ここんとこにないお盆の日はよきお湿りの日であった。
縁らぬ末弟を想っての姉の涙雨・敗戦の英霊の涙・
九州最後の甲子園球児たる佐土原ナインの汗混じりの涙。
いや・・ご先祖・・父母の不肖なる息子を想いての慟哭の雨であろう
コンだけ揃えば雨の一つは降るワイナ〜。
吹き抜ける夜風は恐怖で体が律してしまいそうである。
死者がよみがえるる恐怖が幽霊となり、
この生臭い風が怖かったものである。
さらなる抱える悩みが恐怖心さえ超越して因果話さえ恐れるぬ心に
やましさをもつものになっているのであろうか。
美浜原発の事故で揺れる日本の遙かなたのアルプスが国土の6割を占めるスイス。
世界遺産の文化遺産が4、自然遺産が2つを数える。
この美しき世界の避暑地にはアラン・ドロンやソフィア・ローレン、
ジャンヌ・モロー、ミハエル・シューマッハ、
フィル・コリンズやデヴィット・ボウイなど今も多くの有名人がスイスに暮らす。
かつてのヘップバーンやチャップリン、ヘッセがそうだったように、
ニーチェやブラームス、トーマス・マンなど、雄大な大自然に
インスピレーションの源泉を見いだしたように
誰もが穏やかな安らぎの時をスイスに求めてやってくる。
10数年前にユングラフ登山の帰りは今では夢の世界で
2時間余りをハイジの世界を徒歩で下山した。
首に鈴をつけた牛がお供となったりのハプニング。
エーデル・ワイスの種子を密かに持ち込んだものであった。
このような中のスイスで原発の技術がこの国で造られている。
ウラン濃縮に使う遠心分離器にかかせない技術のひとつが真空を作り
出す事業である。
超高速で回転する円筒が空気との摩擦で過熱しないよう容器の中を真空にしておく必要があるからだ。
スシス・ライン川峡谷の真空の谷にその企業が立地する。
スイスのイタリア語圏であるティチーノ州の中心的存在のLUGANO。
イタリアのミラノにちかい。
サン・ジョルジオ山 は2003年7月に貴重な化石の宝庫で世界自然遺産に選ばれたことでも注目を集めた。
アイガ、メンヒ、ユングラフそのアレッチ氷河 を抱え360°の
パノラマ 。
グランデ野外劇場でのロカルノ映画祭はつとに有名である。
その映画祭で14日市川準監督の「トニー滝谷」でスイス・ロカルノ国際映画祭の審査員特別賞を受賞したとの報道がなされた。
詳しくは
http://www.mainichi-msn.co.jp/geinou/cinema/news/20040816k0000m040004000c.html
あらすじ
http://www.eiga.com/buzz/031007/12.shtml
そして出演者の名に・・、宮沢りえ、・・をみいだす。
最近はつとに各映画賞に名を連ねる原節子を超える大女優である。
お盆である。この人と宮崎はナンカ因果を感ずる。
国策から地元高鍋での甲類焼酎の宝酒造の復活は擂リ
りんご、
缶チュウハイのCMはこの人でなされ焼酎ブームに火がついた。
ナンタッテ貴乃花を奪い取った宮崎美人の景子との確執。
そういえば実家の火災は昨年であった。
黒木和雄監督の「TOMORROW/明日88年、」「美しい夏03年」
は全国ロードとはならなかった。
「大手は戦争映画に振り向かない」の全2作に比べ「父と暮らせば」は
製作会社6社が揃い制作費は都合1億円が出来た。
反戦映画の仕上げの3作目の「父と暮らせば」は
「宮沢りえんさんの出演が決め手であった」
と宮崎はえびの出身の黒木和雄監督の弁である。
これでは浄瑠璃師も「恐ろしきは女の情念〜」と語れまい。
ウルフルズのヘッド・ファッションデザイナーの幹田卓司(32)
との浅草の仲見世通りでのツーショットはファンをヤキモキさせて
いる。・・好々爺の助平親爺のオマエさんだけだろ〜バレタ!〜
7月31日の井上ひさし氏の封切り時の挨拶の一部
・・・ちょっといいですか 30秒ぐらい。広島ではその日のうちに
9万人の方が亡くなりまして、その年の間に14万人の方が亡くなって、
それからずっと毎年だいたい3千人、多い時は四千人、去年は二千七百人ぐらいですかね。
長崎もそうです。ずっと毎年亡くなっています。つまりこの爆弾はまだ静かに爆発を続けています。
今世界にある小型の核弾頭は広島型の20倍の威力だそうです。一番小さいものでも。それがまだ3万発世界に残っています。
ですからこの映画が、監督さんや俳優さんやスタッフの皆さんの結晶がですね、静かに世界に出かけていって、そしてその核弾頭を
少しでも減らす、
その核弾頭の爆発量をこうせいの火薬に換算した人がいまして、
そうすると実は60億の地球上の人間が、一人づつ背中に1トンのTNTと
いう火薬をしょって生きているという勘定になるんですね。
ですからまだまだ危ない世界で私達は生きていますので、この映画がきっと、私たちの背中にある1トンのこの火薬を減らしてくれるだろうとそれだけの力がある、
力のこもった作品で、本当に原作者としてはこの上ない光栄です。
7月31日の詳しい舞台挨拶はココをクリック。
http://www.pal-ep.com/chichitokuraseba/htm/syoniti-repo-to1.htm
あの岩波ホールの高野悦子さんの声も聞こえてくる。
宮崎映画祭にもお見え頂いた市川準監督。
Copyright 1996 MIYAZAKI FILM FESTA All right reserved
監督 市川準のプロフィール
1948年東京都生まれ。75年よりテレビCMの演出を始める。81年に独立。その間に演出したCMは約4百本に上る。独立後は市川準事務所を設
立し、「NTTカエルコール」「タンスにゴン」等のヒットCMを次々と手がけ、85年にはカンヌ国際広告映画祭金賞を受賞。87年「BU・SU」で
初めて劇場映画を手がけて以降コンスタントに劇場映画を発表。90年「つぐみ」と93年「病院で死ぬということ」で毎日映画コンクール監
督賞を「病院・・・」では、日本映画批評家大賞作品賞をそれぞれ受賞。他に、94年ベルリン国際映画祭批評家連盟賞を
、97年「東京夜曲」では日本人として初めてモントリオール国際映画祭監督賞を受賞するなど、受賞暦は枚挙にいとまがない。
常に新しい才能と組み、様々な題材に挑みつづけている。
●市川準作品
87「BU・SU」
88「会社物語」
89「ノーライフキング」
90「つぐみ」
91「ご挨拶」(第2話 佳世さん)
93「病院で死ぬということ」「クレープ」
95「東京兄妹」
96「トキワ荘の青春」
97「東京夜曲」
98「たどんとちくわ」
99「大阪物語」
この監督は今後もっと楽しませてくれるであろう。
老齢の域きの私には時間がない.
縁らぬ末弟を想っての姉の涙雨・敗戦の英霊の涙・
九州最後の甲子園球児たる佐土原ナインの汗混じりの涙。
いや・・ご先祖・・父母の不肖なる息子を想いての慟哭の雨であろう
コンだけ揃えば雨の一つは降るワイナ〜。
吹き抜ける夜風は恐怖で体が律してしまいそうである。
死者がよみがえるる恐怖が幽霊となり、
この生臭い風が怖かったものである。
さらなる抱える悩みが恐怖心さえ超越して因果話さえ恐れるぬ心に
やましさをもつものになっているのであろうか。
美浜原発の事故で揺れる日本の遙かなたのアルプスが国土の6割を占めるスイス。
世界遺産の文化遺産が4、自然遺産が2つを数える。
この美しき世界の避暑地にはアラン・ドロンやソフィア・ローレン、
ジャンヌ・モロー、ミハエル・シューマッハ、
フィル・コリンズやデヴィット・ボウイなど今も多くの有名人がスイスに暮らす。
かつてのヘップバーンやチャップリン、ヘッセがそうだったように、
ニーチェやブラームス、トーマス・マンなど、雄大な大自然に
インスピレーションの源泉を見いだしたように
誰もが穏やかな安らぎの時をスイスに求めてやってくる。
10数年前にユングラフ登山の帰りは今では夢の世界で
2時間余りをハイジの世界を徒歩で下山した。
首に鈴をつけた牛がお供となったりのハプニング。
エーデル・ワイスの種子を密かに持ち込んだものであった。
このような中のスイスで原発の技術がこの国で造られている。
ウラン濃縮に使う遠心分離器にかかせない技術のひとつが真空を作り
出す事業である。
超高速で回転する円筒が空気との摩擦で過熱しないよう容器の中を真空にしておく必要があるからだ。
スシス・ライン川峡谷の真空の谷にその企業が立地する。
スイスのイタリア語圏であるティチーノ州の中心的存在のLUGANO。
イタリアのミラノにちかい。
サン・ジョルジオ山 は2003年7月に貴重な化石の宝庫で世界自然遺産に選ばれたことでも注目を集めた。
アイガ、メンヒ、ユングラフそのアレッチ氷河 を抱え360°の
パノラマ 。
グランデ野外劇場でのロカルノ映画祭はつとに有名である。
その映画祭で14日市川準監督の「トニー滝谷」でスイス・ロカルノ国際映画祭の審査員特別賞を受賞したとの報道がなされた。
詳しくは
http://www.mainichi-msn.co.jp/geinou/cinema/news/20040816k0000m040004000c.html
あらすじ
http://www.eiga.com/buzz/031007/12.shtml
そして出演者の名に・・、宮沢りえ、・・をみいだす。
最近はつとに各映画賞に名を連ねる原節子を超える大女優である。
お盆である。この人と宮崎はナンカ因果を感ずる。
国策から地元高鍋での甲類焼酎の宝酒造の復活は擂リ
りんご、
缶チュウハイのCMはこの人でなされ焼酎ブームに火がついた。
ナンタッテ貴乃花を奪い取った宮崎美人の景子との確執。
そういえば実家の火災は昨年であった。
黒木和雄監督の「TOMORROW/明日88年、」「美しい夏03年」
は全国ロードとはならなかった。
「大手は戦争映画に振り向かない」の全2作に比べ「父と暮らせば」は
製作会社6社が揃い制作費は都合1億円が出来た。
反戦映画の仕上げの3作目の「父と暮らせば」は
「宮沢りえんさんの出演が決め手であった」
と宮崎はえびの出身の黒木和雄監督の弁である。
これでは浄瑠璃師も「恐ろしきは女の情念〜」と語れまい。
ウルフルズのヘッド・ファッションデザイナーの幹田卓司(32)
との浅草の仲見世通りでのツーショットはファンをヤキモキさせて
いる。・・好々爺の助平親爺のオマエさんだけだろ〜バレタ!〜
7月31日の井上ひさし氏の封切り時の挨拶の一部
・・・ちょっといいですか 30秒ぐらい。広島ではその日のうちに
9万人の方が亡くなりまして、その年の間に14万人の方が亡くなって、
それからずっと毎年だいたい3千人、多い時は四千人、去年は二千七百人ぐらいですかね。
長崎もそうです。ずっと毎年亡くなっています。つまりこの爆弾はまだ静かに爆発を続けています。
今世界にある小型の核弾頭は広島型の20倍の威力だそうです。一番小さいものでも。それがまだ3万発世界に残っています。
ですからこの映画が、監督さんや俳優さんやスタッフの皆さんの結晶がですね、静かに世界に出かけていって、そしてその核弾頭を
少しでも減らす、
その核弾頭の爆発量をこうせいの火薬に換算した人がいまして、
そうすると実は60億の地球上の人間が、一人づつ背中に1トンのTNTと
いう火薬をしょって生きているという勘定になるんですね。
ですからまだまだ危ない世界で私達は生きていますので、この映画がきっと、私たちの背中にある1トンのこの火薬を減らしてくれるだろうとそれだけの力がある、
力のこもった作品で、本当に原作者としてはこの上ない光栄です。
7月31日の詳しい舞台挨拶はココをクリック。
http://www.pal-ep.com/chichitokuraseba/htm/syoniti-repo-to1.htm
あの岩波ホールの高野悦子さんの声も聞こえてくる。
宮崎映画祭にもお見え頂いた市川準監督。
Copyright 1996 MIYAZAKI FILM FESTA All right reserved
監督 市川準のプロフィール
1948年東京都生まれ。75年よりテレビCMの演出を始める。81年に独立。その間に演出したCMは約4百本に上る。独立後は市川準事務所を設
立し、「NTTカエルコール」「タンスにゴン」等のヒットCMを次々と手がけ、85年にはカンヌ国際広告映画祭金賞を受賞。87年「BU・SU」で
初めて劇場映画を手がけて以降コンスタントに劇場映画を発表。90年「つぐみ」と93年「病院で死ぬということ」で毎日映画コンクール監
督賞を「病院・・・」では、日本映画批評家大賞作品賞をそれぞれ受賞。他に、94年ベルリン国際映画祭批評家連盟賞を
、97年「東京夜曲」では日本人として初めてモントリオール国際映画祭監督賞を受賞するなど、受賞暦は枚挙にいとまがない。
常に新しい才能と組み、様々な題材に挑みつづけている。
●市川準作品
87「BU・SU」
88「会社物語」
89「ノーライフキング」
90「つぐみ」
91「ご挨拶」(第2話 佳世さん)
93「病院で死ぬということ」「クレープ」
95「東京兄妹」
96「トキワ荘の青春」
97「東京夜曲」
98「たどんとちくわ」
99「大阪物語」
この監督は今後もっと楽しませてくれるであろう。
老齢の域きの私には時間がない.
コメント