愛でる
2003年9月10日虫の声が秋を感じさせるはずの季節だが、連日この時期になり、30度を越している。
月々に月見る月は多けれど月見る月はこの月の月。
名月をとってくれとはわが子かな
月を愛でる民族の中でも日本の場合は文学や生活全般におよんでおり特異であろう。
月見の発祥は中国であり、アジア各地の収穫祭として受け継がれている。
日本ではススキの穂に団子が多いが、中国は月餅を備え、サトイモを食べる。
月をこれほどまで愛でる民族は日本民族だけであろう。
尤も中国から平安期の貴族に伝わり一般化して収穫を祝うなど全国化、庶民化しているので中国と違い日本では民族的なものとなったのであろう。
いつのころからか、月を見ると確かに左右に杵をもちウサギが餅を搗いていた。
農耕民族で米が主食たる我らの世代には、他国と違い、狼が吼える発想はない。
1969,7,21,5時17分36秒私は高校3年生であった。
アポロ11号の月着陸船イーグル号でアームストロング船長とオルドリンは名文句を残したが、確実にわれわれの夢を奪った。
サンタクロースの存在は、はしかと同じでいずれ通過する過程であり、個人差はあれ、
ショックはあれど奪われた夢の度合いは日本人には大きいものがある。
農作物の収穫祭として季節の果物や野菜を月に祭り、豊作を祈る風習とも関わり、今の時代でも
、
縁側や軒先にススキをはじめとした秋の七草や、月見団子、お神酒、里芋などを飾って
名月をめでます。
昔から里芋などをお供えしてたので、十五夜は別名「芋名月」ともいわれています。
地方や家庭によって、お月見の習慣はさまざまですが、まあるいお月様を見ながら、心までまあるくなりたいですね。
西都の地では,お供え物は持ち帰ってもよく夜遊びと、食べ物が、手に入るので、この日を楽しみにしていた幼児期であった。
日本の書き物で古いものは古事記、日本書紀の記紀か源氏物語を挙げると言うであろうが、
はたしてどうであろうか。
正解は1100年前の竹取物語<作者不詳> である。
あらすじ
今は昔の話、<竹取の翁>と呼ばれた男が野山で竹のなかにいる幼子をみつけてきた。
妻とふたりで大切に育てると、この娘はわずか三ヶ月でうつくしい女性に成長する。
噂を聞きつけた五人の貴公子が求婚するが、姫はそれぞれの貴公子達に当時極めて貴重な宝の品とされていた
難題物の提出を求めたものの、ことごとく失敗に終わることでこれらの求婚の一切を切り抜けることができた。
ついで、この姫への求婚話を聞きつけた時の<帝>にも求愛されるが、これも拒み抜き、心を慰め合う関係を続けていた。
<帝>との文のやりとりも三年の年月を数えた春、<かぐや姫>は月の都へ帰還する時期を知る。
中秋の名月の美しい八月十五夜、<帝>の命で都中の士(つわもの)たちに護衛されていたものの、なすすべなく彼女は昇天して行く。
悲しむ<帝>と<翁>には形見に不死の薬と天の羽衣、文が残されたが、<帝>は士たちを遣わして富士山ですべて焼かせてしまった。
<竹取の翁>が竹の中から幼子を発見し、富を得るという致富譚(ちふたん)
<かぐや姫>が三月で成人するという急成長譚、
求婚難題物と求婚者たちの名前に密接な関連を持たせながら、
それら求婚譚の顛末(てんまつ)を語りつつその最後に巧みな「落ち」が用意されて語源譚
となっている構造など、古物語の体裁を装いながら、
実は古代小説の始発に位置する作品として完成度の高い内容を誇っている。
求婚者の名前と難題物、さらには語源譚を一覧にしてみるとその構成の巧みさは際だつ。
? <石作皇子(いしつくりのみこ)>
−仏の御石の鉢−「はち(鉢・恥)を捨つ」
? <車持皇子(くらもちのみこ)>
−蓬莱の玉の枝−「玉(魂)さか(離)る」
? <右大臣阿部の御主人(うだいじんあべのみうし)>−火鼠の皮衣−
「あへ(あべ)なし」
〇 <大納言大伴御行(だいなごんおおとものみゆき)>−龍の頸の玉−「あな食べがた(難)」
?<中納言石(磯)上の麻呂
(ちゅうなごんいそのかみのまろ)>
−燕の子安貝−「かひ(甲斐・貝)あり」
くわえて、<かぐや姫>の昇天後、兵士たちに焼かせた「不死の薬」と「文」から、物語を締めくくる語源譚は、
駿河の国にある「天に近き」山を『富士の山』と呼ぶようになったと言う、地名起源伝説を記している。
このように、物語は求婚譚において求婚者を官位の順に並べながら、
しかも彼らの人間性は登場するに従い誠実さを示し出すと言う構成がなされている。
つまり、物語の展開のうちに、天上の人
<かぐや姫>に人間的情愛を徐々に呼び覚まさせて行く方法がとられたのである。
クライマックスは、天上と地上を対比させつつ貴族社会の人間を批判し、
「あはれ」と言う人間愛を主題とするドラマに仕立てられている。
「物語の出来はじめの祖」と呼ばれたゆえんである。
作者はは男性であろうと言うことの他は一切不明。
古くは<源順(みなもとのしたごう)>、
近代にいたって和歌の作風から
<僧正遍照(そうじょうへんじょう)>、
その関連から漢文体『竹取物語』を前提として
<空海>
、さらには紀氏周辺、あるいは斎部氏周辺の人物などが取り沙汰されてきた。
したがって、成立年代も特定はできないが、およそ『白氏文集(はくしもんじゅう)』伝来の
承和(じょうわ)(八四七)以後、和歌の歌風から
貞観(じょうがん)年間(八五九−八七六)、
さらには『古今集』撰進前後の
延喜(えんぎ)五年(九〇五)あたりまで、諸説入り乱れているというのが現状
鹿児島の宮之城にはかぐや姫の里があり、街路樹も竹林で風情が会った。
今日はなにか行事をやっているだろうか。
月々に月見る月は多けれど月見る月はこの月の月。
名月をとってくれとはわが子かな
月を愛でる民族の中でも日本の場合は文学や生活全般におよんでおり特異であろう。
月見の発祥は中国であり、アジア各地の収穫祭として受け継がれている。
日本ではススキの穂に団子が多いが、中国は月餅を備え、サトイモを食べる。
月をこれほどまで愛でる民族は日本民族だけであろう。
尤も中国から平安期の貴族に伝わり一般化して収穫を祝うなど全国化、庶民化しているので中国と違い日本では民族的なものとなったのであろう。
いつのころからか、月を見ると確かに左右に杵をもちウサギが餅を搗いていた。
農耕民族で米が主食たる我らの世代には、他国と違い、狼が吼える発想はない。
1969,7,21,5時17分36秒私は高校3年生であった。
アポロ11号の月着陸船イーグル号でアームストロング船長とオルドリンは名文句を残したが、確実にわれわれの夢を奪った。
サンタクロースの存在は、はしかと同じでいずれ通過する過程であり、個人差はあれ、
ショックはあれど奪われた夢の度合いは日本人には大きいものがある。
農作物の収穫祭として季節の果物や野菜を月に祭り、豊作を祈る風習とも関わり、今の時代でも
、
縁側や軒先にススキをはじめとした秋の七草や、月見団子、お神酒、里芋などを飾って
名月をめでます。
昔から里芋などをお供えしてたので、十五夜は別名「芋名月」ともいわれています。
地方や家庭によって、お月見の習慣はさまざまですが、まあるいお月様を見ながら、心までまあるくなりたいですね。
西都の地では,お供え物は持ち帰ってもよく夜遊びと、食べ物が、手に入るので、この日を楽しみにしていた幼児期であった。
日本の書き物で古いものは古事記、日本書紀の記紀か源氏物語を挙げると言うであろうが、
はたしてどうであろうか。
正解は1100年前の竹取物語<作者不詳> である。
あらすじ
今は昔の話、<竹取の翁>と呼ばれた男が野山で竹のなかにいる幼子をみつけてきた。
妻とふたりで大切に育てると、この娘はわずか三ヶ月でうつくしい女性に成長する。
噂を聞きつけた五人の貴公子が求婚するが、姫はそれぞれの貴公子達に当時極めて貴重な宝の品とされていた
難題物の提出を求めたものの、ことごとく失敗に終わることでこれらの求婚の一切を切り抜けることができた。
ついで、この姫への求婚話を聞きつけた時の<帝>にも求愛されるが、これも拒み抜き、心を慰め合う関係を続けていた。
<帝>との文のやりとりも三年の年月を数えた春、<かぐや姫>は月の都へ帰還する時期を知る。
中秋の名月の美しい八月十五夜、<帝>の命で都中の士(つわもの)たちに護衛されていたものの、なすすべなく彼女は昇天して行く。
悲しむ<帝>と<翁>には形見に不死の薬と天の羽衣、文が残されたが、<帝>は士たちを遣わして富士山ですべて焼かせてしまった。
<竹取の翁>が竹の中から幼子を発見し、富を得るという致富譚(ちふたん)
<かぐや姫>が三月で成人するという急成長譚、
求婚難題物と求婚者たちの名前に密接な関連を持たせながら、
それら求婚譚の顛末(てんまつ)を語りつつその最後に巧みな「落ち」が用意されて語源譚
となっている構造など、古物語の体裁を装いながら、
実は古代小説の始発に位置する作品として完成度の高い内容を誇っている。
求婚者の名前と難題物、さらには語源譚を一覧にしてみるとその構成の巧みさは際だつ。
? <石作皇子(いしつくりのみこ)>
−仏の御石の鉢−「はち(鉢・恥)を捨つ」
? <車持皇子(くらもちのみこ)>
−蓬莱の玉の枝−「玉(魂)さか(離)る」
? <右大臣阿部の御主人(うだいじんあべのみうし)>−火鼠の皮衣−
「あへ(あべ)なし」
〇 <大納言大伴御行(だいなごんおおとものみゆき)>−龍の頸の玉−「あな食べがた(難)」
?<中納言石(磯)上の麻呂
(ちゅうなごんいそのかみのまろ)>
−燕の子安貝−「かひ(甲斐・貝)あり」
くわえて、<かぐや姫>の昇天後、兵士たちに焼かせた「不死の薬」と「文」から、物語を締めくくる語源譚は、
駿河の国にある「天に近き」山を『富士の山』と呼ぶようになったと言う、地名起源伝説を記している。
このように、物語は求婚譚において求婚者を官位の順に並べながら、
しかも彼らの人間性は登場するに従い誠実さを示し出すと言う構成がなされている。
つまり、物語の展開のうちに、天上の人
<かぐや姫>に人間的情愛を徐々に呼び覚まさせて行く方法がとられたのである。
クライマックスは、天上と地上を対比させつつ貴族社会の人間を批判し、
「あはれ」と言う人間愛を主題とするドラマに仕立てられている。
「物語の出来はじめの祖」と呼ばれたゆえんである。
作者はは男性であろうと言うことの他は一切不明。
古くは<源順(みなもとのしたごう)>、
近代にいたって和歌の作風から
<僧正遍照(そうじょうへんじょう)>、
その関連から漢文体『竹取物語』を前提として
<空海>
、さらには紀氏周辺、あるいは斎部氏周辺の人物などが取り沙汰されてきた。
したがって、成立年代も特定はできないが、およそ『白氏文集(はくしもんじゅう)』伝来の
承和(じょうわ)(八四七)以後、和歌の歌風から
貞観(じょうがん)年間(八五九−八七六)、
さらには『古今集』撰進前後の
延喜(えんぎ)五年(九〇五)あたりまで、諸説入り乱れているというのが現状
鹿児島の宮之城にはかぐや姫の里があり、街路樹も竹林で風情が会った。
今日はなにか行事をやっているだろうか。
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