一日中曇り状況の蒸し暑く、西都市では31,2度を記録したようだ。
夜12時すぎてから書くこの日記も夕方NHK落語を聞きながら書きはじめた。贔屓でない松鶴ゆえBGM代わりである。
ホタルは、風がなくて生暖かく、月明かりもない暗い夜には多く見られれる。
風の強い日や気温の低い日には草むらや木の葉に隠れてじっとしている。
また、人工灯があるような明るいところでは飛び交うことは少なくなる。
なるべく暗いところを好む。なお、雨の日にもなるとその数は激減。
ホタルを見る時は、晴れまたは曇りの日で、暖かく風が強くない日を選ぶのがよい。
成虫の活動は午後7:30〜9:00頃、午後12:00頃、翌朝の午前2:00頃と3回のピークがあり、
お互いに相手を見つけるため一生懸命光を放つ。
丁度、いまである。昨日から始まった高校総体の編集で多忙な
ア・レックスの映像の甲斐さんをホタル狩りに誘う。
5分と係らない山崎ホタルを見に行こうということである。
本来この時期には既に観心の時期は終了している。ここは、5月連休時がピーク。
電話で現地の愛好家宅で聞くとまだいるとの事である。
此処は古事記、日本書紀の言うところの
日向の橘の小門の阿波岐原である。
天照大神の生誕の地である。
「日本誕生」なる東宝のなにかの記念映画があった。稲垣浩 監督の3時間を越える大作であった。
西洋の「天地創造」に匹敵する国づくりの話であるからそうなるのであろう。
奄美大島出身の先代横綱朝潮太郎が手力王を演じた。天の岩戸に隠れられた天照大神を天のうずめの尊が誘い出す場面である。 それと国づくりを覚えている。
////
・・・・
『古事記』によれば、天津神に命を受けたイザナギ・イザナミ二人は、天浮橋に立ってアメノヌボコを降ろして混沌
をかき混ぜることにした。すると、矛の先から滴る潮から淤能碁呂島(オノゴロジマ)ができた。
二人はその島に天下って、天御柱(アメノミハシラ)と八尋殿(ヤヒロドノ)を建て夫婦となった。
最初に生まれたのは骨のないヒルコだった。悲しんだ二人は、ヒルコを葦の船に乗せて流してしまう。
ヒルコの漂着したところは兵庫県の西宮で現在、西宮エビスは
「恵比須」の字を使わず「蛭子」を使用している。
二神は本州、四国、九州など八つの島々を生んで国生みを終え、さらに風、水、海、山、草など次々に神を生んでい
く。その数35神である。
イザナギ・イザナミ神話は有名なのでここでは省略するが、イザナギは、日向の橘の小門の阿波岐原で、
けが穢れをみそ禊ぎによって落とした。そこから沢山の神が生まれるが、左目をすすぐと天照大神(アマテラスオオ
ミカミ)が右目をすすぐと月読命(ツクヨミミコト)が、鼻をすすぐと素戔嗚尊(スサノオ)が生まれた。・・・
映画はそれでは面白くないので景行天皇時代の全国制覇たる、熊襲、出雲、退治を三船敏郎が日本タケル、を演じ司
洋子が誰だったか・・・・・
///////
////////
おん池と林の間のせせらぎは整備され遊歩道も砂利が敷き詰められている。
大きな光だ、源氏ホタルのようである。水面上を飛んでるのは小さく平家ホタル、水もには実に小さい光どうやら三
種の種類がわかる。
世界中で約2000種、日本では約46種が記録されていて、夜行性と昼行性に分かれているそうだ。
幽玄なる光が暗闇に舞っている。百数十の光の乱舞。
一人はぐれ蛍を追っていくと何処までも水平に飛んでいく。
ナント記念碑には、くだんの古事記の言われの碑である。ハッとした。
久子の霊ではないのか。一瞬ブルット震えた。
そこいらの怪奇映画どころではない。慌てて一人が保てず、走ってみんなのもとえ。
よ〜く観察すると約2秒間隔でゆっくり一斉に明滅している。
ホタルは昔から変わることなく、見る人々に神秘的な光景を与え続けてきた
よく蚊帳に飛んできたものだった。
その中で無邪気に遊んだ。先祖様の霊であると兄たちは教えるまでもなく教えた。
私といえば熱で火事になると思ったものだが、その火災の怯えはなかった。
恐怖話も交えてたので怖いものではあった。
そして神棚におられる先祖様がお盆に帰られてこられた。
ホタルは何が何でも先祖様でなければ、ならなかったのだ。
少し早い真夏の夜の夢。
ホタル里の会と区長は兼ねてるとの事。
確かにそのほうが受け継がれて行ける知恵だ。
ポンプアップして水量不足を確保しておられるとの事。
会長さんと話してたら宮嵜のホタル博士たる長友国行さんは
昨年マムシに遣られたと言う。
今年のホタル会には参加されてないというが気がかりである。
再度NHKラジオを聞き日記を書いてる10時から11時
「最後のホタル」
小6のちはるの76歳のトキばあちゃん回想録
ナント具合がいい。先ほど視覚のホタルの聴覚のホタルである。
作は最上一平。1957年山形県生まれ。日本児童文学者協会会員。
「銀のうさぎ」で日本児童文学者協会新人賞受賞。その後日本児童文学者協会賞、新見南吉児童文学賞受賞。
「ホタル」と言葉が最初に記されたのは日本書紀(720年)で、平安時代にはすでに「螢」と呼ばれてた。
「ホタル」の由来は諸説がある。
1つ目は、「ホは火なり、タルは垂なり」ということで、ホタルは「火垂」、すなわち、火を垂れる虫。
2つ目は、「ホタルは尾端から火を垂れるのだ」と、昔の人は早合点して、火垂れ虫、ヒタレ、ホタレ、
ホタルという言葉が生まれてきたということである。
単なる駄洒落のたぐい。
ホタルの発光する部分は、表皮、発光細胞、気管、神経細胞、反射層からできている。
そして、光を出す発光細胞ではルシフェリンという物質と
ルシフェラーゼという酵素、さらに生物特有の物質である
アデノシン三燐酸、
それに微量のマグネシウムイオン、さらに酸素が反応して、
複雑な酸化反応が進む。
通常は、酸化反応が進むと熱を発するが、ホタルの場合は熱をほとんど伴うことなく光を発する。
発光細胞で発せられた光は、反射層によって反射され、効率よく、透明の表皮を透かして外へ放射されていると言
う。
このようなメカニズムでホタルは光りを出しているのですが、この光はいつも一定というわけではなく、明るくな
ったり、消えたりする。
つまり、明滅を繰り返すのですが、このメカニズムは極めて複雑なので、いまだその詳細は解明されていない。
現に本年もこの時期には飛んでないのに環境の変化ゆえ飛んでいる。
自然溢れる頃の残滓は今の社会では単なるノスタルジーどころか余計なもののようである。
地球環境の変化は、生活環境の変化。心の変化。
自然発電たる太陽光発電のように優しい光ではある。
井上赳作詞・下総皖一(埼玉県大利根町)作曲/文部省唱歌(三年)
http://www2.odn.ne.jp/hirobo/syoka/AutoSyoka/hotal.html
蛍(ほたる)のやどは川ばた楊(やなぎ)、
楊おぼろに夕やみ寄せて、
川の目高(めだか)が夢見る頃は、
ほ、ほ、ほたるが灯をともす。
川風そよぐ、楊もそよぐ、
そよぐ楊に蛍がゆれて、
山の三日月隠れる頃は、
ほ、ほ、ほたるが飛んで出る。
川原のおもは五月(さつき)の闇夜(やみよ)、
かなたこなたに友よび集(つど)い、
むれて蛍の大まり小まり、
ほ、ほ、ほたるが飛んで行
ほたるこい
わらべうた 詞・曲 不祥
ほう ほう ほたる…
夜12時すぎてから書くこの日記も夕方NHK落語を聞きながら書きはじめた。贔屓でない松鶴ゆえBGM代わりである。
ホタルは、風がなくて生暖かく、月明かりもない暗い夜には多く見られれる。
風の強い日や気温の低い日には草むらや木の葉に隠れてじっとしている。
また、人工灯があるような明るいところでは飛び交うことは少なくなる。
なるべく暗いところを好む。なお、雨の日にもなるとその数は激減。
ホタルを見る時は、晴れまたは曇りの日で、暖かく風が強くない日を選ぶのがよい。
成虫の活動は午後7:30〜9:00頃、午後12:00頃、翌朝の午前2:00頃と3回のピークがあり、
お互いに相手を見つけるため一生懸命光を放つ。
丁度、いまである。昨日から始まった高校総体の編集で多忙な
ア・レックスの映像の甲斐さんをホタル狩りに誘う。
5分と係らない山崎ホタルを見に行こうということである。
本来この時期には既に観心の時期は終了している。ここは、5月連休時がピーク。
電話で現地の愛好家宅で聞くとまだいるとの事である。
此処は古事記、日本書紀の言うところの
日向の橘の小門の阿波岐原である。
天照大神の生誕の地である。
「日本誕生」なる東宝のなにかの記念映画があった。稲垣浩 監督の3時間を越える大作であった。
西洋の「天地創造」に匹敵する国づくりの話であるからそうなるのであろう。
奄美大島出身の先代横綱朝潮太郎が手力王を演じた。天の岩戸に隠れられた天照大神を天のうずめの尊が誘い出す場面である。 それと国づくりを覚えている。
////
・・・・
『古事記』によれば、天津神に命を受けたイザナギ・イザナミ二人は、天浮橋に立ってアメノヌボコを降ろして混沌
をかき混ぜることにした。すると、矛の先から滴る潮から淤能碁呂島(オノゴロジマ)ができた。
二人はその島に天下って、天御柱(アメノミハシラ)と八尋殿(ヤヒロドノ)を建て夫婦となった。
最初に生まれたのは骨のないヒルコだった。悲しんだ二人は、ヒルコを葦の船に乗せて流してしまう。
ヒルコの漂着したところは兵庫県の西宮で現在、西宮エビスは
「恵比須」の字を使わず「蛭子」を使用している。
二神は本州、四国、九州など八つの島々を生んで国生みを終え、さらに風、水、海、山、草など次々に神を生んでい
く。その数35神である。
イザナギ・イザナミ神話は有名なのでここでは省略するが、イザナギは、日向の橘の小門の阿波岐原で、
けが穢れをみそ禊ぎによって落とした。そこから沢山の神が生まれるが、左目をすすぐと天照大神(アマテラスオオ
ミカミ)が右目をすすぐと月読命(ツクヨミミコト)が、鼻をすすぐと素戔嗚尊(スサノオ)が生まれた。・・・
映画はそれでは面白くないので景行天皇時代の全国制覇たる、熊襲、出雲、退治を三船敏郎が日本タケル、を演じ司
洋子が誰だったか・・・・・
///////
////////
おん池と林の間のせせらぎは整備され遊歩道も砂利が敷き詰められている。
大きな光だ、源氏ホタルのようである。水面上を飛んでるのは小さく平家ホタル、水もには実に小さい光どうやら三
種の種類がわかる。
世界中で約2000種、日本では約46種が記録されていて、夜行性と昼行性に分かれているそうだ。
幽玄なる光が暗闇に舞っている。百数十の光の乱舞。
一人はぐれ蛍を追っていくと何処までも水平に飛んでいく。
ナント記念碑には、くだんの古事記の言われの碑である。ハッとした。
久子の霊ではないのか。一瞬ブルット震えた。
そこいらの怪奇映画どころではない。慌てて一人が保てず、走ってみんなのもとえ。
よ〜く観察すると約2秒間隔でゆっくり一斉に明滅している。
ホタルは昔から変わることなく、見る人々に神秘的な光景を与え続けてきた
よく蚊帳に飛んできたものだった。
その中で無邪気に遊んだ。先祖様の霊であると兄たちは教えるまでもなく教えた。
私といえば熱で火事になると思ったものだが、その火災の怯えはなかった。
恐怖話も交えてたので怖いものではあった。
そして神棚におられる先祖様がお盆に帰られてこられた。
ホタルは何が何でも先祖様でなければ、ならなかったのだ。
少し早い真夏の夜の夢。
ホタル里の会と区長は兼ねてるとの事。
確かにそのほうが受け継がれて行ける知恵だ。
ポンプアップして水量不足を確保しておられるとの事。
会長さんと話してたら宮嵜のホタル博士たる長友国行さんは
昨年マムシに遣られたと言う。
今年のホタル会には参加されてないというが気がかりである。
再度NHKラジオを聞き日記を書いてる10時から11時
「最後のホタル」
小6のちはるの76歳のトキばあちゃん回想録
ナント具合がいい。先ほど視覚のホタルの聴覚のホタルである。
作は最上一平。1957年山形県生まれ。日本児童文学者協会会員。
「銀のうさぎ」で日本児童文学者協会新人賞受賞。その後日本児童文学者協会賞、新見南吉児童文学賞受賞。
「ホタル」と言葉が最初に記されたのは日本書紀(720年)で、平安時代にはすでに「螢」と呼ばれてた。
「ホタル」の由来は諸説がある。
1つ目は、「ホは火なり、タルは垂なり」ということで、ホタルは「火垂」、すなわち、火を垂れる虫。
2つ目は、「ホタルは尾端から火を垂れるのだ」と、昔の人は早合点して、火垂れ虫、ヒタレ、ホタレ、
ホタルという言葉が生まれてきたということである。
単なる駄洒落のたぐい。
ホタルの発光する部分は、表皮、発光細胞、気管、神経細胞、反射層からできている。
そして、光を出す発光細胞ではルシフェリンという物質と
ルシフェラーゼという酵素、さらに生物特有の物質である
アデノシン三燐酸、
それに微量のマグネシウムイオン、さらに酸素が反応して、
複雑な酸化反応が進む。
通常は、酸化反応が進むと熱を発するが、ホタルの場合は熱をほとんど伴うことなく光を発する。
発光細胞で発せられた光は、反射層によって反射され、効率よく、透明の表皮を透かして外へ放射されていると言
う。
このようなメカニズムでホタルは光りを出しているのですが、この光はいつも一定というわけではなく、明るくな
ったり、消えたりする。
つまり、明滅を繰り返すのですが、このメカニズムは極めて複雑なので、いまだその詳細は解明されていない。
現に本年もこの時期には飛んでないのに環境の変化ゆえ飛んでいる。
自然溢れる頃の残滓は今の社会では単なるノスタルジーどころか余計なもののようである。
地球環境の変化は、生活環境の変化。心の変化。
自然発電たる太陽光発電のように優しい光ではある。
井上赳作詞・下総皖一(埼玉県大利根町)作曲/文部省唱歌(三年)
http://www2.odn.ne.jp/hirobo/syoka/AutoSyoka/hotal.html
蛍(ほたる)のやどは川ばた楊(やなぎ)、
楊おぼろに夕やみ寄せて、
川の目高(めだか)が夢見る頃は、
ほ、ほ、ほたるが灯をともす。
川風そよぐ、楊もそよぐ、
そよぐ楊に蛍がゆれて、
山の三日月隠れる頃は、
ほ、ほ、ほたるが飛んで出る。
川原のおもは五月(さつき)の闇夜(やみよ)、
かなたこなたに友よび集(つど)い、
むれて蛍の大まり小まり、
ほ、ほ、ほたるが飛んで行
ほたるこい
わらべうた 詞・曲 不祥
ほう ほう ほたる…
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