お盆と・時・間・

2003年7月13日
お盆の迎え火らしい。精霊様を迎える仕事は、一番年下の私の役目であった。幼きころは平和で無邪気であった。

不思議な事が起こるものである。次兄の隆士兄にヒョクコリ会った。先祖様のなせる仕業。父、母に合わす顔が無い

このような状況では如何ともし難い。菊池寛の{恩讐のかなた}の心根にたどり着くには、艱難辛苦・・・まだ・・まだである。

<時間が無い。半年無いぞ〜>
意味深の言葉を残して去った。

長兄は76才ぐらい・?良福兄・・現状を考え,DNAのなせる業に驚いている。大病のようだ。

それと言うのもお世話にっている社長さんとの仕事からの帰りの 外環状の新別府工区<工事中のときの呼び名>のジョイフルでの4時過ぎのことであった。

そもそもはこうである。昨日お客さんから「今日中に古いエアコンを取り付けてくれ」と言われてた

が、技術陣は高校野球や福岡の現場でいない。緊急事態である。

よって、無理のお願いが出来るのは、あの人しかいない。白羽の矢を立て、昨夜早速一部対応していたのであった。即対応のアパの心粋である。

その場で、新品の追加注文が出たので、今日に日延べである。

なんたって、ガスが抜けているのである。どうしようもなかったのが、今日になった大きな原因。

舞台は、このあたりか整っていた。此れではまるで、頼朝に会う前の義経の腰越状。私もそうだ。一族の末端ながらそれなりに仕切っていたではないか。

ほんとにお客さんは無茶が多い。エアコン取付工事が手間取ってしまったが

、機械を取り替えたら//とかのプレッシャーをかけるものだから、最初のガスなので時間がかかるのが、ファクターから薄らいでいたのである。

さんざんであった。9時から4時まで。

あ〜あ今日も新規の営業出来ずじまい。時間がいいかげんになってしまった。

その今日は時間に大いに関係する日であったようである。

1886年(明治19)の今日,東経135度にある兵庫県明石市の時刻を,日本の標準時に定めるという勅令が出されたと言うのだ。

これは1884年にワシントンで開催された万国会議で,ロンドンのグリニッジ天文台を通る子午線を,

経度0度にあたる「本初子午線に定めることが決定されたのを受けての決定だつた。

 360度を24時間で割ると,経度が15度違うごとに1時間ずれる計算になり,各国ともグリニッジ天文台を通る子午線を起点として,

ほぼ中央部を通る子午線との差から自国の標準時を決定した。

世界時との差は整数になるのが普通だ。日本は135度を基準としたことにより,グリニッジ標準時に9時間をプラスした時刻が日本標準時となっている。

 この日本標準時,正式名称は「日本中央標準時」と言うらしい。これは1895年(明治28)の勅令で,東経120度の子午線の時刻を西部標準時と呼ぶことが決められたため。

国内に2つの標準時が定められたことから,それらを区別するべく,明石に「中央」が付けられた。

結局この西部標準時は1937年(昭和12)に廃止されたが,「日本中央標準時」という名称はそのまま残ったという。

 標準時という考えを提案したのは,スコットランド出身で,カナダに移住した土木技術者,フレミングという人だが,

最初はカナダとアメリカで,経度15度で国内をわけて5つの標準時の設定が行われたそうだ。

これが1883年のことで,その翌年,万国会議が開催されて世界の時刻を定めるための,起点が定めらることになったわけだ。

 しかしインターネットの普及により,「時差」という考え方も少々古くなってきたようだ。

海外のオンラインイベントに参加するのに
,いちいち「ええと,アメリカの頭部標準時と日本の時差は……」と計算するのは面倒。

Swatch社が「インターネットタイム」を提唱し始めたのも,そういう時代だからこそだろう。

基本単位を「スウォッチビート」に定め,
1000スウォッチビートを1日とする,というもので,起点となるのは,Swatch本社のあるスイスのビールの時刻。

世界中どこでも同じインターネットタイムになるので,
ビールってどこ?」と悩む必要はないようである。

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