今・昔

2004年7月24日
長州産業さんの営業攻勢である。
確かにすばらしい発電量のパネルである。

狭い屋根にはもってこいだが単価が高いので
採算性が問題である。

36度の熱波の気象状況下、清武町パネル36枚を僅か一日で上げた。
藤元発電所の完成である。

朝の部材探しで必死になったのが功を奏したようである。
宮運のおばちゃん「着いてない」は酷いでしょう!

その遅れを取り戻しての完成は流石である。
わがAPAスタッフには間違いはない。日本一の集団である。

昨日から弓〇さんなる19歳の将来あるスタッフも加わっている。
純でシャイでAPAにも気性が合いそうである。

少しは斎〇さんの負担も減りそうである。
〇藤さんは山口県小野田市で施工研修を受けてる。

山口の地は私の人生の出発地。
この大和町に居を構え・・・青雲寮・・・鉄道用地を買いに西走した。
高千穂線、長崎北線{喜々津〜浦上}を完成させたものである。

国鉄一家はこのころ社会慣習としての最も強い絆。
地位の象徴たるグリーン・パスで全国何処でも特等席のグリーン車で

出張出来た。
普通車にこっそりのり、検札のときにパスを出すと車掌はあわててグリーンの空きを探し丁重に準備していただいたものである。

よき時代!ノスタルジー。

郷里での甘い生活を夢見て引き上げたが夢破れての今を見るにつけ、
あのままの生活が良かったようである。

天皇側近の大内家、石舟の庭、五重塔の瑠璃光寺を今に残し小京都を造営した。

豊後の大友家を通じて日向の48城の本城たる都於郡城の主,
従三位の伊東家にも連なる。

長州は明治維新の立役者。また異文化を支えた。
ザビエル祈念堂はその後焼失したが再建されたようでもある。

私は山口市内にある焼失前のこの古式な堂で絶対善たる神に対峙し、
一生を社会改革に賭ける事を誓った。

歴代総理輩出NO1の県でもある。

http://www.kantei.go.jp/jp/rekidai/ichiran.html

そのときのこの地の歴史認識は残念ながらない。

カルチェラタンから始まる世界改革の時代が生んだものもあったが、
革命思想に燃えていた故である。

社会改革の全国大会にもこの地の湯田であった。
73年ごろであったろうか。

さらに、湯田は維新前夜の7公卿の都落ちの大宰府途中の避難場所でもある。
また、寺内ビリケン首相の生地をこの地の田園集落の中に見た。

何が縁か息子はこの大学を選びこの地に就職した。
長男たる秀成は何処の学校で教鞭をとってることやら。

中原中也記念館には私の足跡を記したものがあるはず。
まさに「汚れちまった悲しみに」の現在の心境である。

山口県豊浦町 響灘沖あい2KMに浮かぶ無人の4島、その厚島の小島の
石島を孤留島という。

その名の由来たるピアニストのアルフレッド・コルトーの逸話を弟子たちが掘り起こした。

52年10月9日川棚村の川棚観光ホテルに3日宿泊。
厚島に目ゐ奪われて、魅せられ

「うつくしい!」
「あの島を譲ってほしい」

山本勝康村長は
「無償で差し上げましょう」

名は孤留島と約束。
75才のコルトーは帰国後62年に亡くなる。

コルトーがパリに設立したエコール・ノルマル音楽院では夢の島として話が残っていった。

アンリ・ウジェル校長の依頼を受けた中沖玲子日本人教授は
カワタナを頼りに捜し歩く。昨年現地を見つけた。

山田忍70歳はコルトーの弟子。

「僕の名をつけた島があるんだ」
「日本に夢の島がある。もう一度行くきたい。」

と楽しそうにはしてるのを聞いたと証言している。

このようにパリの香漂う川棚は、山でん下関市内バスの最終地でよく
利用した。
海水浴場に加え名湯があったものだ。

海水浴といえば、不条理作家のカフカに想いをよする。
没後80年であるがテーマは新鮮である。

プラハのモルダウ河畔の泳ぎの内陸部たるプラハから念願の海辺へ。
川棚にくればバルト海よろしく泳いだものであろう。

カフカのことばを借りた日記を見たことがある。
人間の醜いものとして短気と怠惰をあげてた日記である。

「審判」は私の人生を垣間見るようなもの。
カフカの私的事情を映し出している。

私がこのPTSの病いもちになったのもこの縁かもしれない。
簡単には死ねない。

自殺者3万4427人。。自分を責め・・疲れた・・となるのであろう。
まずは、不眠症から始まるようである。

どうやら条件はピッタリ。
ドッコイ!ま〜だ生きてやる!

WHOの調べでは10万人当たりの自殺者。
日本   25人
フランス 17人
ドイツ  14人
米国   11人
イタリア 7人
イギリス 7人
数値はグラフよりの読み取りで正確ではない。朝日紙22日。

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