地名の変遷

2004年8月19日
新築のご紹介を頂いた。
宮崎市と境界を分ける佐土原町井上集落の方である。

ゴルフ場開発をめぐり集落内の対立は裁判騒動にまでなった。
事業用地の売却をめぐり統一価格の売買に異議を唱え、4軒が協定以上の価格で売る協定破りの行動に出たためである。

宮崎市内とは山があり、佐土原町の方が何かと都合がよかった。
10年前やまを横断する道路が出来宮崎市役所までホンノ15分でつける。

ご多分にもれぬ市町村合併案。
この地区は当然宮崎市を希望しているようである。

いまどき100年以上前の異物たる明治の残滓を垣間見る思いである。
群割。

一昨日は宮崎県西諸県郡、高崎町、にいったが、宮崎県の後がなかなか読めない。

宮崎郡、佐土原町はまだその呼称に違和感は少ないがいまどき郡はないであろう。行政の怠慢である。

そのくせして、杜の鎮守様の破壊は土地改良事業なる名目で進み、史を伝える大字、小字に連なる名称は勝手に変更されている。
それは全国規模で進んでる課題である。

江戸の下町の薫り高き名称が江東区上野何丁目名○○番地と変わった如き現象である。

黒門町とか稲荷町での落語家の大師匠の呼ばれ方は、昭和の大名人たるお歴々が亡くなり、志ん朝までもが鬼籍に入る時代の変遷で
仕方ないのかもしれない。

それにしても吉原が消え、新を冠しての8丁目から12丁目筋を歩くと
昭和32年の赤線廃止の市川房江女史に代表される方々が恨めしい。
おとこに生まれしかぎり一度は大門はくぐりたかった。

象徴的であった、大門をくぐると、・・そこは一晩何千両の吉原・・・の大門はいまや史跡。

そこの別れ際の代表的建造物ならぬ巨木たる・・見返り柳・・
今はガソリン・スタンドの一角に何代目かが鎮守されてるのみ。

銀座の柳と歌われし、当時の柳もなく、山手線脇の公園記念碑をみ纏めてあった。

宮崎もイオン進出で車社会を目指した新しく町の変化が劇的に起こる予測が私にはある。

宮崎のメインたる橘通り商店街は消え行くであろう。
今でさえ閉じたシャッターがある。

近年訪れた町のシャッターの閉まってる割合の尤も多いのは
鹿児島県出水市であると思う。九州一ではなかろうか。

それに比して、山鹿市は逆転の発想で寂れた町が復活した。
今では観光客が溢れている。

古き芝居劇場を再生した。「玉三郎」の尤もお気に入りの場所で
今では年間定期公演会場でもある。

伝わっていた財産はそればかりではなく温泉があった。
中心部の足湯には大勢がいた。熱海の足湯とは大違い。

あそこも閉じた旅館の多いこと。
寛一お宮の海岸沿いの寂れ様の変遷には戸惑った。

宮崎市もあぶない!
地下駐車場の建設ができぬのが致命傷であった。

観光県なる重みもよくなかった。アレは決して甦っては来ない。
まちの再生は生活者たる県民に活路を求める街づくりしかないはずだ。

だとすれば、誰が駐車場のないところに寄り合おうか。
全国一マイカーに頼っている率が高い県。

裏を返せば公共的脚が確保されていない県である。
車の運転免許がなくては生活が成立しない。

この状況を命題に街創りを分析すれば未来は見えてくるはずだ。
イオンに対する策はない。

このままでは宮崎の顔たる橘通りは消えるであろう。
昭和35〜6年ごろの全国一の観光県のメインは新婚さん。

個人資産は1300兆円で米国の3300兆に次ぐ所得階層の多くは老人層である。誰しもが20万円ぐらいの年金で暮らしている。

この人たちをターゲットにした再生作業も10年余り街は持つであろう。いかに時代の変遷があろうとふるさと・おもいで回帰のノスタルジックの考え方は人生の根底にあるようである。

もう一度訪ねてみたい町。には新婚の地もあるはずだからである。
古き町並み・・シーガイヤが観光のメインになって以来橘通は県の施策から消えた。

大淀川沿いのホテル街には観光鳥が飛び出した。
郊外たるおおあざ芳士にシーガイヤはポッリと突っ立っている。

その数百メートル先の農業振興区域たる畑地に、
わがAPAはポツリとある。

大阪福岡大企業のお歴々さんもお見えになる状況にひたすら恥かしき状況である。
宮崎市の再生のなかにAPAも組する事ができるものになりたい。

あさの喧騒たる事件の原因である、養護学校のパネル挙げ工事の愚作ほどのことを知らない。
何度も打合せしてきたのにこれである。

昨夜10名の職人を派遣しようとしてきめ、派遣したのに、
2名のみが作業に残れた。事前手続きミスとの口実。

これでは発電所は完成しない。
全員引き揚げてくればいいものを、2名のみの残して引き揚げてくる
愚作にはただただあきれるのみ。

能力もないくせに何故連絡をしてこぬ!現場はパニクッてるので
冷静な判断は出来ぬ。よって連絡を取り合い知恵を出し合わねば
生き残れるし、出来ない作業は出来ぬ。判断もつかぬ。

何時も繰り返していることであるがなかなか進まぬ。
理解しようとしないのが生けない。

急遽、現場探しで市内のオール電化の工事に9名を回した。
強引なる日程変更である。

準備をすすめるのに時間がかかったこともあり、夜の9時過ぎに終了。
コンビニ経営の為、店舗のあるニシタチに行き説明。11時過ぎである。

IH用のナベ類がないため急遽買ってきてプレゼントなのにお母さんのみの対応で本人とあわせようとしない。

「深夜の当番ゆえ寝てるのは起こせない。」
11時に交代と言ってるくせにである。

ナベを持って帰ろうとすると、
「それは置いて行け!」

「11時が過ぎてるではないか。」
私の猛烈なる反発が始まる。

最後は先方ががお詫びをなされ、買う予定であった弁当はプレゼントというぐらいに和解出来た。

我らの年代は初期民主主義世代。
堂々と意見を言い合う風潮である。

理解し会えば今日の友、誠心誠意の心は必ず通ずる。
この時間に、誰が、無料でIHナベ類を届けようぞ。
私はソンナ給料はもらっていない。誠意それのみである。

災いを転じて福となす。がんばれ!営業せきやんさん。
プラス思考!プラス思考!

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