言葉の断層線

2004年8月21日
博覧会の近づいてきたとある空港・・情報有り難うございます。
太陽光発電で充電中ですって。早速、営業トークに使おっと。

「こやぁ〜でなにをつるぶだがぁ〜」
何処とは言いません標準語の県。

なんかぎゃあ〜にゃあ〜言ってるとこ、
が〜が〜弁の富山弁に似てますな〜

「かたがる程の両手のお土産が、ひっさげたゆうが。」
「空港でそんげなでは、ざいしょのもんゆう感じやよね。」

「まんでもっさいと」
「さらにしよわしないじゃ、まんでだやいかいぜ。」

「けっとくそついてこい」
「小倉の食べ物キトキトしとったがけ」

「この・・たら!ハタハタもいいが」

ホント?日本人?出生、身分証明書みせて。

ウソでしょう。こんな会話する越中人はいるまいて。
これじゃ薬は売れず・・・油を売ってるだけジャン。

太陽で電気起こるんであろうか。本当に・・・。
ところで採算取れるの?

、・・・傾斜角度、に日射量、損益分岐点・・わかり易く説明しろ!

APAであれば宮崎一安いので・・・宮崎でなく富山はドウナンダ!
日頃真面目に取り組んでるのか。!遠く富山まできて工事できるのか。

えぇ・・遠山{富山}ゆえ背中{越中}に桜前線{電線}が満開{電開}です。

太陽光発電設置状況。
     
  平成13年度まで  14単年度 15年単年度
富山県  435件   212件   270件
宮崎県 1885件  1031件  1423件
全国 77503件 38262件 52863件

合計すると168628KW、で1件、5KWが平均ゆえ84万2140KWのダムに匹敵する。

エェツ!太陽光発電は・・ジヤァ・・日本一ジャン!

日本のアルプスの立山連峰は1500メートルに位置する日本一のアーチ式ダム黒四ダム。

31年から着工して7年後38年6月に完成した実に1000万人の労力。
513億の建設費。最大出力は33万5000kw。

ビデオで観ると言い「黒部の太陽」社会派の熊井啓監督。
この監督、私には三浦哲郎原作の72年の忍ぶ川が印象に残る。

原作者の推薦から男性諸氏は泣いて喜んだ。
サユリストに対する栗原小巻が見れたのである。

その後74年「サンダカン8番館」の娼婦での名演。
独り占め・・私の消えぬ喜びがある。過去の日記にも書きました。

シャンソンを生で聞ける宮崎の飲み屋街の西橘通り、通称にしたち・・
そこにパリを想わす雰囲気のソファレド・パリには、ほとんどのシャンソン歌手が来た。

宮崎公演2日間を利用してのプライベートタイムにお見えになりましたのですぞ!

この世の人ではありませんでした。まるで異惑星からのお客さん!
微笑みされ挨拶・会話で天にも昇る・・・スケベ爺々。
・・いい加減に・・ヤメロ!

そのときのことはニシタチとして書きました・・アレッ!・・過去の日記が消されてる。

サーバー管理者何してる!返せ私の日記。
バック・アップなんかあるわけナイジャン!

「黒部の太陽」出演者。このキラ星の如くのすばらしき名優たち・・
三船敏郎、滝沢修、志村喬、辰巳柳太郎、宇野重吉、芦田伸介、
佐野周二、高峰三枝子、樫山文枝が出演。

これ読んだ人でごった返しのビデオレンタル店。
これでは、貸し出し中になることでしょう。

時の過ぎるのは早いもの。覚えてますか?
テレビ初出演の02年の紅白、中島みゆきは「地上の星」を巌天下の
黒四ダムの現地から実況した。

最大の難所は大町からのルート。
扇沢駅から関西トンネルを経て220段の階段を上ること20分、展望台が拓ける

大町の7月28〜29日の王子神社の大祭のメインは流鏑馬。
わが宮崎神宮の流鏑馬と並ぶ三大流鏑馬。
管理事務所のあるところ。日向山高原。

なんかある・・・かなりの無理があります。

電力事情に非情なる差が生じている。
そこで、はじめたのが、キチガイ沙汰の自然の征服策。

長江、揚子江を堰きとめる三峡ダムである。
歴史財、文化財の貴重さも忘れ三国志の舞台の幽玄な渓谷美を其の湖底に姿を消そうとしている。

ダムの全長2,3KMはもちろん世界一。
3兆円の工事費で09年完成と言う。

発電量847億KWHは日本全部の水力発電施設
1600箇所の発電量に等しい。

その後の状況はどうするのか。
笑えるではないか。

熊野山々は南方熊楠の伐採反対を牢獄に繋がれながらも訴えた信念で残った。。
その熱意に打たれた時の中央官僚たる柳田国男の尽力がこの森を救い今日の地球的評価を受けた。

富山県という地域は方言研究の世界ではことばの東西対立を考える場合にたいへん注目されている。

後の民俗学の草分けたる柳田国男の著作『蝸牛考』の冒頭は、
富山県の「カタツムリ」というのはこんなにたくさんのバリエーションがあるのだというところから始まっている。

いかに柳田国男が富山県の方言に関心を抱いていたかということが分かる。

さて、岩波文庫の柳田国男の『蝸牛考』その解説の項。
富山県出身の方言学者、真田信治の解説は郷土愛溢れるものである。

明治30年代の調査。
全国の言語区域を東西に分かとうとする時は越中、飛騨、三河の東境に沿って線を引いて西と東に分けるといいとの結論。
明治30年代にいわれたことが大体今も継承されている。

宣教師ロドリゲスという人の「日本大文典」。
三河より東、今の愛知県の東部よりも向こう側というのはことば遣いが荒く、
西日本の方言とは違うと書かれている。
今から400年ぐらい前に既に明治38年に愛知県の東あたりで日本の西東が分かれるという外国人の結果。

もっと昔はどうなのか、万葉集の東歌の研究などから、奈良時代。
今から1200年前ぐらいに、三河あたりを境にして、

日本語が西と東に分かれていたことが推測される。
もしもそうだったら1200年前の西と東の境も400年前の西と東の境も現在の西と東の境もあまり変わっていないことになる。

日本海側についてはどうか。1200年ほど前、大和の国からこの越中にやってきた
大伴家持の記録。

家持は、東風をこの地の方言で「あいのかぜ」といっていると記す。
「あいのかぜ」は現在の富山県では「あいのかぜ」ブランドというか意味ある象徴的なことば。

このことばは山陰の出雲地方から東北地方日本海側に広く分布していることば。

日本海側の東西対立については、実は文献では新潟県と富山県の間で分かれるのだということは明治38年ぐらいまで分からない。
そして、明治38年と今もあまり変わっていない。

400年前の太平洋側の状況は明治38年の状況と変わっていない。
万葉集とも変わっていないと考えると、日本の西と東を分ける境界線というのは変わっていないと考えて間違いないとの結論がある。

全国の言語区域を東西に分かとうとする時は越中、飛騨、三河の東境に沿って線を引いて西と東に分けるといいとの結論。

言葉の糸魚川断層線のようなものである。

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