日向の風土
2004年8月18日明治維新の偉業のひとつに廃藩置県がある。
私の感ずるところ公家出身たる岩倉卿の発案であろう。
長年の武家社会の絆の圧力を一番感じ取っていた立場にいたからである。
天皇毒殺の張本人或いは荷担した疑いも消えず、南北朝以来の
錦の御旗なるものを考え出したほどだから
御茶の子さいさいそのくらいの姦計は当然である。
策士の策士たる所以である。
その弊害をもろに受けてるのが日向の国たるみやざきけんである。
30年前の日本に何処に新幹線があり、床に高速道路があったか。
然るに04年の今はどうだ。
我が日向の国以外は何処も二つのアクセス手段は整っている。
離島県たる沖縄をのぞき降雪記録がない唯一の県日向は土地維持経費
価値は一番のはずなのにである。
私はその原因を廃藩置県後における処置の差と考える。
旧藩時代は5藩が割拠統治した。
徳川の歪な支配体制をもろに受けた我が県である。
昨日は島津藩たる都城であった。
今日は内藤藩たる日向をメーカーの課長さんと営業である。
細島は海運のみが運搬手段の唯一たる頃の重要な地域であった。
この地の一角には高鍋、秋月藩の領地があるから不思議である。
藩内に良港を持たないため窓口として確保していたのであろう。
呉越同舟で良くぞ統治できたものである。
そういえば南の日南は伊東藩の領地である。
9月NHK放映開始の「わかば」の舞台となるこの地の更に南の串間はやはり秋月藩の領地であった。
このように飛び地を持つ藩も珍しいのではなかろうか。
流石に福岡・甘木市が旧領地で渡来人の先祖を持つ家系から来る
世渡り術なのであろうか。
明治維新時の藩主秋月種樹{タネタツ」は書をよくし、
明治の三蹟といわれた。
明治帝を教えた今で言う侍従長である。
さらにさかのぼれば米大統領たるケネディー来日の時、
「尊敬する日本人?」を聞かれ、
「上杉鷹山」と答え記者を困惑させて依頼有名になった人は
秋月家から大藩たる上杉家に養子入りした人である。
ともかくも日向はごっちゃ混ぜの中でひとつの県を強要された九州では唯一の県で、県都宮崎市には統治の象徴たる城跡がない。
私の言う後進県たる始まりはここにある。
圏内を回ると解るがまるで気候・文化が違う。
我が県の年降水量は2,400mmを超え、多雨だが、、梅雨期や台風期に集中するため季節的な偏りが大きく、干ばつも発生する。
安定的な畑地営農のためには、水源の確保が不可欠であるのを昨日
都城でかんじた、
中心部ではほとんど稲刈りは済んでいるのにこの地では稲穂はこれからであった。
我が県には32,500haの畑地が広がっているが、そのほとんどが火山灰土壌の特殊土壌地帯のうえに、多くの畑作地帯は安定した水源を持たず安定的な畑作経営が困難な状況にあル事をも都城でよく理解できる。
その一方で、畑地かんがい施設が整備された地区では、農業用水の安定供給により、施設野菜や花、茶などの水を活用した収益性の高い作物への転換が進み、全国有数の優良農業地帯となっていた。
地域によっては 大規模畑作の産地づくりや施設園芸、新品目の導入が進み、我が県の食料供給基地としての地位をさらに高めるため、
県央から県西部に広がる広大な畑地帯たる一ッ瀬大地では、畑地かんがい施設がすすんだ。
雨水に頼った農業から脱して農業用水が確保されている。
また、日照りによる干害、霜による被害を防止でき、安定した農作物の栽培により収益性の高い農業が可能となっいている。
天神ダムは伊東領たる田野地区の畑地を潤し、また水源確保のためのダム である。
我が国で使用される年間水量約900億立方メートルのうち、農業用水が約3分の2を占めている。
農業用水の約95%が稲作などに用いられる「かんがい用水」である。
日向の人々は、水田稲作が盛んとなっていった弥生時代から、農業用水を確保しようと今日に至る約2000年にわたり、その開発と保全に
尽 してきた。
一ッ瀬川からの農業用水を確保した児玉久ヱ門は西都市の偉人である。
内藤藩には藤江監物・図書父子の御用金横領の汚名をかぶり農業用水を完成させた。
鋳物時代の改革は生活そのものの見直しである。
生活の改善は電気が欠かすことのできないエネルギー資源である。
我が県では、山間部の割合が高く、豊富な降水量を生かして、
水力発電所が数多く建設されており、九州地方の電力供給の重要な一翼を担っている。
ダムが建設されると、ダム近郊に発電所が装備され、発電がなされる。
そのためダムの個数と発電所の個数はほぼ同数である。
管理種別 発電所数
宮 崎 県 ・・・・・・・・9
市町村(第3セクターを含む) 3
九州電力(株)・・・・・・ 27
その他の事業所・・・・・・ 6
合 計・・・・・・・・・45
九電によると、大分県の32発電所、鹿児島県の30発電所に対し、
我が県は27発電所と発電所数では3位で、電力供給量は、九州1位。
我が県は古くから水力発電の開発が行われ、その歴史は、明治31年に三菱鉱山により建設された槇峰第一発電所に始まり、
戦前の土木技術の粋を集めて建造された塚原ダム、
わが国初のハイアーチダムを有する上椎葉発電所のように
水力発電史に残る重要なものが数多くある。
日向の地はよくよく考えさせられるところである。
今は太陽光発電のNEDO申請が今回だけで4ヶ所もある。
どうにも遅れての営業のようでこれからが大変である。
豪雨の中の移動で宮崎の自然豊かさを縁り深く理解できた。
自然は人間を立ちなおさせてくれるしばしの休息の時間かもしれない。
仕事しながらの癒しとはAPAはたまったもんじゃない。
13日から17日までの稼ぎは「0」である。
これで大集団たる職人が食えるはずがない。
朝の○水さんの現場のドタキャンで急遽、高城町の現場に換えた。
ひどいどの瞬間労働力である。
あ〜あ、いきてるのが辛いほどの重荷だ〜。
私の感ずるところ公家出身たる岩倉卿の発案であろう。
長年の武家社会の絆の圧力を一番感じ取っていた立場にいたからである。
天皇毒殺の張本人或いは荷担した疑いも消えず、南北朝以来の
錦の御旗なるものを考え出したほどだから
御茶の子さいさいそのくらいの姦計は当然である。
策士の策士たる所以である。
その弊害をもろに受けてるのが日向の国たるみやざきけんである。
30年前の日本に何処に新幹線があり、床に高速道路があったか。
然るに04年の今はどうだ。
我が日向の国以外は何処も二つのアクセス手段は整っている。
離島県たる沖縄をのぞき降雪記録がない唯一の県日向は土地維持経費
価値は一番のはずなのにである。
私はその原因を廃藩置県後における処置の差と考える。
旧藩時代は5藩が割拠統治した。
徳川の歪な支配体制をもろに受けた我が県である。
昨日は島津藩たる都城であった。
今日は内藤藩たる日向をメーカーの課長さんと営業である。
細島は海運のみが運搬手段の唯一たる頃の重要な地域であった。
この地の一角には高鍋、秋月藩の領地があるから不思議である。
藩内に良港を持たないため窓口として確保していたのであろう。
呉越同舟で良くぞ統治できたものである。
そういえば南の日南は伊東藩の領地である。
9月NHK放映開始の「わかば」の舞台となるこの地の更に南の串間はやはり秋月藩の領地であった。
このように飛び地を持つ藩も珍しいのではなかろうか。
流石に福岡・甘木市が旧領地で渡来人の先祖を持つ家系から来る
世渡り術なのであろうか。
明治維新時の藩主秋月種樹{タネタツ」は書をよくし、
明治の三蹟といわれた。
明治帝を教えた今で言う侍従長である。
さらにさかのぼれば米大統領たるケネディー来日の時、
「尊敬する日本人?」を聞かれ、
「上杉鷹山」と答え記者を困惑させて依頼有名になった人は
秋月家から大藩たる上杉家に養子入りした人である。
ともかくも日向はごっちゃ混ぜの中でひとつの県を強要された九州では唯一の県で、県都宮崎市には統治の象徴たる城跡がない。
私の言う後進県たる始まりはここにある。
圏内を回ると解るがまるで気候・文化が違う。
我が県の年降水量は2,400mmを超え、多雨だが、、梅雨期や台風期に集中するため季節的な偏りが大きく、干ばつも発生する。
安定的な畑地営農のためには、水源の確保が不可欠であるのを昨日
都城でかんじた、
中心部ではほとんど稲刈りは済んでいるのにこの地では稲穂はこれからであった。
我が県には32,500haの畑地が広がっているが、そのほとんどが火山灰土壌の特殊土壌地帯のうえに、多くの畑作地帯は安定した水源を持たず安定的な畑作経営が困難な状況にあル事をも都城でよく理解できる。
その一方で、畑地かんがい施設が整備された地区では、農業用水の安定供給により、施設野菜や花、茶などの水を活用した収益性の高い作物への転換が進み、全国有数の優良農業地帯となっていた。
地域によっては 大規模畑作の産地づくりや施設園芸、新品目の導入が進み、我が県の食料供給基地としての地位をさらに高めるため、
県央から県西部に広がる広大な畑地帯たる一ッ瀬大地では、畑地かんがい施設がすすんだ。
雨水に頼った農業から脱して農業用水が確保されている。
また、日照りによる干害、霜による被害を防止でき、安定した農作物の栽培により収益性の高い農業が可能となっいている。
天神ダムは伊東領たる田野地区の畑地を潤し、また水源確保のためのダム である。
我が国で使用される年間水量約900億立方メートルのうち、農業用水が約3分の2を占めている。
農業用水の約95%が稲作などに用いられる「かんがい用水」である。
日向の人々は、水田稲作が盛んとなっていった弥生時代から、農業用水を確保しようと今日に至る約2000年にわたり、その開発と保全に
尽 してきた。
一ッ瀬川からの農業用水を確保した児玉久ヱ門は西都市の偉人である。
内藤藩には藤江監物・図書父子の御用金横領の汚名をかぶり農業用水を完成させた。
鋳物時代の改革は生活そのものの見直しである。
生活の改善は電気が欠かすことのできないエネルギー資源である。
我が県では、山間部の割合が高く、豊富な降水量を生かして、
水力発電所が数多く建設されており、九州地方の電力供給の重要な一翼を担っている。
ダムが建設されると、ダム近郊に発電所が装備され、発電がなされる。
そのためダムの個数と発電所の個数はほぼ同数である。
管理種別 発電所数
宮 崎 県 ・・・・・・・・9
市町村(第3セクターを含む) 3
九州電力(株)・・・・・・ 27
その他の事業所・・・・・・ 6
合 計・・・・・・・・・45
九電によると、大分県の32発電所、鹿児島県の30発電所に対し、
我が県は27発電所と発電所数では3位で、電力供給量は、九州1位。
我が県は古くから水力発電の開発が行われ、その歴史は、明治31年に三菱鉱山により建設された槇峰第一発電所に始まり、
戦前の土木技術の粋を集めて建造された塚原ダム、
わが国初のハイアーチダムを有する上椎葉発電所のように
水力発電史に残る重要なものが数多くある。
日向の地はよくよく考えさせられるところである。
今は太陽光発電のNEDO申請が今回だけで4ヶ所もある。
どうにも遅れての営業のようでこれからが大変である。
豪雨の中の移動で宮崎の自然豊かさを縁り深く理解できた。
自然は人間を立ちなおさせてくれるしばしの休息の時間かもしれない。
仕事しながらの癒しとはAPAはたまったもんじゃない。
13日から17日までの稼ぎは「0」である。
これで大集団たる職人が食えるはずがない。
朝の○水さんの現場のドタキャンで急遽、高城町の現場に換えた。
ひどいどの瞬間労働力である。
あ〜あ、いきてるのが辛いほどの重荷だ〜。
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