吠える

2004年6月10日
鹿児島に向かうにあたり、何やら協議のご様子。
問い合わせもあり近辺不在の専務に電話をする。

携帯屋さんの回し者ではないのかと思えるほどの無駄なる携帯使用
回数。反省はまったくない,のは凄く当たり前。

信じられぬ状況はまさに病的である。
「レンタカーにいる」

社の車が空いてないので、若い者に行かせず、自らやっている。
一生懸命は伝わるが私の叱責をかうばかりである。

社の上下関係もこれでは決まりが悪い。
「ナに考えてる。現場の家に入れとけばいい!」

素直でないのはいつもゆえ途中で携帯を切る。経費の無駄縮小。
元請さん、大工さんの了解を経て、
「これにて一件落着!」

どうもこうも毎日会話の激昂調では終末状況ではないのか。
課長さんが会いたい旨の電話。

そりゃ〜よくない話に決まってるわ〜。
先日先方での専務と私の場面、わが社に8日にはわざわざご来社。

「青島75枚の太陽光発電所の仕事振りをみてAPAとの取引を決める。」

このくらいが精一杯の妥協の線であった。
かわいそうな営業せきやんさん!
孤軍奮闘!孤立無援。・・・帰社後の愚痴にも誰もついてきてくれぬ

請求書の値切り交渉も専務審査後であり困難を極める。
門柱の補修のくだんの件の問い合わせ。昨日修理完了でよかった。

兎にも角にもこのようなことの繰り返し。
自分で仕事のルートを創ればいい。

私のお客さんによってタカっていじりまわすのはやめてほしい。
皆が収入源たる仕事をとって来るしかないであろう。

職人さんの行事を皆で埋めなくっちゃ。
これでは、流石に疲れてしまうワイナ〜。

市内整形病院の新築にはコリャのるわ〜。
図面をコピーし呼びかけるが、気勢はあがらぬ。

受注の喜びもへったくれでしかない。

エコキュート5件は×返却。
「また申し込むしかないわな〜」

このスタンスがいい。
これに限る。

議論する気力さえ沸かない虚脱状態の私。初めてのことである。
どうしようというのか。

心配さえ沸かぬのか。
又私のお詫び行脚。仕事が出来ぬぞ。

延べ何日になろうか。
一般業務にどれだけ響こうぞ。

会社に泊まり込んでのネット・サーフィン、てアリなんだろうか。
明け方とかに一人になると、ふと「オレは何をやっているんだろう」って気持ちになる。

己の歩く・歩んできた人生の、展望し・振り返り、今この瞬間はどこに位置するんだろうとかフッとよぎる。

徹夜すると身体が温まらずに、冷え暖房エアコンに頼る。
この時期にである。どこか可笑しい。

何時まで続くのか解らない。
どうも、このままの状況ではどうしようも行けない。
早く手を打たねばならぬ。

萩原朔太郎

『月に吠える』

  さびしい人格

さびしい人格が私の友を呼ぶ、
わが見知らぬ友よ、早くきたれ、

ここの古い椅子(いす)に腰をかけて、二人でしづかに話してゐよう、
なにも悲しむことなく、きみと私でしづかな幸福な日をくらさう、

遠い公園のしづかな噴水の音をきいて居よう、
しづかに、しづかに、二人でかうして抱き合つて居よう、

母にも父にも兄弟にも遠くはなれて、
母にも父にも知らない孤児の心をむすび合はさう、

ありとあらゆる人間の生活(らいふ)の中で、
おまへと私だけの生活について話し合はう

まづしいたよりない、二人だけの秘密の生活について、
ああ、その言葉は秋の落葉のやうに、そうそうとして膝(ひざ)の上にも散つてくるではないか。

わたしの胸は、かよわい病気したをさな児の胸のやうだ。
わたしの心は恐れにふるえる、せつない、せつない、熱情のうるみに燃えるやうだ。

ああいつかも、私は高い山の上へ登つて行つた、
けはしい坂路をあふぎながら、虫けらのやうにあこがれて登つて行つた、

山の絶頂に立つたとき、虫けらはさびしい涙をながした。
あふげば、ぼうぼうたる草むらの山頂で、おほきな白つぽい雲がながれてゐた。

自然はどこでも私を苦しくする、
そして人情は私を陰鬱にする、

むしろ私はにぎやかな都会の公園を歩きつかれて、
とある寂しい木蔭に椅子をみつけるのが好きだ、
ぼんやりした心で空を見てゐるのが好きだ、

ああ、都会の空をとほく悲しくながれてゆく煤煙、
またその建築の屋根をこえて、はるかに小さくつばめの飛んで行く姿を見るのが好きだ。

よにもさびしい私の人格が、
おほきな声で見知らぬ友をよんで居る、
わたしの卑屈な不思議な人格が、
鴉(からす)のやうなみすぼらしい様子をして、
人気のない冬枯れの椅子の片隅にふるえて居る。

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