流れる月日
2004年8月20日大安吉日はなんとなくハイテンション。
そりゃ・・そうでしょう。吉報!、きっぽう!
号外の瓦版を配る江戸の配り人?の如くである。
日記のドクタさん生きている!こんな乱暴表現で・す・み・ま・せ・ん!・・と言って右手を額の三平師匠。
釈迦の解く生老病死のみが唯一の人生の真実。
唯、それのみ。だとするならば漂っていきましょう。
自分のおかれた環境をシャクだけど前提として精一杯の自分探しの
表現行為。ただただ、生きる!
そして知りえる、かくも長き、かくも短き人生。
生々流転ただ生かされる道に漂って生きていきましょうや!
悩みおおきご同輩!
口元には何時もコーチャンを偲びての
♪ケセラセラ〜なるよ〜ぅになるさ♪
リズムは癒し、生きる希望。友と手を携えともに生きらん!
大安の日たる今日は総てがよし!の日だから信じてみる気持ちが湧く。
内藤藩たる90KM先の延岡の地に向かう。3.8KWの太陽光発電のご契約!
九○○のアポゆえ契約したのは、私でもあるのにAPAとしては
収入は工事のみ。
まあ〜これが社会のシステムしかたない。
納得、納得 ご納得。エェイ!
急いで西都から高速乗り継いで19.30には宮崎の則○さん。
IHご契約!これAPAの成果。
昨日の現場打ち合わせで得たアポである。
アポ契約率100パーセント。凄いぞ!せきやん。
さらに貴重なる農業の偉人に会えた。
これだけでも私には大きな成果。
こんな凄い人いるんだ〜
延岡・行縢で農業されてる方は12町歩の米を作っておられる。
ナント苦汁を使い毎日が田植え。4日で播種から田植え。エェッ!!
分結の根っこの状況が異様に大きく、反収がまるっきり違う。
田んぼにはタニシが雑草を食べている。
きゃつ、稲を食う大敵であったはず。エェツ!
何度驚いているのか解らない!
これでは百姓出の血が騒ぐ。その昔稲作技術を競い合ったものである。
反あたり何俵の米が取れるのか。
全国規模で競われた稲作技術。減反なる施策は施策とは言わない。
米を作らなければ税金を使い補助金を出すとの愚策をなんと言おう。
その施策にどれだけ希望を失い衰退する国の食料政策の担い手たる農家をこの棄民政策で死なせたものか。
正直言って堕農家がホンの少しは居るにはいた。
勤労は国の宝。勤勉は美徳。稲作民族たる日本人の誇りである。
どうしてもバカンスに馴染めぬ民族性。
よって、我が国では、婚礼や契約、様々な行事ごとに大安や仏滅からなる 「六曜」と関連付ける風習でいきてきた。
六曜」は六曜・六輝とも呼ばれ鎌倉末期中国から伝わったと言われている。
中国では六壬時課(りくじんじか)とか小六壬(しょうりくじん)
と呼ばれ時刻の吉凶占いに用いられていた。
これらを記した『事林広記』や『万宝全書』は、江戸時代に出版されている。、
中国式の時刻占いとして天保年間(1830年〜1844年)頃まで日本でも
使われていた。
現在使われている「六曜」は貞亨年間(1684年〜1687年)頃から上記の時刻占いを元に独自に変化した。
もともとは泰安・留連・速喜・赤口・将吉・空亡と伝わったものを、
語呂合わせ大安・友引・先勝・赤口・先負・物滅(仏滅) と表現。
実に詳しき便利なホームページがある。
http://koyomi.vis.ne.jp/directjp.cgi?http://koyomi.vis.ne.jp/reki_doc/doc_0410.htm
「六曜」の暦は実に簡単に旧暦の日付にもとづいて配置されてる。、
旧暦の
1月・7月の1日は先勝
2月・8月の1日は友引
3月・9月の1日は先負
4月・10月の1日は仏滅
5月・11月の1日は大安
6月・12月の1日は赤口
と定められており、1日以降は月末まで上記の順番で繰り返していく。
旧暦では暦が規則的に来るので、江戸時代はあまり「六曜」は重視されず庶民には「十二直」(日々の吉凶をしるし、生活の指針とした12の
言葉)の方が人気があったようである。
明治6年1月1日現在のカレンダーの新暦、
いわゆる太陽暦(グレゴリオ暦)になってから暦の違いにより
時々不規則な変化をするように見え、それがかえって占い好きの庶民に珍重され、 本格的に広がったと言われている。
世間で広く信じられてきた言い伝えの俗信による「六曜」の吉凶というのは次の通り。
先勝(せんしょう・せんがち):午前は吉。急ぐことは吉。
友引(ともびき):友を引く。葬式は不可。祝い事は良し。朝晩は吉で あるが正午は凶
。
先負(せんぷ・せんまけ):午後は吉。平静を保って吉。
仏滅(ぶつめつ):万事凶であるが、葬式は構わない。
大安(たいあん):大いに吉。特に婚礼・旅行・移転には良い。
赤口(しゃっく・しゃっこう):火の元・刃物に注意。正午は吉だが
朝晩は凶。
日取りを決める時にいろいろな暦注がついていて悩む人がおられる。
本来の暦の吉凶というのは、何日か候補があって、
どれでもいいような場合に、迷わないで決める手段として使うと
いうのが、 一番良とわれている。
良い日を選択し、都合を変えてまで、こだわる程、重要な事ではなく、
仏滅の結婚式も会場次第でOKのはず。日曜日がいいわ〜。
又、このような庶民への広がりは、副次的効果として
全国民の勉学意識を、育てた。
文芸春秋「司馬遼太郎対話選集」によると林子平が著した
地誌「三国通覧図説」が海外で日本の書物が最初に翻訳された例で
1785年(天明五年)のことという。
「読み、書き、そろばん」は生きる知恵たる手に職をの基本パターン。
江戸の中期に始まった「寺子屋」は、農漁村にも広がった。
明治政府の学制も士族と平民を同じ教室で競わせたのもこの「寺子屋」の経験からである。
殖産興業、脱亜入欧の新政府の大成功は植字率の高き庶民の状況が
幸いした。
シベリアに漂着した日本船に本が積まれてあり、ロシア人が内容を
たずねると、船頭は読んで聞かせた。
それがロシア語の翻訳書になったという。
武士でも学者でもない庶民が書物を読めたことに驚いているロシア人。
外にも庶民層にまで歴が使用された。
二十四節気は、太陰暦を使用していた時代に、季節を現すための工夫として考え出されたもの。
1年を24当分にしその区切りに名前をつけた。
現在でも季節の節目節目に、これを示す言葉として使われている。
元来、歴は何処の国でも支配者の象徴で為政者が決めた。
農耕民族たる日本に置いてはそれが生活の隅々まで浸透し、 結果的には向学心の強い民族に鍛え上げた。
300年の鎖国で取り残されていたのに直ぐに追いつき、
太平洋戦争で廃墟に帰したが、今日の興隆を築いた。
これらの総ては、日常の生活の中に自然にある歴を使用した生活意識から 生まれた稲作民族の大和人たる民族性に由来する。
そのような私共を育てた自然に感謝。
江戸期をモデルの循環型社会こそが地球環境を救える唯一の策。
太陽光発電の普及!これも一つの循環型社会の実現である。
しばらくは、延岡通いが続きそうである。
町を流れる五ヶ瀬、大瀬、北川、ほうりのヤナにもうすぐ鮎が踊る。
川面で食する鮎は四季の日本の風物詩。
もう秋はそこまできている。
暑い!せきやん!のうそつき!暑い!どうにかしてくれ!
そりゃ・・そうでしょう。吉報!、きっぽう!
号外の瓦版を配る江戸の配り人?の如くである。
日記のドクタさん生きている!こんな乱暴表現で・す・み・ま・せ・ん!・・と言って右手を額の三平師匠。
釈迦の解く生老病死のみが唯一の人生の真実。
唯、それのみ。だとするならば漂っていきましょう。
自分のおかれた環境をシャクだけど前提として精一杯の自分探しの
表現行為。ただただ、生きる!
そして知りえる、かくも長き、かくも短き人生。
生々流転ただ生かされる道に漂って生きていきましょうや!
悩みおおきご同輩!
口元には何時もコーチャンを偲びての
♪ケセラセラ〜なるよ〜ぅになるさ♪
リズムは癒し、生きる希望。友と手を携えともに生きらん!
大安の日たる今日は総てがよし!の日だから信じてみる気持ちが湧く。
内藤藩たる90KM先の延岡の地に向かう。3.8KWの太陽光発電のご契約!
九○○のアポゆえ契約したのは、私でもあるのにAPAとしては
収入は工事のみ。
まあ〜これが社会のシステムしかたない。
納得、納得 ご納得。エェイ!
急いで西都から高速乗り継いで19.30には宮崎の則○さん。
IHご契約!これAPAの成果。
昨日の現場打ち合わせで得たアポである。
アポ契約率100パーセント。凄いぞ!せきやん。
さらに貴重なる農業の偉人に会えた。
これだけでも私には大きな成果。
こんな凄い人いるんだ〜
延岡・行縢で農業されてる方は12町歩の米を作っておられる。
ナント苦汁を使い毎日が田植え。4日で播種から田植え。エェッ!!
分結の根っこの状況が異様に大きく、反収がまるっきり違う。
田んぼにはタニシが雑草を食べている。
きゃつ、稲を食う大敵であったはず。エェツ!
何度驚いているのか解らない!
これでは百姓出の血が騒ぐ。その昔稲作技術を競い合ったものである。
反あたり何俵の米が取れるのか。
全国規模で競われた稲作技術。減反なる施策は施策とは言わない。
米を作らなければ税金を使い補助金を出すとの愚策をなんと言おう。
その施策にどれだけ希望を失い衰退する国の食料政策の担い手たる農家をこの棄民政策で死なせたものか。
正直言って堕農家がホンの少しは居るにはいた。
勤労は国の宝。勤勉は美徳。稲作民族たる日本人の誇りである。
どうしてもバカンスに馴染めぬ民族性。
よって、我が国では、婚礼や契約、様々な行事ごとに大安や仏滅からなる 「六曜」と関連付ける風習でいきてきた。
六曜」は六曜・六輝とも呼ばれ鎌倉末期中国から伝わったと言われている。
中国では六壬時課(りくじんじか)とか小六壬(しょうりくじん)
と呼ばれ時刻の吉凶占いに用いられていた。
これらを記した『事林広記』や『万宝全書』は、江戸時代に出版されている。、
中国式の時刻占いとして天保年間(1830年〜1844年)頃まで日本でも
使われていた。
現在使われている「六曜」は貞亨年間(1684年〜1687年)頃から上記の時刻占いを元に独自に変化した。
もともとは泰安・留連・速喜・赤口・将吉・空亡と伝わったものを、
語呂合わせ大安・友引・先勝・赤口・先負・物滅(仏滅) と表現。
実に詳しき便利なホームページがある。
http://koyomi.vis.ne.jp/directjp.cgi?http://koyomi.vis.ne.jp/reki_doc/doc_0410.htm
「六曜」の暦は実に簡単に旧暦の日付にもとづいて配置されてる。、
旧暦の
1月・7月の1日は先勝
2月・8月の1日は友引
3月・9月の1日は先負
4月・10月の1日は仏滅
5月・11月の1日は大安
6月・12月の1日は赤口
と定められており、1日以降は月末まで上記の順番で繰り返していく。
旧暦では暦が規則的に来るので、江戸時代はあまり「六曜」は重視されず庶民には「十二直」(日々の吉凶をしるし、生活の指針とした12の
言葉)の方が人気があったようである。
明治6年1月1日現在のカレンダーの新暦、
いわゆる太陽暦(グレゴリオ暦)になってから暦の違いにより
時々不規則な変化をするように見え、それがかえって占い好きの庶民に珍重され、 本格的に広がったと言われている。
世間で広く信じられてきた言い伝えの俗信による「六曜」の吉凶というのは次の通り。
先勝(せんしょう・せんがち):午前は吉。急ぐことは吉。
友引(ともびき):友を引く。葬式は不可。祝い事は良し。朝晩は吉で あるが正午は凶
。
先負(せんぷ・せんまけ):午後は吉。平静を保って吉。
仏滅(ぶつめつ):万事凶であるが、葬式は構わない。
大安(たいあん):大いに吉。特に婚礼・旅行・移転には良い。
赤口(しゃっく・しゃっこう):火の元・刃物に注意。正午は吉だが
朝晩は凶。
日取りを決める時にいろいろな暦注がついていて悩む人がおられる。
本来の暦の吉凶というのは、何日か候補があって、
どれでもいいような場合に、迷わないで決める手段として使うと
いうのが、 一番良とわれている。
良い日を選択し、都合を変えてまで、こだわる程、重要な事ではなく、
仏滅の結婚式も会場次第でOKのはず。日曜日がいいわ〜。
又、このような庶民への広がりは、副次的効果として
全国民の勉学意識を、育てた。
文芸春秋「司馬遼太郎対話選集」によると林子平が著した
地誌「三国通覧図説」が海外で日本の書物が最初に翻訳された例で
1785年(天明五年)のことという。
「読み、書き、そろばん」は生きる知恵たる手に職をの基本パターン。
江戸の中期に始まった「寺子屋」は、農漁村にも広がった。
明治政府の学制も士族と平民を同じ教室で競わせたのもこの「寺子屋」の経験からである。
殖産興業、脱亜入欧の新政府の大成功は植字率の高き庶民の状況が
幸いした。
シベリアに漂着した日本船に本が積まれてあり、ロシア人が内容を
たずねると、船頭は読んで聞かせた。
それがロシア語の翻訳書になったという。
武士でも学者でもない庶民が書物を読めたことに驚いているロシア人。
外にも庶民層にまで歴が使用された。
二十四節気は、太陰暦を使用していた時代に、季節を現すための工夫として考え出されたもの。
1年を24当分にしその区切りに名前をつけた。
現在でも季節の節目節目に、これを示す言葉として使われている。
元来、歴は何処の国でも支配者の象徴で為政者が決めた。
農耕民族たる日本に置いてはそれが生活の隅々まで浸透し、 結果的には向学心の強い民族に鍛え上げた。
300年の鎖国で取り残されていたのに直ぐに追いつき、
太平洋戦争で廃墟に帰したが、今日の興隆を築いた。
これらの総ては、日常の生活の中に自然にある歴を使用した生活意識から 生まれた稲作民族の大和人たる民族性に由来する。
そのような私共を育てた自然に感謝。
江戸期をモデルの循環型社会こそが地球環境を救える唯一の策。
太陽光発電の普及!これも一つの循環型社会の実現である。
しばらくは、延岡通いが続きそうである。
町を流れる五ヶ瀬、大瀬、北川、ほうりのヤナにもうすぐ鮎が踊る。
川面で食する鮎は四季の日本の風物詩。
もう秋はそこまできている。
暑い!せきやん!のうそつき!暑い!どうにかしてくれ!
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