五輪史上初、最多金メダル!
2004年8月22日 時事ニュース
開幕から続く日本選手の大活躍とメダルラッシュは、栄光の時代を全く知らない世代の感覚である。
我らの世代はお家芸として勝って当たり前の種目は柔道、体操、水泳、ハンディーを乗り越えての女子バレーどれでも金メダル。
陸上は仕方ない。他国にメダルをくれてやれ!であった。
長きになってしまった人生ゆえ凝縮しているのかもしれぬ。
それぞれ二世が活躍してるのに幾星霜の己の人生を重ね合わせられる。
私共は実に幸せな時代を生きてきた。
予選敗退のサッカーも唯一のメダルを杉山、釜本をメインにメキシコで取ったこともある。
アテネの日本選手の好成績の背後に、指導者の自信が見える。
それは「型」の復権、原則回帰があるのはまちがいない。
体操のコマネチ的曲芸的な技巧より鮮やかな身のこなし。
修練を積んだ型を覚えれば極限技も、神業たる様式美となる。
手加減とは頂点に達したものができること。王者の風格である。
なかでも柔道の基本は心技体が古来から言われている基本型。
シドニーの覇者で、アテネでも「金メダルに最も近い男」
といわれた柔道の井上康生が、散った。見かねるほどの敗北。
二度目の五輪、三度の世界選手権を通じ、初めて経験した
敗北。「不敗神話」の崩壊。
「実力がなかったということです」
「敗北を糧にしてもう一度、階段を上がっていきたい」
それでよし。これからも言い訳は一切しないだろう。
アテネで何があったのか。県民は一切を問わない。
しかし雪辱戦に立ち上がることは信じて疑ってない。
これからが「柔道家」井上康生の誕生である。
みよ!偉大なる日本柔道を築いた郷土の偉人を !
井上康生をめざす幼き柔道を愛するものを!。
延岡市では毎年9月九州各地から1000名以上の小中学生の
かわいい猛者が集う。
磯貝十段の功績を称え、郷土の生んだ先駆者に近づこうと、その精神を学ぶのである。
近代柔道は講道館柔道の創始者・嘉納治五郎の存在なくしては語れない。
多数の流派がしのぎを削る柔術から柔道へと進化する過渡期である。
戦前クロサワ映画の「姿三四郎」確か処女作で三船敏郎と月形竜之介がススキの野原で組あい落ちていくシーンを記憶している。
モデルは磯貝十段。
明治4年、延岡に生まれ、海軍士官学校の夢破れ、21歳のとき磯貝十段は講道館に入門。
明治、大正、昭和にかけて我が国の柔道界に大きな足跡を残した。
今日オリンピック種目になるほどの隆盛を極めている。
身長156cm、体重75kgに満たない小柄な身体で最高位の生前十段となり、まさに「柔よく剛を制す」という柔道の神髄を身をもって示し、
日本柔道史に不滅の光を放っている。
「正しい心で礼儀を尽くし、自己完成を図る」嘉納師範の考え方を、
第一の門下生として実践し広めた先駆者。
柔道は引き手と襟を取る組み手をしてから戦いは始まるが、
「賭け逃げ」に終始されると技を出さない!として指導を取られる。
スポーツ柔道にダイゴミはない。
康生には一本をとる柔道のこだわりがあったのかもしれない。
押したり引いたり寝ころんだりの小手先の駆け引きが、
あまり目立たなくなったアテネ。
試合の流れを他の試合と比べるがいい。審判も含めて異様である。
康生に関しては異様に目立った心理戦を挑まれたと感ずる。
一本気な日向人の気性を見抜かれたのかもしれない。
よ〜し、では我らに希望を与えてくれてる康生に
棘あるサンシュの木で出来た宮崎産の冠をかぶせよう。
サンシュの「月桂冠」。いいではないか。
この四年間、棘のある冠をかぶりつづけた康生の痛みをサンシュの冠は伝えるであろう。
伝説では桂は切られても元に戻り、永遠の命を備えた木であるという。
庭の山椒の木 鳴る鈴かけてヨーホイ
鈴の鳴る時ゃ 出ておじゃれよ
鈴の鳴る時ゃ 何と言うて出ましょうヨーホイ
駒に水やろうと 言うて出ましょうよ
お前ゃ平家の 公達ながれヨーホイ
おどま追討の 那須の末よ
那須の大八 鶴富おいてヨーホイ
椎葉たつ時ゃ 目に涙よ
「山椒」だと木の芽のことで葉を香辛料に使う。「サンシュ」は実が赤く秋珊瑚と呼ばれ、初春に黄色い花を付ける。全く異なる。
香辛料としての価値は絶大。若菜や若葉は両手のひらでパンとたたいて、煮物や汁、寿司に飾るとこれだけで春の香が満喫できる。
また、味噌、砂糖、みりんを加えてすり鉢ですりあわせての味噌は、 野菜や魚貝あえに用いる。
漢方の芳香性健胃薬、また、膿の吸い出しには葉の汁を滲みこませた布を患部に当てる。
青い果実と強度焼酎での果実酒もいい、。税務署さん内緒デスゾ!
冷え症、低温血圧、月経不順、胆石症のよろず薬。
自生として山地にあり、栽培もされる落葉低木。
岐阜県北部吉城郡上宝村は国内一の産地でもある。
サンショウの木はさほど大きくなく1mから3mほどが一般的だが、希に5mくらいになることもある。
葉の1枚1枚は小さく、幹には鋭い刺がる。
夏には青ザンショウと呼ばれる青い実を付け、秋には赤くなりはじけて黒い種子を見せる。
幹は堅く香りも良いことから、すりこ木として利用されている。
香辛料、薬料としてよく知られているが、なぜか家の敷地内に植えると病人を呼ぶという俗信もあるが知らずに植えられているのであろう。
洋の東西を問わず月桂冠には事欠かない逸話がある。
イギリスでは、19世紀の最高の自然派詩人ワーズワースや
イノック・アーデン岩波文庫の作者テニソンに桂冠詩人の称号が与えられている。
これらは、ギリシャ神話のアポロンとダフネの物語に由来する。
太陽神アポロンは、、恋多き神。 弓矢、予言、医術をつかさどり、姿はとびっきりの美青年。 これで女の気を引かぬはずはない。
エロスはアポロンにからかわれて、いたずら心を起こす。
黄金の矢と鉛の矢を二本同時に放つ
黄金の矢は、アポロンの胸を射抜く。これは恋心をそそる矢。
鉛の矢は、恋をはねつける矢でそれを受けたのは、ダフネという
川の神ペネイオスの娘
ダフネは恋愛に興味はなく野山を駆け回るほうが好きな女の子。
アポロンはこの娘に恋をした。
ダフネはうとましいと思うばかり矢の魔力も効いている。
ふたりの衝動に歯止めは効きぬ
追うアポロン、逃げるダフネ
追いつめられダフネは叫ぶ。
「おとうさま、、私を隠してください。それが叶わぬなら、恐ろしい目に合わないように、この姿を変えてください!」
父ペネイオスは、たとえ相手が主神ゼウスの息子のオリンポスでも指折りの実力者としても、いやがる娘に「よいではないか」とは言えぬ。
ダフネの姿は一本のみずみずしい樹木となる。
アポロンは、嘆き悲しみ、この樹を自分の樹と定める。
以後、彼の弓矢はこの樹からつくられ、神殿はこの樹に守られ、いまも神殿を覆っているそうだ。
枝から作られた冠は、アポロンの頭部をかざる。
この樹木が、月桂樹。その冠を勝利者に贈る習慣が今に伝わる。
では月桂樹とは・・
中国の伝説によれば・・月には、桂(けい)という木が植わっている。
地中海を原産地とする月桂樹の名はこの伝説による。
ドイツの詩人ビーバウムは歌う
「能ある香草/かぐわしく美味を醸しぬ/さればとて草の冠、黒髪に戴(人よ/ゆめ胸に忘るるなかれ、その枝に棘あることを」
女の刺す棘の一つは殿方を今も恐怖で包む。
げに、女は怖い。
我らの世代はお家芸として勝って当たり前の種目は柔道、体操、水泳、ハンディーを乗り越えての女子バレーどれでも金メダル。
陸上は仕方ない。他国にメダルをくれてやれ!であった。
長きになってしまった人生ゆえ凝縮しているのかもしれぬ。
それぞれ二世が活躍してるのに幾星霜の己の人生を重ね合わせられる。
私共は実に幸せな時代を生きてきた。
予選敗退のサッカーも唯一のメダルを杉山、釜本をメインにメキシコで取ったこともある。
アテネの日本選手の好成績の背後に、指導者の自信が見える。
それは「型」の復権、原則回帰があるのはまちがいない。
体操のコマネチ的曲芸的な技巧より鮮やかな身のこなし。
修練を積んだ型を覚えれば極限技も、神業たる様式美となる。
手加減とは頂点に達したものができること。王者の風格である。
なかでも柔道の基本は心技体が古来から言われている基本型。
シドニーの覇者で、アテネでも「金メダルに最も近い男」
といわれた柔道の井上康生が、散った。見かねるほどの敗北。
二度目の五輪、三度の世界選手権を通じ、初めて経験した
敗北。「不敗神話」の崩壊。
「実力がなかったということです」
「敗北を糧にしてもう一度、階段を上がっていきたい」
それでよし。これからも言い訳は一切しないだろう。
アテネで何があったのか。県民は一切を問わない。
しかし雪辱戦に立ち上がることは信じて疑ってない。
これからが「柔道家」井上康生の誕生である。
みよ!偉大なる日本柔道を築いた郷土の偉人を !
井上康生をめざす幼き柔道を愛するものを!。
延岡市では毎年9月九州各地から1000名以上の小中学生の
かわいい猛者が集う。
磯貝十段の功績を称え、郷土の生んだ先駆者に近づこうと、その精神を学ぶのである。
近代柔道は講道館柔道の創始者・嘉納治五郎の存在なくしては語れない。
多数の流派がしのぎを削る柔術から柔道へと進化する過渡期である。
戦前クロサワ映画の「姿三四郎」確か処女作で三船敏郎と月形竜之介がススキの野原で組あい落ちていくシーンを記憶している。
モデルは磯貝十段。
明治4年、延岡に生まれ、海軍士官学校の夢破れ、21歳のとき磯貝十段は講道館に入門。
明治、大正、昭和にかけて我が国の柔道界に大きな足跡を残した。
今日オリンピック種目になるほどの隆盛を極めている。
身長156cm、体重75kgに満たない小柄な身体で最高位の生前十段となり、まさに「柔よく剛を制す」という柔道の神髄を身をもって示し、
日本柔道史に不滅の光を放っている。
「正しい心で礼儀を尽くし、自己完成を図る」嘉納師範の考え方を、
第一の門下生として実践し広めた先駆者。
柔道は引き手と襟を取る組み手をしてから戦いは始まるが、
「賭け逃げ」に終始されると技を出さない!として指導を取られる。
スポーツ柔道にダイゴミはない。
康生には一本をとる柔道のこだわりがあったのかもしれない。
押したり引いたり寝ころんだりの小手先の駆け引きが、
あまり目立たなくなったアテネ。
試合の流れを他の試合と比べるがいい。審判も含めて異様である。
康生に関しては異様に目立った心理戦を挑まれたと感ずる。
一本気な日向人の気性を見抜かれたのかもしれない。
よ〜し、では我らに希望を与えてくれてる康生に
棘あるサンシュの木で出来た宮崎産の冠をかぶせよう。
サンシュの「月桂冠」。いいではないか。
この四年間、棘のある冠をかぶりつづけた康生の痛みをサンシュの冠は伝えるであろう。
伝説では桂は切られても元に戻り、永遠の命を備えた木であるという。
庭の山椒の木 鳴る鈴かけてヨーホイ
鈴の鳴る時ゃ 出ておじゃれよ
鈴の鳴る時ゃ 何と言うて出ましょうヨーホイ
駒に水やろうと 言うて出ましょうよ
お前ゃ平家の 公達ながれヨーホイ
おどま追討の 那須の末よ
那須の大八 鶴富おいてヨーホイ
椎葉たつ時ゃ 目に涙よ
「山椒」だと木の芽のことで葉を香辛料に使う。「サンシュ」は実が赤く秋珊瑚と呼ばれ、初春に黄色い花を付ける。全く異なる。
香辛料としての価値は絶大。若菜や若葉は両手のひらでパンとたたいて、煮物や汁、寿司に飾るとこれだけで春の香が満喫できる。
また、味噌、砂糖、みりんを加えてすり鉢ですりあわせての味噌は、 野菜や魚貝あえに用いる。
漢方の芳香性健胃薬、また、膿の吸い出しには葉の汁を滲みこませた布を患部に当てる。
青い果実と強度焼酎での果実酒もいい、。税務署さん内緒デスゾ!
冷え症、低温血圧、月経不順、胆石症のよろず薬。
自生として山地にあり、栽培もされる落葉低木。
岐阜県北部吉城郡上宝村は国内一の産地でもある。
サンショウの木はさほど大きくなく1mから3mほどが一般的だが、希に5mくらいになることもある。
葉の1枚1枚は小さく、幹には鋭い刺がる。
夏には青ザンショウと呼ばれる青い実を付け、秋には赤くなりはじけて黒い種子を見せる。
幹は堅く香りも良いことから、すりこ木として利用されている。
香辛料、薬料としてよく知られているが、なぜか家の敷地内に植えると病人を呼ぶという俗信もあるが知らずに植えられているのであろう。
洋の東西を問わず月桂冠には事欠かない逸話がある。
イギリスでは、19世紀の最高の自然派詩人ワーズワースや
イノック・アーデン岩波文庫の作者テニソンに桂冠詩人の称号が与えられている。
これらは、ギリシャ神話のアポロンとダフネの物語に由来する。
太陽神アポロンは、、恋多き神。 弓矢、予言、医術をつかさどり、姿はとびっきりの美青年。 これで女の気を引かぬはずはない。
エロスはアポロンにからかわれて、いたずら心を起こす。
黄金の矢と鉛の矢を二本同時に放つ
黄金の矢は、アポロンの胸を射抜く。これは恋心をそそる矢。
鉛の矢は、恋をはねつける矢でそれを受けたのは、ダフネという
川の神ペネイオスの娘
ダフネは恋愛に興味はなく野山を駆け回るほうが好きな女の子。
アポロンはこの娘に恋をした。
ダフネはうとましいと思うばかり矢の魔力も効いている。
ふたりの衝動に歯止めは効きぬ
追うアポロン、逃げるダフネ
追いつめられダフネは叫ぶ。
「おとうさま、、私を隠してください。それが叶わぬなら、恐ろしい目に合わないように、この姿を変えてください!」
父ペネイオスは、たとえ相手が主神ゼウスの息子のオリンポスでも指折りの実力者としても、いやがる娘に「よいではないか」とは言えぬ。
ダフネの姿は一本のみずみずしい樹木となる。
アポロンは、嘆き悲しみ、この樹を自分の樹と定める。
以後、彼の弓矢はこの樹からつくられ、神殿はこの樹に守られ、いまも神殿を覆っているそうだ。
枝から作られた冠は、アポロンの頭部をかざる。
この樹木が、月桂樹。その冠を勝利者に贈る習慣が今に伝わる。
では月桂樹とは・・
中国の伝説によれば・・月には、桂(けい)という木が植わっている。
地中海を原産地とする月桂樹の名はこの伝説による。
ドイツの詩人ビーバウムは歌う
「能ある香草/かぐわしく美味を醸しぬ/さればとて草の冠、黒髪に戴(人よ/ゆめ胸に忘るるなかれ、その枝に棘あることを」
女の刺す棘の一つは殿方を今も恐怖で包む。
げに、女は怖い。
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