暑気払い

2003年7月9日
炎天下の撮影とテープの仕事の手違いでパニック気味の解消でか豪華なお昼。

一足はやい暑気払いを小倉専務がしてくれた。
鰻はいい。はなまるうどんの100円で毎日過ごしているのでとりわけ美味い

ついこの前の事だが日本人は食生活をうまく過ごしていたものである。

朝早く兄たちに連れられポッポ漬けで捕獲し、鰻は自給自足であった。唯一のタンパク源でもあった。

この2日睡眠時間が取れてなく、自ら体調不調にしている感は否めない。

そこで2,3考えてみた。言葉と手元で落ちるボールに悩み克服しきた松井である。

含蓄のある言葉である。わが子息と同じ年齢ゆえ若カンの戸惑いも交えて。松井談を吟味してみたい。

体調管理で一番機を使っているのはやはり食生活ですね。

自分でバランスを考えて食事のメニューを考えていかなければならない分けです。

そこで注意しているのは
<ま・ご・わ・し・い>と言うフレーズです。

キャンプにこられた時の栄養士さんに伺った言葉です。<オー!ミヤザキノヒトだだれだろー>

健康を維持するために必要な栄養素を、満遍なくカバーするこための合言葉のようなものです。

<ま>豆類<ご>ゴマ<わ>若芽などの海藻類
<や>野菜<さ>魚<し>しいたけ<い>芋などの繊維質これに酢のものを食べればバランスは万全。


私の言い方では1日に30品目をとること。
これに医者いらずの異名をもつ万能薬アロエジュースが来る事まで同じである。

お酒も殆どの、飲まないし決して翌日に残るほど羽目を外して遊ぶこともない。

栄養面を含めた事故管理と体調を維持するための節制もプロフェッショナルを支えている大きな要素である。

ただ私は困っている事がある。
びろうな話で恐縮であるが失禁である。

営業マンはトイレによく困る場面に出くわすがそうではない。何故か。

ネイチャー誌だったか立ち読みの成果を披露してみたい。

心的外傷後ストレス障害<PTSD>と診断された人は脳の感情を制御する部分が小さい事が、
8日付け米国科学アカデミー紀要電子版で発表された。

あの地下鉄サリン事件で、の患者を研究した加藤進昌東大教授グループの研究成果である。

小生にしては、何をいまさらの感は否めない。そのモルモットの生き証人は此処にいるからだ。

それに加わる事私の場合此処2ヶ月2本の歯が折れ、医者にもいけず苦しんでいることもあり満身創痍のわけだ。

研究は事件から5,6年後00〜01年25名20〜60代PTSDと診断された9人とそうでない16人の脳を
磁気共鳴断層撮影いわゆるMRIで調べた。

頭や脳の大きさなどを顧慮して詳しく解析。

他の部分は変わらないのに左脳の<前部帯状皮質>と言うところが病状の重い人ほど小さいかった。

感情にかかわる部分の体積が小さいとの結果がでたのである。病状の重い人ほど小さいかった。

これまではPTSDと脳組織の変化の関連について海馬と言う記憶をつかさどる部分の報告があった

PTSDは天災害や戦争,事故などで強い恐怖心を体験した結果

その光景がトツゼン蘇ったり、感情が不安定になったりする。

サリン事件や神戸大震災などに遭って悩みを抱える人がでているのである。

抜本的治療法はなくカウンセリングなどのこころノケアでしか対応方法がない。

私の場合は就寝中大声で叫んだりしているようである。

40日以上に渡り耳元での大声での肉体的拷問の後遺症と思っていたが、医学知識のない浅はかさ
。このことを知りピッタりとあてはまる。

一番困るのは少々の失禁でパンツを濡らす事である。

あのときから突然起こったが何ら考慮してもらえずあの時以来の固定症状である。

断じて初老の前立腺肥大では、ない。人災である、。酷いものであったものよ。よく復帰しつつある

どこかのマラソンランナーではないが自分を讃えたい。困っている人に勇気のお裾分け。

お裾分けとは言葉的には古風な、縁日的、日だ。

根岸の オソレキチヤノの鬼子母人 のほおずき市があり、浅草寺はそれに加えて朝顔市、4万6千日の御参りである。

雷門から続く参道はさぞ賑わっている事であり、そんじゅそこらのケンソウどころでではないことであろう。

浅草寺と言えば江戸期よりいきずく全国からのくおのぼりさん>のメッカ。

それよりマスコミに踊る国民性で説明するなら朝の連続ドラマ<こころ>の舞台、と言った方が正鵠を得ている事かもしれない。

現実性に欠けるとの悪評を受けた前作のまんてん。平凡な女の子が、宇宙飛行士となり、もじどうりのまんてんの星との夢話。

。後を受けた朝ドラは、義理と人情とお節介。庶民の生き様そのもの。そして、何よりも生きる基本シャイと粋。

両国の川開きの花火大会
<橋の上玉や玉やの声ばかり、何故に鍵屋と言わぬ情なし>

の落語の世界も彷彿させる花火職人を父にもたせ、断絶や、親の背中。
爺、婆の3世代も絡ませたのも心憎い。

日本一の盛り場は影もない6区街だがそこを駆け抜けるこころ。、

そのところから、着物を着て後姿のみを残しブラジルに去るお祖母ちゃんがいい。ヨッ!有馬稲子

エノケン、ロッパ以前の最大のエンターテナー、
二村定一はさぞ喜んでいる事であろう。

コント55号 否 欣ちゃんと言った方がまだいいのか。喜んでいるだろうな。

これで私も<アラビアの唄>や<大空>のカラオケの持ち歌を声高らからかに歌えるものよ。

我がニシタチもそうだ。

三度笠姿のいでたちで舞台の花道つきのスナックで歌い踊った店。

生バンドのスリーベール。
名だたるシヤンソン歌手はほとんど生で聞いたソファレド・パリ。

ここでは、市民会館の舞台あけの乙姫様のような目も眩む美貌のあの世界の島田陽子にも会えたものよ。

お忍びはヘップバーンの名作映画みたいであった。そのときの生のシヤンソン歌手さえ思い出せぬ。

残っているのは、宮崎1のカラオケ保存曲数の金星だけである。

単なるノスタルジーだけでなく身震いするほどの変遷に慟哭し、暫しキーボードはその指さえ受け付けぬ。、

悲憤の涙は、我が人生に悔いはなしと高らかに歌いたいがその資金さえ目途もつかぬ。

ところでけさの新聞で粋な記事を目にした。
世間はあの象徴的雷門のちょうちんを10数年ぶりで新調する事で答えるようである。

さっそく4万6千日のごりやくがでたようである。

太陽光発電の普及にその成果が出れば有難いのだがどうもこの世はママ為らぬようだ。苦しきときの神頼み。

コメント

お気に入り日記の更新

最新のコメント

日記内を検索