6月23日の日記

2004年6月23日
迫り来る強迫観念!
死をやりとりして出陣する弱気な初陣武将はこのような気持ちであったのだろうか。

武の神たる八幡様に祈願し厄を払う。
人生を決める運命の時は己の人生の上で、そう多くはない。

縁日、よき日を選ぶのは凄く当然のことであろう。」
憑き物たる目に見えぬものの怖さを祓う宗教行為が生活行為になっている。

生命への畏敬の念、罰があたるとの認識の中、総てが目に見えない憑き物の怖さである。

無理強いに例えるならば、劇場で幕くがあがる前の心境に似たものか。
自由の剥奪ほど怖いものはない。

暴力装置たる国家の本性が牙を抜かんとしている。
恐怖に慄き、生きてる心地がしない。えにいえぬ強迫観念!

マスコミなるエセ言論機関がこれに加わり拍車をかける。テレビ界のワイドショウーでお茶の間の話題。

事件の概要として社会的一件落着。
ノド元すぎればである。

現代日本の構図である。
当事者はどうなっていくのかことはない。

根源の代のごとき月のぼりきて我の一生洗はれいくか

日向なる山河いつしかふるさととなりたり尾鈴の遠嶺にむかう

志垣澄幸は宮崎の歌人。昭和9年台湾生まれ。青磁社より全集を出した。「丸木船」を見たことがある。
40年に「生きる日に」を出判しているがわたしは残念ながら知らない。

思い込みは行けない。所謂、鬱状態。ブルーになる現象のことである。
所謂、鬱状態。

これで言い訳がない。

覇気がない。
本音を語らず自分のモチベーション果たさねば。

後は人の言うにまかせろ!

日記環境を変えてみよう。転機になるのかも。
迷いなき年月を耐え忍ぶ為に清くしよう。

今のところはここまでで終わっている。
大過なく・・言葉の意味がわかってきた瞬間である。

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