至芸?

2004年8月25日
泥酔。こんな状態で・・寝るのが先決・もう少しで仕事もはじまる・・日頃ははアルコールとはまったく縁がないが仕事となると呑めるのか、下戸なのか自分が解らない。

尤も、飲める人に比ぶればお遊び程度であろうが私にすれば鯨公の称号を密かに自分に冠して褒め称えている。

酒飲んでる自分を誉めて称えるのも変であるがアルコールを受け付けないのによくやってるゆえにである。

では何故呑むのか。実はコウなのである。
夕方7時頃大会社の所長さんから電話。

「仕事?でてこんな。大太鼓に居る。福岡からきちょる。」
「はぁい!」

九州男児はすべてこれ。この雰囲気がいい。
酒飲みは総てに最優先する。

山口からお見えのお客さんを放りだし、直ちにニシタチに向かう。
大先輩には申し訳なくタクシー変わり役をお許しいただいた。

そんなことではよっぽど嫌われているでしょうって!余計なお世話。
そうでもないんでス。

「たまにゃ、仕事を忘れ楽しんでください。」と応援を頂く。
どうも・・愚痴をエネルギーに生きてるきらいが強い私ゆえご迷惑をかけている。

それからという時間は別人の私。先ほどのしかめ顔は何処にもない。
よ〜そんなに〜変化できるわ〜。
ジキル博士とハイド氏どころの変化ではない。

すでに6名の方々は酩酊寸前の状態で通常なら追いつく事で大変だろうが、そこは違う。

ひととおり、の謙虚さの挨拶後は我意を得たりである。
自重ぎみながらも脱線状態なか笑いを取るに徹する。

太鼓もちの一八さんを越えるサービスぶりで腹に針でも打たせてでも
この座を盛り上げる状態。

手土産の自然薯山芋原産の「天らんぼう」 またたび原産の「またたび焼酎」・・・「百年の孤独」は・・おもむろに・・

どうもお持ち帰りだけのようでご披露の栄誉には浴すことが出来なく
可愛そう状態の差し入れ焼酎たち。

途中編隊の変更。補充される。実に偶然のことである。
、今日の午後から始めた太陽光発電の発注元の方そこのNO2の方と偶然顔を合わせて急遽大増強部隊である。

所長さん・・・酩酊状態の中・・・ブラカン・・・意味不明で
西銀座通りを探しあぐねている。

かって知ったるで、あいの手、
「ここらあたりにはそんな店あります?」・・

「店じゃなくビル・・・」「店じゃなくビル・・」雅、鶴丸・・
「それもっと向こう・・でしょう・・・地蔵さんの向こう・・」

むかしむかし通っていたブラウンカン・ビル。
そのとなりも含め広さんのご所有となってるようである。

税務署さんしっかり所得把握してるでしょうね。
名うての錬金術師のこの方は凄い方でもある。

お元気なのだろうか。
この方毎年所得10傑にご登場できるこの方の上がりも結構あるので
あろう。

二次会、三次会と深夜まで及びそれぞれ宴会技をご披露。
そりゃ〜ママさんも喜んでもらえるほどですわ〜な〜。

輝いてたのであろうな。あの頃・・新宿末広通りの末広亭かどを右に回り・・エェット〜となにビルだったか・・

・・屋号は・・・ココケット・・確かそう・寄席好きの集うところ・・
二つ目クラスの方でさえ、座を盛り上げる九州の素人芸に
お褒めを頂き楽しんだほどの折り紙つきですもの。

最後は3名での更科うどんの釜揚げうどんを汗びっしょりで
食してお開き。

うどん?ウヌッ・・だれだったか・・リプレイ・・
味は現地の雰囲気も含めていると思えるので書くのやめようット!

それよりもわれわれお年寄りには・・石・・硬すぎる・・・医師
問題である。
お医者さん不足の話も出た。

三十六年ぶりの大改革と言われる新研修医制度。
専門に特化した従来の研修制度が「病気は診るが、人を診ない」

などとの批判が出ていたことから、すべての医師が
初期診療(プライマリ・ケア)できるようにとスタートした。

研修医がアルバイトをせず研修に専念できるよう、研修医手当など処遇を適切に行うよう方針を出したのも新制度の特徴だ。
 
医師派遣中止など地域医療に波紋も広げているが、将来的な医師確保の面から県内医療関係者には期待する声が大きい。

「県内の研修医が増えれば、宮崎に根付く医師も多くなる」という考えだ。
 
「いまの学生は情報収集量がすごい。魅力的な研修をしないと来なくなる」と宮日紙の県立宮崎病院の豊田清一院長のことば。
 
 県、主要病院、医師会は昨年、運営協議会を設置。
今後は研修医の相談窓口を設置するなど県内の医療界全体で医師育成をバックアップする。
 
「うちの病院は大学派遣の一番若い先生に年収約千六百万円を払っている。しかし、給料は半分でも、大学病院に近い勤務がいいと言われる」

へき地の公立病院の事務長談と宮日紙。
 
別の病院事務長も「年収を二千万円に上げても医師が来るかどうかは別の問題だ」と言い切る。へき地を含む地域医療に不足する医師。

医師には経済的理由とは、別の価値観がある。
だから地方病院は医師確保に苦慮する。 
    
 「ぼくもそうだったが、大学病院の医局にいると、三十代後半でも
関連病院でアルバイトをしないと生活できない」県央の公立病院長の談・・

という実情でも情報や症例の多い都市部に
医師は残る。
 
 「技術修得には大きな病院にある期間いなければしょうがない。
へき地に行くこと自体が自殺行為に近い」と外科のは本音。  

医師の偏在 県内の医師数は02年12月末で2492人で、
98年に比べ100人以上増加している。

人口10万人あたりでは213・5人で全国平均206・1人を上回る。
しかし医師の50・2%が宮崎東諸県医療圏に集中。

同圏域の人口は県内全体の36・4%。比率を考えても
“一極集中”は顕著だ。これでは圏内の意思不足は解消できない。

麻酔科医問題で揺れた延岡病院立て直しのため昨年四月、熊本大から招かれた県立延岡病院の小川道雄院長の弁。
 
「医師が疲労困ぱいで医局に帰ってくる。システムを変えないと、医局が行けと言っても絶対に行く人がいなくなります」。
 
 「実際、麻酔科医がやめたのもそういう原因があると思う。この病院はものすごく忙しい」    
     
 教授時代も午前七時から午後十一時まで休みなしでやってきた小川院長が「忙しい」というのは数字にも表れている。
 
 重篤な患者を扱うことの多い脳神経外科、
心臓血管外科の手術数は年平均六一七・六件。
宮崎病院の五三八・八件より多い。

地理的、交通網整備の遅れから連携できる病院のない、
“逃げ場のない”病院の姿が浮かび上がる。
 
 これに加え「医師が四人いれば二つの手術を同じ時間帯にできるが、三人だと一つの手術を終えて、次の手術となる。拘束時間も長くなる」と小川院長は過重労働になっていた要因の一つを説明する。
 
 これまでの人脈や、宮崎大など県内医療機関の協力を得て心臓血管外科を三人から四人、神経内科を二人から三人、内科を十人から十一人と増員。麻酔科医問題の焦点となっていた救命救急センターは救急専門医二人を本年度までに確保した。

朝日紙による。全日本病院協会尼崎中央病院理事長吉田静雄先生。

地域病院の若手医師の不足が顕著化している。
大学院の重点化を進める文部科学省の弊害である。

医学部を卒業したばかりの新人医師にこの4月から2年間の臨床研修を必修化したからである。

医学の分野でも国際的に優れた研究業績をあげようとの意図である。
医学部の講座を大学院に移し定員を増…

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