人差し指の思い出

2004年5月18日
6時に高千穂に向かい、参議院選挙の選挙事事務所開らきにいる。
上杉先生はかなり顔つきが変わっていた。

2時間あまり協議するも、申請はしない方向である。
私共の苦労はどうなるのかの経過、趣旨を述べる。

下期には申請したい
何とか幼稚園のみ申請をすることとした。

午後1時、不足する写真を屋根上より撮る。
大先輩と競争である。デジカメ2台。

ようやく理事長さんに合え、明日朝9時30分に足りない書類がいただけることとなった。

締め切りは、福岡に午後5時30分。
神業的綱渡り、はうまくいくのか。明日が怖い!

良くない電話続き。
高鍋より沼○さんのために多大な迷惑をしらサル。

明日からの仕事は中止。
西都に飛ぶ。

新築一軒を頂く。昨日と言い、ありがたい。
接待役を聞かれる電話に動揺。

車のドアで指をはさむ。
右手人差し指は致命傷。いまだいえぬ痛み。

P・Cも右ゆびで触れず、左一本。
深夜2時過ぎまで、申請書作り。

ファイル、ラベル準備なく夜買出し。
明日の現場が流れたので迫られる。

次を準備しようにも、昨日の現場は図面化してねぇ〜 
万事、準備せねばならぬ。

右手人差し指の痛みは中途半端ではない。
骨折であろうか。砕けてるのであろうか。

小指の思い出はロマンチックな曲にまでなったが、
人差し指は甘くない。

このような痛みを、私は知らない。
生活の支障が思いやられる。

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