4月を新年度としたのは明治からの制度であろうか。
テレビ・ラジオの番組の改変期がくる。
最近は変なものでしょつちゅうNHKでも番組案内を流している。
長寿番組がどうなるのか気になる。
ラジオでは40年以上続いた「日曜名作座」が早々海老原NHK会長の英断で継続されることになった。 その英断やよし。
21時05〜21時35分♪♪タ〜ァララ、ラ・ララアァ♪との心地よいテーマ音楽は、誰しも一度は耳にされていることであろう。
かってなかった言葉であり、癒しそのもの。
国民的作曲家・古関裕二の面目若如。
実に2000回を越えているとのことである。
何故危ぶまれていたかというとこうだ。
この1月31日加藤道子(84歳)さんが亡くなられたからである。
NHK歌劇団の第一期生で、第一回紅白歌合戦の司会者でもあった。
森繁との会話は日本語のしゃべりの基本形。
喋りで生きてきた私は、会話術を学んだものである。
絶妙なる間の取り方、とりわけ反対意見を述べるときの、返しは参考にしたものである。
尤もこの第一回はTV放送のない頃ゆえ勿論ラジオである。
沖縄にいる森繁(90)さんには知らせられていないという。
番組を誰が続けるのか。後任の方が大変である。
消える番組は毎日放送の民放の最長寿の紀行番組が45年の歴史を終える。「真珠の小箱」が終了する。
「困る!」心配しなさんな。文化・情報無縁の宮崎は勿論放送されていないって。
軽薄世相の時代は若手タレントがレポートの騒ぎ立てるのみの温泉めぐりが紀行番組として跋扈している。
武者小路実篤、岡本太郎、東山魁夷といった各界の第一人者のみが、厳選された。
「陶芸家」の小学館全集の第一巻を飾った陶芸家・宮本憲一は私が、焼き物の私淑する一人である。
昭和,55年頃だったか岐阜の多治見を訪ねた。時の師が額を飾っておられ、お話を伺ったことがあるからである。
美濃剣山、・小品鉢の幻の人・・・日常器なら、美山(奥さん)あなたの使ってる茶わんの裏を見ると良い、。みなここの窯である。
宮崎小品盆栽会の規約を作り立ち上げたのは、私である。
小品の盆栽鉢の目利きは、私の手にかかったものである。
飾(しょく)飾り棚、を持ち込みレベルアップに貢献したものである。
500の小品盆栽を管理していたのは、宮崎のギネスのはず。
バーナード・リーチ(あの、リーチ氏である)と宮本憲一との、この番組での対話のときに、文化勲章の受章が決まったとのこと。
社会党は2度政権の座に付いた。村山以前の戦後すぐの社会党内閣ができたときは、片山哲が首相であった。
(いまの宮崎出身の福島瑞穂党首の社民党である。書記長はかっての仲間、富山出身の又市征二富山、鹿児島で議論したものである。)
諸派で作られている社会党の中でもクリスチャン政治家であった。
奈良・円照寺のことであったがあまりもの能弁で困ったとのことである。
この番組は、NHK「新日本紀行」の民間版。のグレードの高いもの。
一つ番組みを製作するのに3年間もかけて番組を作ったこともあるという。
奈良県・吉野山の桜の風景Iなどは前年から撮影するのだが、収録のためにはその亦前年となる。
渡辺博氏は2314回の番組全てにかかわってこられた方でその人の発言は含蓄がある。
そこいらの哲学者や和尚さんの説法、人生観何処ではない。
東大寺のお水取り、興福寺、唐招堤寺までの名場面、など貴重な映像となりそうである。
最初の9年間は静止画での番組であった。
写真で動かす映像がどれだけの職人技がいるのかは
我が、ア・レックスの日々の仕事でよくわかる。
ア・レックスは宮崎の映像のトップ集団である。
春・夏の高校球児の決勝はNHKが撮っているが、
他の試合は独占で我が、ア・レックスの仲間が、撮らさせていただいている。その苦労を知っているからである。
3/21でNHKの53期、将棋トーナメントは終了した。
決勝出場7回目で初めて羽生名人が負けたが、完敗であった。
久保利明は羽織袴の正装で名人は背広で気合の差が出た。
準決勝の谷川を破ってであり、コリャ本物。これは続く。
桜の花の季節である。
去るものと、出会うもの。報道の世界にもあるようである。
一期一会、ではAPAは成り立たない。
お客さん本意で末永いお付き合いをひたすら祈るのみ。
テレビ・ラジオの番組の改変期がくる。
最近は変なものでしょつちゅうNHKでも番組案内を流している。
長寿番組がどうなるのか気になる。
ラジオでは40年以上続いた「日曜名作座」が早々海老原NHK会長の英断で継続されることになった。 その英断やよし。
21時05〜21時35分♪♪タ〜ァララ、ラ・ララアァ♪との心地よいテーマ音楽は、誰しも一度は耳にされていることであろう。
かってなかった言葉であり、癒しそのもの。
国民的作曲家・古関裕二の面目若如。
実に2000回を越えているとのことである。
何故危ぶまれていたかというとこうだ。
この1月31日加藤道子(84歳)さんが亡くなられたからである。
NHK歌劇団の第一期生で、第一回紅白歌合戦の司会者でもあった。
森繁との会話は日本語のしゃべりの基本形。
喋りで生きてきた私は、会話術を学んだものである。
絶妙なる間の取り方、とりわけ反対意見を述べるときの、返しは参考にしたものである。
尤もこの第一回はTV放送のない頃ゆえ勿論ラジオである。
沖縄にいる森繁(90)さんには知らせられていないという。
番組を誰が続けるのか。後任の方が大変である。
消える番組は毎日放送の民放の最長寿の紀行番組が45年の歴史を終える。「真珠の小箱」が終了する。
「困る!」心配しなさんな。文化・情報無縁の宮崎は勿論放送されていないって。
軽薄世相の時代は若手タレントがレポートの騒ぎ立てるのみの温泉めぐりが紀行番組として跋扈している。
武者小路実篤、岡本太郎、東山魁夷といった各界の第一人者のみが、厳選された。
「陶芸家」の小学館全集の第一巻を飾った陶芸家・宮本憲一は私が、焼き物の私淑する一人である。
昭和,55年頃だったか岐阜の多治見を訪ねた。時の師が額を飾っておられ、お話を伺ったことがあるからである。
美濃剣山、・小品鉢の幻の人・・・日常器なら、美山(奥さん)あなたの使ってる茶わんの裏を見ると良い、。みなここの窯である。
宮崎小品盆栽会の規約を作り立ち上げたのは、私である。
小品の盆栽鉢の目利きは、私の手にかかったものである。
飾(しょく)飾り棚、を持ち込みレベルアップに貢献したものである。
500の小品盆栽を管理していたのは、宮崎のギネスのはず。
バーナード・リーチ(あの、リーチ氏である)と宮本憲一との、この番組での対話のときに、文化勲章の受章が決まったとのこと。
社会党は2度政権の座に付いた。村山以前の戦後すぐの社会党内閣ができたときは、片山哲が首相であった。
(いまの宮崎出身の福島瑞穂党首の社民党である。書記長はかっての仲間、富山出身の又市征二富山、鹿児島で議論したものである。)
諸派で作られている社会党の中でもクリスチャン政治家であった。
奈良・円照寺のことであったがあまりもの能弁で困ったとのことである。
この番組は、NHK「新日本紀行」の民間版。のグレードの高いもの。
一つ番組みを製作するのに3年間もかけて番組を作ったこともあるという。
奈良県・吉野山の桜の風景Iなどは前年から撮影するのだが、収録のためにはその亦前年となる。
渡辺博氏は2314回の番組全てにかかわってこられた方でその人の発言は含蓄がある。
そこいらの哲学者や和尚さんの説法、人生観何処ではない。
東大寺のお水取り、興福寺、唐招堤寺までの名場面、など貴重な映像となりそうである。
最初の9年間は静止画での番組であった。
写真で動かす映像がどれだけの職人技がいるのかは
我が、ア・レックスの日々の仕事でよくわかる。
ア・レックスは宮崎の映像のトップ集団である。
春・夏の高校球児の決勝はNHKが撮っているが、
他の試合は独占で我が、ア・レックスの仲間が、撮らさせていただいている。その苦労を知っているからである。
3/21でNHKの53期、将棋トーナメントは終了した。
決勝出場7回目で初めて羽生名人が負けたが、完敗であった。
久保利明は羽織袴の正装で名人は背広で気合の差が出た。
準決勝の谷川を破ってであり、コリャ本物。これは続く。
桜の花の季節である。
去るものと、出会うもの。報道の世界にもあるようである。
一期一会、ではAPAは成り立たない。
お客さん本意で末永いお付き合いをひたすら祈るのみ。
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