お彼岸
2003年9月23日夕日の赤いこと。
先祖様が呼んでいるように思われる。
急に肌寒い感の心地よい風のある一日は幼少時の幻影に帰する彼岸の終日。
秋の夕暮れ鎌をとげ。
暗くなってもまだ農作業である。
あかあかと 日はつれなくも 秋の風 芭蕉
幼少の頃は不安のみで過ごした紅い光の夕暮れの時期。
田舎の家は恐ろしかった。
家の中の薄暗さは魔物のすむとこで一人で家には居れなかった。
重苦しい空気は怖い思いのみにしか記憶は働かなかった覚えがある。
多感な私は死んだ袈裟助爺、
ワカ婆さんが両手を上げ、手首を曲げて妄想の中に出るのである。
窓のうえの唯一のガラスの明り取りの夕焼けの紅さは不気味で
残照の感情がなく眺めているのは恐怖感を忘れるだけのすべであった。
・・・・・・
大人の今感じる、もの悲しさ、大人のアニマル的な感情を「秋の風」からは感じ取ることを
知らず幼かった。
白い夕顔さえ幽霊の正体見たり枯れ尾花で恐怖の対象であった。
風呂は板塀で囲んだだけの野天の五右衛門風呂。
竹やぶが完璧な目隠しになってなく西側の羽目板が
一切に紅く染まるむこうを
村の人々が歩いているのさえ見えた初秋の夕暮れ。
井戸の中からお化けが出てきた・・・・
水を汲む釣瓶はギロチンの死刑台。
断頭台に消えるマリー・アントワネットである。
これまでの昼の残暑を思い出し、見た目の暑苦しさとうらはらの肌に触れる秋の風。
宗教がほしかった。幼いのに死をいつも考えていた
心身症の自分がいた。
悩み苦しむは宗教の課題、釈迦も立ち向かった数々の邪悪は瞑想に打ち勝ち仏陀となり得たのだ。
自らが自らを幸福になる為、
飾らず、殺生せず、うそをつかず、修行の中で、それは真理となった。
生きとし、いけるものは幸せであれ!の命題は時代に合わせた答えとなり、解脱しえて、
永遠に光を照らしている宗教たる仏教。
その象徴が床の間に祭られている。
私には先祖様の悲痛な叫び怨念にしか聞こえなかった。
死の霊の溜まり場である。
神棚には日清、日露の戦いの戦場のお守りの背嚢が飾られ
累々と横たわる日本人の魂が救いをを呼びかけていた。
一人夕暮れにいるとどこまでも深い淵に、引き込まれる。
生への不安と絶対孤独たる死への恐怖で包まれるのである。
秋の夕暮れは飽くまで怖さの裏返しでしかない記憶。
三つ子の魂百までである。
幼児体験は直すことはできぬようだ。
そしてすでに齢50代だ。
齢を重ねると、人としての退化をいわれる。
馬齢を重ねるとかのへりくだった表現どこではない。
「寄る年波には・・・」と年若いほど物覚えはよく飲み込みも早いのかの如く言うが
語学は15歳と50歳のおじさんは同じらしいようだ。
7才以下だと現地の仲間内と話に馴染むので覚えが早い。15歳から上は変わらない。
思考の回路、神経細胞のつなぎ目3〜4歳まで猛烈に発達する。
15歳でほぼ一定のままで一生を終える。
真実を世間に問いきれる術を持たない。
精悍さを柔和さも持たない孤独な姿が移る。
今に至っても在るか否かを問わないでいる。
埴谷雄高の存在を確認するが如きの観念論の話し何処ではない。
積み上げてきたものが一部欠け足る自分にゾッとする。
失ったものをどう取返すのか、
いつとはなしに忘れ去られていくしかないのか
それが悟りと言うのか。
新富町の蓮池をみながらも思索をめぐらす。
淡路島の本福寺<真言宗御室派>は01年完成した20世紀最高の建築。
建築家安藤忠雄の代表作。
三洋の創業者井植敏が寄進した。
檀家は斬新さに寺らしくないと拒否したが、大徳寺の90歳の立花大亀老師は即座に理解した。
本堂の水御堂は蓮池の下にある。
こんな建築物が何処にあろうか。
蓮池から階段で降りていくと、内陣は真っ赤に彩られ西日が差し込むと徐々に輝きを増し、
神々しい雰囲気に包まれる。
極楽浄土もかくやと思われる光景に自然と頭をたれる。
自然との共生である。
それもそのはず、淡路の洲本は
三洋、SANYOUの二次電池や太陽電池パネルの工場地のあるところ。
ちなみにシャープは奈良。
団塊の世代には思い出の一冊 坪井栄の
「24の瞳」を旺文社で読んだが小豆島の隣の島その舞台だ。
映画の田浦分教場へ向かう自転車先生はもちろん白黒で学校映画で観たが、ガキ大将の私も泣いた。
エェ〜とだれだったか。そう!田中裕子でなく、高峰秀子。
戦争の悲惨さはまるで理解できず、負けたことへの怒りでしかなかった。
いまだ理解できないのが、侘び、寂びと、絵心、うたごころ。
叡山まで修行し、克服した歌人虚子の世界もそうである。
遠山に 日のあたりたる 枯野かな
流れいく 大根の葉の 早さかな
冬枯れに われは佇み 人は行く 虚子
写生と自己抑制・自己投影の到達点。
自己から離れて大いなる風景、見事な客体化。
先人の歌に自分を見つめなおすに良い季節である。
墓参りには、土葬が常の頃であり、草取りの最中、
棺桶が朽ちド、ドッと土中下に落ちたときを思い出す。
あの時からすでに今日が予感されていたのであろうか。
とめる事もなく滑り落ちるスパイラル状況。
毎日生きていくのに必死であったこれまで。
「思えば遠くへ来たもんだ」。との歌はいまだ歌えない。
人はもとより世界中のものが理解できない。悔悟の涙。
日向の国は川端康成が「たまゆら」で描いた大淀川からの落日である。
大淀川の夕焼けは、ふるさとに向かい仰いでみた
西郷隆盛の心象風景でもある。
罠にかけそれに乗じて誅伐・・・
重ねあえる経験に学べるものは無いのか。
お彼岸の日の落日は私には耐え難いものがある。
艱難辛苦を汝に与えよ!と叫ばずとも、より以上の物を背負っている。
沈みそうで沈まぬ腐乱した物体がなにかわからぬものと同じなんであろう。
ガンジスに流れ行く亡骸と沐浴する風景が同居するのと同じである。
悠々たる時の流れ・・・
きわめて自然!アパもそれがいい。
幼少の折から今日まで物の怪が憑いたようで赤い夕日は私には似合わない。
瞑想しながらの私のたびは迷走し続ずくのであろうか。
迷走は地球環境だ。
オゾン・ホールが大きくなっている。
欲望が全てかなえられる今の生活、先進国文明は草晩、論理的帰結として行きずまり滅ぶ。
地球の再生能力の範囲で暮らしていたなら同じ暮らしを継続で来たのに取り返しのつかない状況。。
太陽光発電での再生範囲での生活、
とどまって、感傷的になっている暇はない。
がんばれ営業せきちゃん!
先祖様が呼んでいるように思われる。
急に肌寒い感の心地よい風のある一日は幼少時の幻影に帰する彼岸の終日。
秋の夕暮れ鎌をとげ。
暗くなってもまだ農作業である。
あかあかと 日はつれなくも 秋の風 芭蕉
幼少の頃は不安のみで過ごした紅い光の夕暮れの時期。
田舎の家は恐ろしかった。
家の中の薄暗さは魔物のすむとこで一人で家には居れなかった。
重苦しい空気は怖い思いのみにしか記憶は働かなかった覚えがある。
多感な私は死んだ袈裟助爺、
ワカ婆さんが両手を上げ、手首を曲げて妄想の中に出るのである。
窓のうえの唯一のガラスの明り取りの夕焼けの紅さは不気味で
残照の感情がなく眺めているのは恐怖感を忘れるだけのすべであった。
・・・・・・
大人の今感じる、もの悲しさ、大人のアニマル的な感情を「秋の風」からは感じ取ることを
知らず幼かった。
白い夕顔さえ幽霊の正体見たり枯れ尾花で恐怖の対象であった。
風呂は板塀で囲んだだけの野天の五右衛門風呂。
竹やぶが完璧な目隠しになってなく西側の羽目板が
一切に紅く染まるむこうを
村の人々が歩いているのさえ見えた初秋の夕暮れ。
井戸の中からお化けが出てきた・・・・
水を汲む釣瓶はギロチンの死刑台。
断頭台に消えるマリー・アントワネットである。
これまでの昼の残暑を思い出し、見た目の暑苦しさとうらはらの肌に触れる秋の風。
宗教がほしかった。幼いのに死をいつも考えていた
心身症の自分がいた。
悩み苦しむは宗教の課題、釈迦も立ち向かった数々の邪悪は瞑想に打ち勝ち仏陀となり得たのだ。
自らが自らを幸福になる為、
飾らず、殺生せず、うそをつかず、修行の中で、それは真理となった。
生きとし、いけるものは幸せであれ!の命題は時代に合わせた答えとなり、解脱しえて、
永遠に光を照らしている宗教たる仏教。
その象徴が床の間に祭られている。
私には先祖様の悲痛な叫び怨念にしか聞こえなかった。
死の霊の溜まり場である。
神棚には日清、日露の戦いの戦場のお守りの背嚢が飾られ
累々と横たわる日本人の魂が救いをを呼びかけていた。
一人夕暮れにいるとどこまでも深い淵に、引き込まれる。
生への不安と絶対孤独たる死への恐怖で包まれるのである。
秋の夕暮れは飽くまで怖さの裏返しでしかない記憶。
三つ子の魂百までである。
幼児体験は直すことはできぬようだ。
そしてすでに齢50代だ。
齢を重ねると、人としての退化をいわれる。
馬齢を重ねるとかのへりくだった表現どこではない。
「寄る年波には・・・」と年若いほど物覚えはよく飲み込みも早いのかの如く言うが
語学は15歳と50歳のおじさんは同じらしいようだ。
7才以下だと現地の仲間内と話に馴染むので覚えが早い。15歳から上は変わらない。
思考の回路、神経細胞のつなぎ目3〜4歳まで猛烈に発達する。
15歳でほぼ一定のままで一生を終える。
真実を世間に問いきれる術を持たない。
精悍さを柔和さも持たない孤独な姿が移る。
今に至っても在るか否かを問わないでいる。
埴谷雄高の存在を確認するが如きの観念論の話し何処ではない。
積み上げてきたものが一部欠け足る自分にゾッとする。
失ったものをどう取返すのか、
いつとはなしに忘れ去られていくしかないのか
それが悟りと言うのか。
新富町の蓮池をみながらも思索をめぐらす。
淡路島の本福寺<真言宗御室派>は01年完成した20世紀最高の建築。
建築家安藤忠雄の代表作。
三洋の創業者井植敏が寄進した。
檀家は斬新さに寺らしくないと拒否したが、大徳寺の90歳の立花大亀老師は即座に理解した。
本堂の水御堂は蓮池の下にある。
こんな建築物が何処にあろうか。
蓮池から階段で降りていくと、内陣は真っ赤に彩られ西日が差し込むと徐々に輝きを増し、
神々しい雰囲気に包まれる。
極楽浄土もかくやと思われる光景に自然と頭をたれる。
自然との共生である。
それもそのはず、淡路の洲本は
三洋、SANYOUの二次電池や太陽電池パネルの工場地のあるところ。
ちなみにシャープは奈良。
団塊の世代には思い出の一冊 坪井栄の
「24の瞳」を旺文社で読んだが小豆島の隣の島その舞台だ。
映画の田浦分教場へ向かう自転車先生はもちろん白黒で学校映画で観たが、ガキ大将の私も泣いた。
エェ〜とだれだったか。そう!田中裕子でなく、高峰秀子。
戦争の悲惨さはまるで理解できず、負けたことへの怒りでしかなかった。
いまだ理解できないのが、侘び、寂びと、絵心、うたごころ。
叡山まで修行し、克服した歌人虚子の世界もそうである。
遠山に 日のあたりたる 枯野かな
流れいく 大根の葉の 早さかな
冬枯れに われは佇み 人は行く 虚子
写生と自己抑制・自己投影の到達点。
自己から離れて大いなる風景、見事な客体化。
先人の歌に自分を見つめなおすに良い季節である。
墓参りには、土葬が常の頃であり、草取りの最中、
棺桶が朽ちド、ドッと土中下に落ちたときを思い出す。
あの時からすでに今日が予感されていたのであろうか。
とめる事もなく滑り落ちるスパイラル状況。
毎日生きていくのに必死であったこれまで。
「思えば遠くへ来たもんだ」。との歌はいまだ歌えない。
人はもとより世界中のものが理解できない。悔悟の涙。
日向の国は川端康成が「たまゆら」で描いた大淀川からの落日である。
大淀川の夕焼けは、ふるさとに向かい仰いでみた
西郷隆盛の心象風景でもある。
罠にかけそれに乗じて誅伐・・・
重ねあえる経験に学べるものは無いのか。
お彼岸の日の落日は私には耐え難いものがある。
艱難辛苦を汝に与えよ!と叫ばずとも、より以上の物を背負っている。
沈みそうで沈まぬ腐乱した物体がなにかわからぬものと同じなんであろう。
ガンジスに流れ行く亡骸と沐浴する風景が同居するのと同じである。
悠々たる時の流れ・・・
きわめて自然!アパもそれがいい。
幼少の折から今日まで物の怪が憑いたようで赤い夕日は私には似合わない。
瞑想しながらの私のたびは迷走し続ずくのであろうか。
迷走は地球環境だ。
オゾン・ホールが大きくなっている。
欲望が全てかなえられる今の生活、先進国文明は草晩、論理的帰結として行きずまり滅ぶ。
地球の再生能力の範囲で暮らしていたなら同じ暮らしを継続で来たのに取り返しのつかない状況。。
太陽光発電での再生範囲での生活、
とどまって、感傷的になっている暇はない。
がんばれ営業せきちゃん!
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