モラトリアム

2003年9月22日
朝10時、都城の大企業さんに出向く。
三股の5KWの現場を見せてもらう。

アパでの施工OKの返事をもらう有難いことである。気を良くして松元本社にも行く。

帰りに迷子状態が、これがよかった。

欄干の銘版を見ると昭和45年3月竣工といつもの不思議な因縁つきの橋がある岩下橋だ。

蓼池の東の岩下橋のところから大淀川ごしに霧島連峰を見る。

一幅の名画を見る想いである。

農作業中の地元の人に聞いた。
草刈機を止めて教えてもらった。

涅槃の形だそうな。

キッチリと三角すいの鋭利な形が美しい。
それに雲がかかっている。

まさに霊峰の霧島連峰。

外の輪郭は横一線に直線にのび、2ツのポコポコは胸のことである。

鹿児島側からはこんなに美しく霧島の全貌は無理だ。

ここの夕日はどんなであろう。

先日に書いたが、紀元2600年の昭和15年を迎える14年。

全国の名立たる文筆家、文人が
神武天皇の聖地・高千穂が宮崎<西臼杵>か鹿児島かで二分し争った。

二度の鹿児島併合<美々津県>で『神話まで奪うな>と宮崎県民。

当初宮崎県庁が霧島説でまとめようとしたから火に油を注いだ。

この地で見れば、随分と違った結論になったかもしれない。

アパもいろいろと志向している面があるここ数ヶ月だ。

電話応対、対応が大変である。

メンテ会社の方からの電話を受けたのは山之口の道の駅で

山芋定食<麦飯、トロロ、味噌汁、沢庵、コンニャク2切れ>〆て850円なりをご相伴に及んでいたときである。

メンテの担当
「メーター計の取替え」
と言うだけで場所を聞いても知らない。

「山本とかわりますから」
私には誰かわからない。

「どちらさんですか?」
とトンチンカンな答えの私。

実は社長さんであったのだ。
携帯がどうも調子が悪く、近くの公衆電話に走る。

「今日中に、メーター器をとりかえてほしい。」
即座に返事をして、

時間、日にちは職人と話して2時間後か5時に、返事する旨で了解を得た。

『おれのところにもかおをだせ!」
と気さくな人柄のようである。

如何にか仕事がつながりそうである。

現地に飛び、店長さん、大家さんに会い夜7時に工事のやり直しを決める。

廣島さんに配線箱やり直しの現場に行くようお願いして、大家さんに説明して修理を済ませる。

若大将もきた。
この変化にアパの未来を感じる。

親会社の宮ガスから、専務も仕事をいただいてきたようだ。

この数ヶ月後は大変なものになるのかもしれない。

備えあれば憂いなし。
工事部隊の充実を急がなければならない。

食事をしながら廣島さんと意見交換。
一昨日も永井さんとも同じ話をしたところである。

他に何人か相談を進めておかなければ大変である。
立ち上げ期の悩みは尽きない。

先哲の教えが一番である。

今日の宮日紙に岩切章太郎氏のことが記事にあった。

「宮崎交通と私」なる17万ページからなる未発表の原稿の製本、発売のめどがついたとある。

インタビューアの産経大教授の渡辺綱友氏は元宮崎交通の社長であり。

延岡の旧家渡辺民三郎、<明治7年生。>が祖父で詩人渡辺修三が父ではなかろうか。

昭和45〜8年延岡で仕事をしていた頃探したがそのままにしていた

私のライフワークの一つでもある。

修三は小学3年生で徳富を迎えている。

「黒めがねをかけた大きな人だった。」渡辺修三著作集4に書いている。

西南戦争の大西郷の可愛嶽に多くの中央文化人が来たときは、渡辺家に寄宿した。

・・・・昔の本通に面し、小山神社の斜向かいに入り口がある。塀に囲まれ、正面には格子くくり・・・・・

祖父の時代大正2年徳富蘇峰、蘆花が泊まっている。・・・

渡辺家の前を流れる祝子川・・・

「こんもりとした木立は鎮守の宮の森であった。川は向こうへ行くほど深くなって、
それで青い水晶のように透き徹って居る。鮎かハエか数々の遊魚が時々腹をかえして居る。
なんと美しい水であろう。」
と書いた。

章太郎は12歳のとき、新渡戸稲造の

「日本一の豆腐屋になり、日本人の体力を高め体力を向上させ、世界で一流の日本にしたかった。」

との話に感銘し、必ず郷土宮崎に貢献することを誓った。

現大宮,一高,東大,<先日黒木知事の経歴とこんぜんとしていた>そして住友に入社。

なんとそのときの社長は鈴木馬左也社長<高鍋町出身>である。

1926年フォード社より4台でバス事業を始める。

1954年当時の極東航空<全日空の前身>と掛け合い宮崎空港を全国1のローカル空港にする。

岩切イズムは1975年37万0895組の
新婚さんを迎え頂点に達する。

国鉄総裁、全日空の社長の話を断る。
1983年5月8日なくなる。

私には以前書いたが温泉を避けた潔癖観光の破綻でしかなく、何も宮崎の父との賛辞は解せない。

太陽光発電を観光の目玉にすることは簡単なことだ。
名古屋博を見ればわかることだ。
環境博覧会となるようである。

同じ新聞記事だが、私の所蔵する本の著者が亦一人この世から去った。

大宅壮一まではいかないでも小此木啓吾は精神分析の手法で日本人の心理や行動を研究し言葉の造語で示した。

モラトリアム人間などの流行語を大衆化した。

70年代の若者を社会人としての当事者意識がなく大人への猶予期間と分析した著書の

「モラトリアム人間の時代」<78>や「燃え尽き症候群」で高度成長期の現代人の心理を分析。

「自己愛人間」「家庭のない家族の時代」の著書で豊富なフロイトから現代精神分析に精通して表した。

阿倍晋三<49>幹事長が記事にTVに小泉の思惑通りに踊っている。

其れもそうであろう。
私より若く華麗なる一族が活躍したのを十二分に知っているので、

自分の老いを実感させられるからである。

祖父岸信介「にっくきアンポの当事者」であり、父たる阿倍晋太郎、

叔父ノーベル賞総理佐藤栄作私が全ての時間をかけて対峙してきた青春の全てでもある。

お彼岸を迎えていることもあり、一抹の感慨をも持って人生をかみしめている。

年寄りの虚言は当たるものだ。
ユーモアと皮肉をこめて

太陽光発電を国策、県の瀬策の中心に置け!
全国一の日射量を生かすときである。


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