ひむか・おひさま共和国
2004年6月5日朝日新聞の記事を見て太陽光発電セミナーに参加した。
ひむか・おひさま共和国
会場の西都原「このはなかん」では不愉快な思いをした。
「業者は参加できません。」
一般参加を募集していたのにである。
昨年発足時の電話問い合わせのときの返事もそうであった。
その志やよし。組織を維持運営するのはたやすくない。
宮崎小品盆栽会、宮崎落語会と事務局長で組織を作った苦労を思い出す。
音楽同好会での慰問は200回を超え司会の大役を全てこなした。
確かに業者の扱いは難しかろう。
しかし会場に居る2業者はなんなんだ。
それぞれ複数の社員で出展している。
うら若き組織者が陥りやすい暴君ぶりを,ふかしているだけである。
気付かないであろうが、どう見ても説明付かない。
指導者のお目にかかったものはお許しが出、出展でき
私どもAPAは業者のレッテルで会員登録もできないという。
どこに地球にやさしく人に優しくが出てるというのか。この偽善者!
悠久の地球歴史を語り、守り抜くには心もとない門番が居るものである。
そのような了見では地球は守りきれない。
マスコミ等で持ち上げられるので、他者の視点はこの人には無い。
無我夢中であるんであろう。
大統領様は帰りしな自らお声を頂き、救われた思い出あった。
太陽光発電には政治党派をも利害も考慮から外れねば発展しない。
大海心の心根無くして環境を守るいい仕事が何ぞできようぞ。
はなこころ、うたごころ所詮組織人の人格にかかわっているようだと思える。
組織のよしあし、そのファクターに必要なもののようだ。
わがAPAには聖人君子たる幼児の如く清らかなる心を持っている
専務が居る。
エェッ!いつも日記に出てくる人!?
そう。あの人が居ればこそAPAの社会的正義は守られている。
高貴な人格は育ちから来るもののようで修行してなれるものではない。
卑しさは直らない。
昨日5百円の硬貨でオロナミンの自動販売機で2本買おうとした。
ところがどうだ。止まらなく出てくるドラえもんのポケットみたいの
オロナミン。
押したのは2本である。お釣りは340円出てる。
私の計算では380円で無いといけなかった。
どうゆう計算かわからないが110円×2は220円でお釣は280円でなく380円なのだ。
大丈夫かなせきやんさんのオッサン!
大先輩に戦利品の報告。
「これって窃盗ですか?」
「故障でしょう?」
これには尾ひれがある。
花しょうぶを見ながらAPAの急遽営業会議。
しばらくして、くだんの自動販売機傍を通っているとナント頭をひねりながら大塚製薬の社員が自販機を修理している。
36計逃げるにしかり。
ポケットに放り込みスタコラ、スタコラ。
怖いったらありゃしない。
何十年ぶりのスリルを味わった。
これ!オフレコですぞ!
そして今日の、なのはなかん。
頼んだ雑炊でなく菜の花定食である。
違ってるが食べていいのか聞くと平謝り。
ジュースのサービスつきで店長さん含めお詫びで困った。
でも600円でなく800円はしっかり払いましたのでこれは
そう罪悪感はない。ジュースを儲けただけ。
いずれに城卑しい身分が出てる。
お里が知れようというものぞ。
わが専務は絶対それはない。
ここいらに育ちの差が出るのである。
ホント、お恥ずかしい。
まちがいやつきはひがしにひはにしに。
花を愛でる人になりたい。あわよくば一句詠みたい。
夕顔の花を見たとき源氏物語の夕顔を思い浮かべますか。
正岡子規はあえてそういう知識を無視して夕顔の花自身を観察せよと主張した。
いわゆる子規の言う写生である。
それに対して弟子たる高浜虚子は
「それは名所旧跡から歴史的空想をとる物だ。」
と強く反論した。
さてどちらがいいのか。この夕顔の花論争が語り継がれるいわゆる道灌山事件の伏線にある。
上野道灌山に虚子を呼んだ
子規が
「自分の後継者となれ」
と師匠たる子規は迫るが虚子はそれを辞退した。
子規は芭蕉が生涯につくった1千句のうち僅かによい句は200ばかりであるといっている。
俳句革新にかける子規と芭蕉の俳諧を深めようとする
弟子虚子との激しい確執。
子規が没した後、虚子は「ホトトギス」を継承するが
子規亡き「ホトトギス」は売れ行き不振の窮状に陥った。
近代俳句は虚子と河東碧梧桐が対立し、覇を競った。
敵対しつつもホトトギス維持のため500円をも斡旋した。
そして2年後に漱石の「吾輩は猫であえる」」が連載されると
「ホトトギス」は爆発的に売れ行きで借金を返した。
心の琴線を震わせ鴟尾を打つ。
太陽光発電の仲間はこうでなくっちゃ。了見の狭いことではいけない。
食洗機取付け、パネル剥がしにと二つの現場。天候は極めて不安定。
ひたすら天気負かせ。神の存在を感じる毎日である。
仕事は人を育て造る。身分仕事に貴賎なし。
ひむか・おひさま共和国
会場の西都原「このはなかん」では不愉快な思いをした。
「業者は参加できません。」
一般参加を募集していたのにである。
昨年発足時の電話問い合わせのときの返事もそうであった。
その志やよし。組織を維持運営するのはたやすくない。
宮崎小品盆栽会、宮崎落語会と事務局長で組織を作った苦労を思い出す。
音楽同好会での慰問は200回を超え司会の大役を全てこなした。
確かに業者の扱いは難しかろう。
しかし会場に居る2業者はなんなんだ。
それぞれ複数の社員で出展している。
うら若き組織者が陥りやすい暴君ぶりを,ふかしているだけである。
気付かないであろうが、どう見ても説明付かない。
指導者のお目にかかったものはお許しが出、出展でき
私どもAPAは業者のレッテルで会員登録もできないという。
どこに地球にやさしく人に優しくが出てるというのか。この偽善者!
悠久の地球歴史を語り、守り抜くには心もとない門番が居るものである。
そのような了見では地球は守りきれない。
マスコミ等で持ち上げられるので、他者の視点はこの人には無い。
無我夢中であるんであろう。
大統領様は帰りしな自らお声を頂き、救われた思い出あった。
太陽光発電には政治党派をも利害も考慮から外れねば発展しない。
大海心の心根無くして環境を守るいい仕事が何ぞできようぞ。
はなこころ、うたごころ所詮組織人の人格にかかわっているようだと思える。
組織のよしあし、そのファクターに必要なもののようだ。
わがAPAには聖人君子たる幼児の如く清らかなる心を持っている
専務が居る。
エェッ!いつも日記に出てくる人!?
そう。あの人が居ればこそAPAの社会的正義は守られている。
高貴な人格は育ちから来るもののようで修行してなれるものではない。
卑しさは直らない。
昨日5百円の硬貨でオロナミンの自動販売機で2本買おうとした。
ところがどうだ。止まらなく出てくるドラえもんのポケットみたいの
オロナミン。
押したのは2本である。お釣りは340円出てる。
私の計算では380円で無いといけなかった。
どうゆう計算かわからないが110円×2は220円でお釣は280円でなく380円なのだ。
大丈夫かなせきやんさんのオッサン!
大先輩に戦利品の報告。
「これって窃盗ですか?」
「故障でしょう?」
これには尾ひれがある。
花しょうぶを見ながらAPAの急遽営業会議。
しばらくして、くだんの自動販売機傍を通っているとナント頭をひねりながら大塚製薬の社員が自販機を修理している。
36計逃げるにしかり。
ポケットに放り込みスタコラ、スタコラ。
怖いったらありゃしない。
何十年ぶりのスリルを味わった。
これ!オフレコですぞ!
そして今日の、なのはなかん。
頼んだ雑炊でなく菜の花定食である。
違ってるが食べていいのか聞くと平謝り。
ジュースのサービスつきで店長さん含めお詫びで困った。
でも600円でなく800円はしっかり払いましたのでこれは
そう罪悪感はない。ジュースを儲けただけ。
いずれに城卑しい身分が出てる。
お里が知れようというものぞ。
わが専務は絶対それはない。
ここいらに育ちの差が出るのである。
ホント、お恥ずかしい。
まちがいやつきはひがしにひはにしに。
花を愛でる人になりたい。あわよくば一句詠みたい。
夕顔の花を見たとき源氏物語の夕顔を思い浮かべますか。
正岡子規はあえてそういう知識を無視して夕顔の花自身を観察せよと主張した。
いわゆる子規の言う写生である。
それに対して弟子たる高浜虚子は
「それは名所旧跡から歴史的空想をとる物だ。」
と強く反論した。
さてどちらがいいのか。この夕顔の花論争が語り継がれるいわゆる道灌山事件の伏線にある。
上野道灌山に虚子を呼んだ
子規が
「自分の後継者となれ」
と師匠たる子規は迫るが虚子はそれを辞退した。
子規は芭蕉が生涯につくった1千句のうち僅かによい句は200ばかりであるといっている。
俳句革新にかける子規と芭蕉の俳諧を深めようとする
弟子虚子との激しい確執。
子規が没した後、虚子は「ホトトギス」を継承するが
子規亡き「ホトトギス」は売れ行き不振の窮状に陥った。
近代俳句は虚子と河東碧梧桐が対立し、覇を競った。
敵対しつつもホトトギス維持のため500円をも斡旋した。
そして2年後に漱石の「吾輩は猫であえる」」が連載されると
「ホトトギス」は爆発的に売れ行きで借金を返した。
心の琴線を震わせ鴟尾を打つ。
太陽光発電の仲間はこうでなくっちゃ。了見の狭いことではいけない。
食洗機取付け、パネル剥がしにと二つの現場。天候は極めて不安定。
ひたすら天気負かせ。神の存在を感じる毎日である。
仕事は人を育て造る。身分仕事に貴賎なし。
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