職人

2003年9月19日
時計は2時過ぎ、をまわっている。大雨である。
台風15号の余波であろう。
疾風怒涛の日であった。

末吉町の4,2KWのパネル挙げの日である。
8時30分現地着。

パネル,架台何にもない。
足場とにかくな〜んにもない。

不吉な予感が走る。
生殺与奪権をもつ大会社さんの現地研修の日である。

ここでお眼鏡にかなえば全ての仕事がもらえる
や、否や、の試金石なのである。


今日を迎える為どれだけ準備をしてきたことか。

第2陣、3陣工事部隊がつく。
朝の朝礼、注意がすむ。

私はそれどころではない。
終了後直ちに確かめる。

案の定である。
三股町の運送会社にあることがわかる。

私にはこの人の大きさがわからない。
朝の注意なにくそである。

先ず何からはじめなければならないのかさえわかっていないのである。
とにかく急ぐことである。

「せきやさん・・・」
私に同行を求める様な言い方も終わらぬうちに、

「お客さんが着ますので・・」

馬鹿な!、私は歯牙にもかけない。

組織は任務を決めて動いている。
私の仕事はお客さんの応対である。

一度に二つのこと、そんなもんではない。
誠心誠意は来客接待の基本である。

案の定お見えになる。
慌ててお茶の準備や説明、弁解を始める。

高鍋、宮崎、都城6名も見ておられる。
11時過ぎ、ようやく材料がつく。

心配したとおり、疑問が次々に発せられる。
冷や汗もん。

安全対策、合材を使った部材。・・・
宿題や即答でなんとかご理解を賜った。

そして結果は・・・・・
完全に諦めていた。///

「月曜日の10時はあいてますか。」

日にちを決めてあっていただくこととなった。
5KWの現場の説明である。

昼食時に急遽連絡して得た情報では雨である。
三時半ごろ心配したポッリが落ち始める。

夜は降水確率80パーセントであった。

40枚の剥がした瓦の内7ヵ所いまだはがしたまま。

瓦加工の専務のサンダーは焼けて1台は加熱で壊れてしまった。

専務は、私の辛辣な言葉でかわいそうである。
微粉末と轟音の中で全身汗まみれ。

加工のかわらは必死の早業の専務の手になり作業中である。

ところが不思議なことが起こった、

振らないのである。

5時頃お客さんの奥さんがお茶を持ってきていただいた。

末吉の町とかお客さんの住んでおられるところは、大雨だそうだ。

ところが振らない!

さぁ〜パネルをあげるぞ!
6時半お日様もお隠れで、お月様も出ていない。

電気を張っての作業の続行。あたりの型には申し訳ない。

苦情でのお方には、台風のことを説明して、ご了解をもらう。

8時に終了。

勤労は美徳の時代ではない。
いかに休むかの時代である。

亡国日本!
勤労なくして何が国の発展ぞ!

こんな日本に誰がしたのか。

古来日本人はとりわけ1945年廃墟の中から立ち上がれたのは、何か考えてみるがいい。

鉄の女サッチャーは英国病を、ジャパンをモデルに克服したことと照らし合わせるがいい。

家庭サービス、がない男は失格者である。???
休暇の無い会社には若者が求人しない。

国際化と言うマヤカシの美名の下、
労働条件の不公平の名を掲げ民族の特性さえかき消されている。

挙句の果ての日本の状況が
燦燦たる状況の現在ではないのか。

我がアパの職人集団は宮崎一の誇れる仲間だ。

台風の影響を考え、何一つ不満も無く、ただただ太陽光発電に取り組む仲間に感動さえ覚える。

働く日本人の美しい姿がある。
忘れ去られようとしている職人の世界がある。

小津映画は観ていないであろうこのメンバーしかし熱い心は持っている。

これこそが日本を支えてきた
世界で誇れるもものでははなかったのか。

誠心誠意やれば心は伝わる。

失敗ばかりの研修現場であったが、
仕事はいただけるかもしれない。

今日の教訓を明日に生かしていきたい。
アパをブランドにしたい。



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