青空の下

2003年9月3日
米良電気に電力計箱を朝9時取りに行ったが20人ぐらいで注文、資材振り分けている。

電源ボックス28,00円なりは契約時の価格にはない追加出費.

僅かな利益予定額から落とすしかない。
ほとんど企業の呈をなしていない精算額となろう

追加工事はあくまでお客さんの負担のはずである。

メンテの急な依頼の処置でお客さんに連絡。

12時を早めて修理をする。
水漏れがとまらない。

フロートのところのパッキンの磨耗と予測していた。

分解するとその通りでパッキン
を裏返しで修理完了。

本来修理してはいけないのである。
ただ、見積もりを作るだけできているのだ。

しかし、これは、ほっとけない。
1ヶ月以上前からこうであり、すでに4社も来たのに直していないのである。

こんな現場が多すぎる。
即対応するべきときもあるはずだ。

水漏れは、そうではないのか。
全身汗びっしょりになる。

出水の屋根の上は70度以上になっていることであろう。
と予測する余裕もあった。

隣の家の鍵を預かり修理をしていると、いつもの不思議、奇跡だ。
またもやビックリすることが起こった。

「せきやさん?」

若奥さんに代わってそのお母さんが急遽、留守でこられたのである。

この偶然がなければ何もなかったのだ。
神様が引き合わせたとしか思えない。

12時30分に宮崎を出て泉に部材を持って向かう。

14時30分に九電の出水についていた。

なかなか申請が受理されないが、小倉さんが3時30分ごろ来る。

印鑑も不手際も書き直されようやく受理。
遅い昼食をとり、現場に向かう。

ローンの書類を作ってもらいホテルキングに向う。

シャワーのあとの充実感,爽快感はいい。
疲れきっているのが吹き飛ぶほどよくわかった。

居酒屋に5人でいく。
ここでも現場の仕上がりの話。

この連中は凄い。間違いのない仕事人。

清算を私が済ますが職人に頼むポイントのはずだ。
割り勘は厳しすぎるよ。

目に見えぬシュツピがかさむ。
太陽光発電はひたすら自己犠牲である。

新聞を読んだ。

出水市と高尾野町のそれぞれの議会が合併に反対の決議をしたようだ。

明治期に15,859の自治で出発した日本。
車も自転車もないころである。

それが、3,472 <1962>であり、そのうち宮崎は44であったか。

砂土原、国富と議論が伯仲している。
特色がなくなるからである。

高尾野でなく高柳町の話。

新潟県高柳町。
人口12,000から現在2,000人

小林康生は20歳台であの田中政治に反発して自治を作り上げた中心人物。現在48歳である、

 高柳町はあきらめての合併でなく  
任意合併協議会で協議して決める。

豪雪はいい米ができる
地域の個性

自治権と町おこし

じょんのび村5年で20万人
65人役場の次柏崎5万文化の淘汰

村田幸太郎が医師を引き継ぐ。

過疎は財産である

法人格の自治組織
仕組みのすり合わせ
財源が割り当てられる

学校は生活の原点
05特例交付税特例
特例債の創設

やるようでは、合併もいいものになるや、も知れない。

太陽光発電の町も、町おこしであっていいのかもしれない。

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