ユルシテ!40センチ・・・白蓮
2003年7月30日大リーグ情報が毎日流されているが、今日の松井は11号のホームランを放ったようである。
イチローはバットマンレースのトップを走る天才ぶりを発揮している。
そのイチロー曰く
「ベース間の距離があと40センチ短ければ4割はうてる」
とあの控えめなイチローにして40センチで泣ていることを告白しているのを聞いた。
私もきょう20センチ〜40センチで泣いた
それと言うのがこうだ
鹿児島の出水のお客さん宅の実寸とりに出jかけた
小倉専務との一昨日の協議の結果であった
太陽光発電はお客さんと私どもの競作である
お家を作るのと同じである
昨日お客さんから丁度のタイミングで電話を頂いたフットワークのよさが会社の売り、ゆえ直ちに飛んでいったと言う次第。
午後一時の約束に訪ねてみると奥様もご主人さんも仕事を時間休みをとられてお迎えいただいた。
実に申し訳ない。
パネルの幅は一枚116センチ3段になると
348センチ
屋根の実寸は
355センチ
7センチでは保安距離がとれないせめて
あと40センチ・・・・・
悔しくてたまらない
最高の仕事がしたい
綺麗な三角形の屋根にあった形にしたい
お客様に申し上げたが残念でたまらない。
ひと回り小さいパネルにしたらとお客さんからのアドバイスを頂き再検討で辞した
収まらないのは私。車の中でひとしきり不満や愚痴を小倉専務にぶつける
おだやかに聞いていただいた
常に冷徹に現場重視で判断されるこの方の冷静さは見習いたい
気を静めるためであろう
東洋のナイアガラの滝を見ようと言うことに成り
立ち寄った。
2〜3箇所にわたり虹が係り折りしもの雨で
推量が増し水の爆風がすごい迫力である
滝の一番美しく見えるところに破天荒な数奇な人生を生き抜いた柳原白蓮の歌碑があるのだ
不幸な福岡での生活を強いられているのを考え合わせると歌碑が霞んで見えた
小倉さんが写真をとってくれたがいかがに写っているものか
もののふの むかし語りを 曾木の滝
水のしぶきに ぬれつつぞきく〜白蓮
彼女は伯爵、柳原家に、明治18年、東京に生まれた。本名はあきこ(火ヘンに華)。
大正天皇の従姉妹にあたる血筋である。わかりやすくは大正天皇の母の実家
14歳で家族の決めた北小路子爵家の息子資武(すけたけ)と結婚し、15歳で男児を出産。
しかし、精神薄弱に近い資武との余りにひどい結婚生活に見かねた白蓮の家族は、5年後に離婚させるが、子供は夫の母に奪われてしまう。
『出戻り』であるが故に幽閉に等しい生活を余儀なくされたあきこ。
27歳の時の再婚。相手は九州一の炭坑王の伊藤伝右衛門。
けれど、それは貴族院議員に出馬するあきこの兄の金欲しさと名門の家柄を必要とした伊藤家、そして
幽閉生活からの脱出を願うあきことの利害が一致した末の政略結婚でもあった。
『あかがね御殿』と呼ばれる豪華な大邸宅を作ってあきこを迎えるのですが、25歳年上の彼には女中を兼ねた妾や誰が産んだのかもわからない子供が何人もあった。
そんな生活の中でもあきこの転機は、佐々木信綱の門下生となったことで訪れます。
彼女の戯曲『指蔓外道(しまんげどう)』の上演依頼のために訪れた東京帝大法学部に通う傍ら雑誌『解放』の編集をする宮崎龍介。それが運命の出会いでした。
人妻の恋愛が姦通罪として制裁されていた時代。
さらに、あきこは30代半ばで、宮崎は彼女よりも6歳年下であり、社会革命の理想に燃える帝大新人会のメンバー。これは実るはずのない恋でした。
それでも二人の恋は燃え上がり、あきこは宮崎の子を宿す。
『私は金力をもって女性の人格的尊厳を無視する貴方に永久の訣別を告げます』という公開絶縁状を朝日新聞に掲載しました。
伊藤は毎日新聞にその反論を載せ、世論はこの問題に非常に沸いたと言います。
この結末は、あきこの華族からの除籍と総ての財産没収により離婚の成立。
あきこは再び実家の柳原家に一室に閉じこめられて、そこで男児を出産。
わが命惜まるるほどの幸を初めて知らむ相許すとき
そして、災いを転じて福となすの言葉通リ、二年後の関東大震災のどさくさのなか、
平民となったあきこは結核にかかった夫を抱え経済的には苦しいながらも、ようやく親子三人の生活が現実のものとなりました。
昭和36年には緑内障の進化で失明、昭和42年81歳の波乱万丈の人生を終えた。46年に宮崎は没した
西日本新聞を愛読していた私の中高生時代であり、西鉄の神様 仏様 稲尾様のトップ記事とこの記事は良く覚えている
「恋」という感情に燃え、それを貫くためにそれまでの生活や人生を投げ捨てて愛しい人との最終発に賭けた彼女の思いは、当時の情勢を考えれが並大抵のことではなかったはずである。
白連はその雅号の名の通りの、 穏やかでありながら、自らを主張する強さを秘めている、
静かな泥の中に存在を際だたせている白い蓮のような女性 が浮かぶ。
女をしのぶのは蓮の名所の新富町である。 公園や水沼神社から膨大な蓮の中に白蓮もある。
書道家は夢を良く書くが、白蓮にいいうたがある。実朝の「寄せて、砕けて、避けて散るかも」を思い出す歌である。
ひるのゆめ あかつきのゆめ よるのゆめ
さめてのゆめに いのちしりぬ〜白蓮
諦めていた恋の情熱にすべてを捨てて身を委ね再出発した歌人
愛息を戦争で失いながらも戦後平和運動に生きた意志の強い人。このような人にあこがれる
宮崎の「関の尾」に似ているが規模を含めて
その比ではない。
残念ながらこの地には訪れていないようで歌碑はない。
発電所跡地も残っているが再建の機運はないようだ。
自然の織り成す綾はお金には換えがたい
ところでそのお金であるが、けさの新聞では
来年7月新札に衣替えと報じていた。
昨日の日経では紙に組み込める0.3ミリ角のチップを日立が開発したとタイミングのよい記事を見ていた私。
オランダのフイリップス、や凸版に先駆けての開発である。
お札の偽造防止に使えばいい
お札は120億枚あるが仮に5円なら600億円になる
世界規模でみるとそれはすごい数字になる
凄い数字になるかもしれないのは太陽光発電のアパの設置数である。
ほんの少しのはずの時間が4時間過ぎの先ほどまで話していた。この人と話していると時間のたつのが早い。
みんなの力を借りて早く宮崎で一番のアパにしたい。
太陽光発電の普及は急がねばならない。
40センチ・・・・・解決できぬものか
白蓮の人生をもってすればなんてことはない。
がんばれ!営業せきやちゃん!
イチローはバットマンレースのトップを走る天才ぶりを発揮している。
そのイチロー曰く
「ベース間の距離があと40センチ短ければ4割はうてる」
とあの控えめなイチローにして40センチで泣ていることを告白しているのを聞いた。
私もきょう20センチ〜40センチで泣いた
それと言うのがこうだ
鹿児島の出水のお客さん宅の実寸とりに出jかけた
小倉専務との一昨日の協議の結果であった
太陽光発電はお客さんと私どもの競作である
お家を作るのと同じである
昨日お客さんから丁度のタイミングで電話を頂いたフットワークのよさが会社の売り、ゆえ直ちに飛んでいったと言う次第。
午後一時の約束に訪ねてみると奥様もご主人さんも仕事を時間休みをとられてお迎えいただいた。
実に申し訳ない。
パネルの幅は一枚116センチ3段になると
348センチ
屋根の実寸は
355センチ
7センチでは保安距離がとれないせめて
あと40センチ・・・・・
悔しくてたまらない
最高の仕事がしたい
綺麗な三角形の屋根にあった形にしたい
お客様に申し上げたが残念でたまらない。
ひと回り小さいパネルにしたらとお客さんからのアドバイスを頂き再検討で辞した
収まらないのは私。車の中でひとしきり不満や愚痴を小倉専務にぶつける
おだやかに聞いていただいた
常に冷徹に現場重視で判断されるこの方の冷静さは見習いたい
気を静めるためであろう
東洋のナイアガラの滝を見ようと言うことに成り
立ち寄った。
2〜3箇所にわたり虹が係り折りしもの雨で
推量が増し水の爆風がすごい迫力である
滝の一番美しく見えるところに破天荒な数奇な人生を生き抜いた柳原白蓮の歌碑があるのだ
不幸な福岡での生活を強いられているのを考え合わせると歌碑が霞んで見えた
小倉さんが写真をとってくれたがいかがに写っているものか
もののふの むかし語りを 曾木の滝
水のしぶきに ぬれつつぞきく〜白蓮
彼女は伯爵、柳原家に、明治18年、東京に生まれた。本名はあきこ(火ヘンに華)。
大正天皇の従姉妹にあたる血筋である。わかりやすくは大正天皇の母の実家
14歳で家族の決めた北小路子爵家の息子資武(すけたけ)と結婚し、15歳で男児を出産。
しかし、精神薄弱に近い資武との余りにひどい結婚生活に見かねた白蓮の家族は、5年後に離婚させるが、子供は夫の母に奪われてしまう。
『出戻り』であるが故に幽閉に等しい生活を余儀なくされたあきこ。
27歳の時の再婚。相手は九州一の炭坑王の伊藤伝右衛門。
けれど、それは貴族院議員に出馬するあきこの兄の金欲しさと名門の家柄を必要とした伊藤家、そして
幽閉生活からの脱出を願うあきことの利害が一致した末の政略結婚でもあった。
『あかがね御殿』と呼ばれる豪華な大邸宅を作ってあきこを迎えるのですが、25歳年上の彼には女中を兼ねた妾や誰が産んだのかもわからない子供が何人もあった。
そんな生活の中でもあきこの転機は、佐々木信綱の門下生となったことで訪れます。
彼女の戯曲『指蔓外道(しまんげどう)』の上演依頼のために訪れた東京帝大法学部に通う傍ら雑誌『解放』の編集をする宮崎龍介。それが運命の出会いでした。
人妻の恋愛が姦通罪として制裁されていた時代。
さらに、あきこは30代半ばで、宮崎は彼女よりも6歳年下であり、社会革命の理想に燃える帝大新人会のメンバー。これは実るはずのない恋でした。
それでも二人の恋は燃え上がり、あきこは宮崎の子を宿す。
『私は金力をもって女性の人格的尊厳を無視する貴方に永久の訣別を告げます』という公開絶縁状を朝日新聞に掲載しました。
伊藤は毎日新聞にその反論を載せ、世論はこの問題に非常に沸いたと言います。
この結末は、あきこの華族からの除籍と総ての財産没収により離婚の成立。
あきこは再び実家の柳原家に一室に閉じこめられて、そこで男児を出産。
わが命惜まるるほどの幸を初めて知らむ相許すとき
そして、災いを転じて福となすの言葉通リ、二年後の関東大震災のどさくさのなか、
平民となったあきこは結核にかかった夫を抱え経済的には苦しいながらも、ようやく親子三人の生活が現実のものとなりました。
昭和36年には緑内障の進化で失明、昭和42年81歳の波乱万丈の人生を終えた。46年に宮崎は没した
西日本新聞を愛読していた私の中高生時代であり、西鉄の神様 仏様 稲尾様のトップ記事とこの記事は良く覚えている
「恋」という感情に燃え、それを貫くためにそれまでの生活や人生を投げ捨てて愛しい人との最終発に賭けた彼女の思いは、当時の情勢を考えれが並大抵のことではなかったはずである。
白連はその雅号の名の通りの、 穏やかでありながら、自らを主張する強さを秘めている、
静かな泥の中に存在を際だたせている白い蓮のような女性 が浮かぶ。
女をしのぶのは蓮の名所の新富町である。 公園や水沼神社から膨大な蓮の中に白蓮もある。
書道家は夢を良く書くが、白蓮にいいうたがある。実朝の「寄せて、砕けて、避けて散るかも」を思い出す歌である。
ひるのゆめ あかつきのゆめ よるのゆめ
さめてのゆめに いのちしりぬ〜白蓮
諦めていた恋の情熱にすべてを捨てて身を委ね再出発した歌人
愛息を戦争で失いながらも戦後平和運動に生きた意志の強い人。このような人にあこがれる
宮崎の「関の尾」に似ているが規模を含めて
その比ではない。
残念ながらこの地には訪れていないようで歌碑はない。
発電所跡地も残っているが再建の機運はないようだ。
自然の織り成す綾はお金には換えがたい
ところでそのお金であるが、けさの新聞では
来年7月新札に衣替えと報じていた。
昨日の日経では紙に組み込める0.3ミリ角のチップを日立が開発したとタイミングのよい記事を見ていた私。
オランダのフイリップス、や凸版に先駆けての開発である。
お札の偽造防止に使えばいい
お札は120億枚あるが仮に5円なら600億円になる
世界規模でみるとそれはすごい数字になる
凄い数字になるかもしれないのは太陽光発電のアパの設置数である。
ほんの少しのはずの時間が4時間過ぎの先ほどまで話していた。この人と話していると時間のたつのが早い。
みんなの力を借りて早く宮崎で一番のアパにしたい。
太陽光発電の普及は急がねばならない。
40センチ・・・・・解決できぬものか
白蓮の人生をもってすればなんてことはない。
がんばれ!営業せきやちゃん!
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