眩しき尊き生き物

2004年8月17日
暑い!は四季のある日本ゆえ感じる感覚かもしれない。
他の時期との比較があるゆえの感覚である。

南国の暑さは中途半端ではない。ましてや屋根の上での作業。
太陽光発電の普及のお題目はいいが、さ〜て設置までの経過は骨が折れる。

まずはお客さんへの説明・説得が容易ではない。
複雑怪奇なガスをも含むエネルギー制度の説明。

そして高所たる危険場所での火傷さえする高温の場所での作業。
非常に安い労働賃金。

日曜日もないほど忙しく、これでは普通の奴なら音を上げる。
されど、営業の立場からにしてみれば、そこまでこぎつけるに 
幾多の苦難を乗り越え、現場を確保したのである。

「仕事があるだけでも喜べ!」である。。

我欲な人間生活の残滓たる生命体・地球の環境破壊は混沌としている。
その元凶たる気温上昇の主原因の温暖化ガスたる二酸化炭素・CO2。

江戸期をモチーフにした循環型社会にしかその活路を求めるしかない。
エネルギーは石油に頼らず、自然エネルギーを活用すべきである。

そこに従事する者の勤務条件も改善してほしい。
このテーマは常に古くて新しい問題であろう。

為政者は「聖職者」なる尊称語をつけ公務員の多数を占める教員の給与を抑えた。

大多数の教員は生活が出来ない状況がついこないだの
昭和40年前半頃まで続いた。

闇米に手を出さない裁判官は餓死でこの世を去る時代なる時事ニュ〜スもあるご時世であった。

自らの生活改善とさらに平和な世界で生活する戦争の危険のない
社会作りに奔走する為、

働く他の労働組合と手を取り合い「日教組」なる生活助け合いの組織を作った。

今日の憲法9条が残ってるのはこのかたがたの昼夜を問わぬ活動の賜物である。

軍事費に組しない国家は大いなる発展を遂げた。
そうりゃそうでしょう。

日露戦争100年たる今日ですが、その当時の国家予算の半分が軍事費であった。

110万の兵隊で20万の犠牲者を出し大国ロシアに戦いを挑んだ
名も無き小国。

この戦いには私のじいちゃん袈裟助も参戦した。
2.26事件に反乱軍で参加した5代目柳家小さん、さえ第二次大戦に参加したから負けた。・・・は三平師匠や談志師匠のクスグリに使われるほどである。

1904年明治37年である。
戦後処理は米国ポーツマスで行われ時の外相日向の小村寿太郎が
あたった。

読書本を決める時、案外書名のイメージで決める時があり、中味との 乖離の大きさに再度題名を考える時がある。

「雲は天才である」もそのひとつであろう。

この作品は雲を主題にしたものではなく、自由な校風を求めて校長と 相対立する代用教員時代の自分をオーバーラップさせて、
苦悩を描いた。
大逆事件での大杉栄や伊藤野江の虐殺に触発されてである。

啄木の「雲は天才である」とは雲のような自由を求ようとしたのかもしれない。

日向の夏は入道雲。 空いっぱいに怪獣であったり、孫悟空であったりそのときのバイオリズムで見るる人で違う。

ともかく青空をカンバスに自然が描く雲と風と太陽とが織りなす   数分事との変化には感動させられる。

今日は都城の帰りの夕方、高速入り口には今年始めてみる大きな虹 がかかってた。
この地は明治維新を成し遂げた、意思と財力を生み出した島津の領地。

同行の19歳の岩○さんでさえ、しばし運転を中止し、
見入ったもので、一大パノラマであった。

雲は何時も白く・唯無心に・雲は浮かぶ
雲は通り過ぎる・何処へも・雲は又来る
雲は怒る精一杯・力の限り・雲は泣けり
雲は笑う腹の底・己の声で・雲は微笑む
雲は電気を創る・循環の力・雲は天才だ

24歳で「一握の砂」なる私でさえ諳んじて言える慣れ親しんだ
国民的歌集を出版した。

東海の小島の磯の砂浜に 我泣きぬれて 蟹とたわむる。

郷里での教員生活に生活できない現実で見切りをつけ、
上京し朝日の記者をしてふぼ二人の子供を養うとしたが大変であった。

「せつこさ〜ん」は、なのも三平師匠の専売特許ではない。
啄木の妻節子は貧乏に泣かされた。

石川啄木は26才で赤貧洗うが如しの貧乏の失意のうちにこの世を去った。
看取ったのは日向の国民的歌人若山牧水である。
啄木の日露戦争時は8才ぐらいになるはずである。
 
滝のような強い雨が暫時降る。台風の来る前兆だったろうか。
その余波であろう。数日前の夕方、雲の影となっておぼろに霞んだ太陽が赤みを増しながら、鉛色の空を次第に茜色に染めていた。

ノーベル賞作家川端康成は日向の日暮れを大淀川から見つめ予定を変更する長期滞在となり、NHK朝の連続ドラマ「たまゆら」を書いた。

西南戦争で敗北した西郷軍は、熊本・人吉から日向を目指し、日向灘を高岡で見て「日向はあかるいな〜」と太陽溢れる日向を称えた。

5月2日から約1ヶ月、対岸の大淀川の官軍をにらみ対峙した。
日向で西郷札なる軍票を発行しての軍事費を捻出して過ごした程だ。

このところ異常に多忙である。
都城の太陽光発電のメンテをして、鹿児島県末吉のお客さんたるお宅を訪ねお悩みを解決した。

雑事に追われると、いらだちが募る。
いずれ時の過ぎ行くまま。万事、ケセラ、セラ。気楽が大事。

私以外が今の生活を続けると誰でも神経性胃炎になること請け合い。
無事生きてるのが不思議なほどである。
・・・・・
頑張ろう。
最初から前を向くなんて無理だけど、いつかは前を向けるように。
いつかは、沢山の命を救えるように。
  ・・・・・・
開けられない扉をあけてくださった
ドクタさん!有り難うございます。

ほんの偶然に地球に生きてるホスピタル。
苦しいけれど何とか生きていきましょうや。

私は地球環境を守る為全力投球で余生を過ごします。
ドクタ先生!生命を守る為余生を全力してください!
本当に、有り難うございます。

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