んだが公刊が出来なかったがノンフイクション作家佐野真一が成し遂げた。
枢の日記である。
昨年公表された天皇周辺に使えた天皇の肉声を記録した卜部日記小倉日記に勝るとも劣らぬ世界一長い日記があったのである。
これで近世史がえぐり出す安くなった。
久留米の人・倉富勇三郎の人となりは父の力による。
父胤厚は1829年文政12年16歳で豊後日田の広瀬淡窓の咸宜園にまなんだ。
おおさかの緒方洪庵の適塾に勝る成果を上げてるが名前扱いが劣っている。
学友に大村益次郎高野長英写真の草分け上野彦馬がいる。
藩校の教官を務めたり明治期は県議会議長を歴任。。
兄は自由民権運動から福岡日々新聞創刊者で社長となる。
倉富家はもともと島津大友と九州に覇を唱えた龍造寺の出である。
倉富勇三郎は久留米藩主有馬21万石の相談役顧問の立場にもあった。
31才歳下有馬家当主は有馬頼寧、
日本橋蛎殻町に明治17年生まれた水天宮ある場所である。
水天宮の総代元は久留米の水天宮である。
2代藩主有馬忠頼が寄進した広大な社殿が久留米の水天宮となった。
参勤交代で困るので江戸の屋敷内に社を構えたゆえだ。
有馬頼寧を正確に読める人はなかなかのもの不在の漢検理事長に推薦しましょう。
歓心を買おうと人は言う
「ありまエライネ」と読むんですね。」
「さようよむのではありません。アラマタヨリネ」
正解はヨリヤス。
学習院では武者小路実篤志賀直哉と机を並べた。
政界入り後は木戸幸一近衛文麿ともども革新華族と呼ばれた。
部落解放運動に奔走、貧しき人も学べる夜学の創設に尽力。
赤い貴族と呼ばれた。
セパ交流戦でも巨人を日ハムの躍進ぶり。
その日ハムの起源になる東京セネターズを創設。
苦難中。中央競馬会理事長も務めた。。
その功績を記念して今でも有馬記念レースと呼ぶ。
有馬家相談会の最高顧問・倉富勇三郎の存在があればこその有馬頼寧の快挙がある。
枢密院を束ねる議長倉富勇三郎は時の政権と幾度となく対立した。
たとえば
昭和5年ロンドン軍縮で浜口内閣と対立。
昭和天皇妃決定にさいし元老山県有朋勢力の抗する力を排除した。
韓国併合李王朝との苦難の調整。
いまの国会をみているとどうにも水戸黄門様の善政に頼るほかない!のかとさえ思わせる議論無駄状況
まるで修正なぞあり得ない。
小泉政治で国富を宗主国に持ち出し国家全般が疲弊した。
加工貿易に国家経済を委ねてる長期の自民党政権であるがその劣化がいちじるしい。
労働市場も燦々たるもの。
この補正予算ではまるで経済回復には繋がらない。
その財源も借金の国債でまかなう問題点の先送り子らへの支払いツケを残すもの。。
コの国の興り近世史から紐解いても今の世情は歴史性に於いても異常なる時期である。
何故こんな国になってるのか。
新型インフルノニュース報道が数字の羅列でなく罹患sが出た家庭のあり方などと急激に変化している。
これが危機管理に備えるべきもの。
危機を煽る報道の変化はナニがあったのか。
発生源メキシコの米系スミスフィールドフーズ社のザルテベック養豚場に迫るニュースはまだ無い。
災厄をもたらしたのはここにある。
メキシコから輸出される9割が日本向け。
工業的異状畜産のお得意さんが我ら日本人である。
罹患者はついに不名誉な世界三番目罹患者数となろう。
ニュースはそこからはじめねば真の解決の方向は出ない。
騒ぎすぎはしゃぎすぎの国家ごっこは新型ウイルスより怖い。
真実を伝えるべき報道機関さえ劣化していくからである。
国家が崩壊していきつつあるからである。
枢密院復活に期待したい!爺とは・・・情けない議会制民主主義国家である。
どうぞマウス・クリック・・・
・よ・ろ・し・く!。( ̄。 ̄;)フゥ・・
お願いします。
↓ ↓ ↓ ↓
http://blog.with2.net/link.php?62076
↑ ↑ ↑
一日一回ワン・クリック!