自然の猛威
2004年8月27日朝4時頃から空をにらみつけている。
高城町の3.8KWの太陽光発電工事の強行を決めた。
実に因果な立場を自ら買ってでてる状況から逃げ出せ得ないでいる。
ひたすら,にらみつけてる様はさながら、弁慶の衣川の仁王立ちの
にらみ。
NHK大河ドラマの緒方拳の扮んした弁慶は白黒時代のテレビに歴史的一場面を残した。
にらみの極めつけの新之助改め十一代目市川海老蔵(26)の襲名披露の大阪・道頓堀の大阪松竹座でのにらみをおそらく越えてることであろう。
みたいなぁ〜,市川家代々に伝わる「にらむ見得」の披露。
スポーツ紙は伝えている。
・・・・「まだまだお恥ずかしい次第ですが、吉例にならい、ひとつ
にらんでご覧にいれまする」
と、カッと目を見開いて黒目を寄せ
“にらみ”を決めた。満席約1030人の客席からは
「成田屋!」「十一代目!」の声が飛びかい、大きな拍手が沸き起こった。
口上では中村鴈治郎(72)、片岡仁左衛門(60)ら幹部13人も一列に並んで祝福。
「海老蔵の言動や行動に関してなかなか楽しい話題を提供してくれるが研究熱心な青年」(中村時蔵)
、
「阪神タイガース同様海老蔵に熱い応援をよろしく」尾上菊五郎)
などと笑いを誘う祝辞で沸かせた。
なお父・市川團十郎(57)は「急性前骨髄球性白血病」で療養中で休演。
9月初めに退院し10月のパリが復帰舞台と伝えている。
團十郎・海老蔵の150年ぶりの揃い踏みは関西では実現してない。
「先祖の名に恥じぬよう芸道に精進いたします」と改めて決意を表明した新海老蔵。
夜の部では“お家芸”の「勧進帳」の武蔵坊弁慶、「弁天娘女男白波」の利平を演じ、“平成の海老さま”を強烈にアピール。
・・・・・・
朝日とともに一変する雲の色。美しき白雲とはまるっきり別物。
まっくろの大空の背景色は昼間に堂々と盗まれたムンクの叫びかもしれない。
自然の猛威たる台風は淀んだ水源たる河川をはじめいろんなものを浄化し恵みをくれる。
久々の宮崎上陸となるであろう16号は台風復活の宮崎の景気回復の起爆剤となりえないものか。
イオンの建設は槌音高く整備が進むが将来の見通しは、この近辺にはまったく届いていない。
嵐の前の静けさ、は今朝の天気状況と同じである。
昨夜専務が足場やさんは断ったはずなのに
その足場屋さんから、電話がきた。
「この天気状況ですが、やるんですか。」
あれっお断りの電話を昨夜してたはず、
「昨日の作業分はお支払いたしますので・・・」
「既に積み込んであるのでその分も・・・・」
「では作業してください」
小雨は降るであろうから、丁度いい。自分を納得さすが調子悪い。
災いを転じて福となす。
2メートル以上はもともと危険作業で足場はいる。
まして台風接近の中での作業。
太陽光発電完成までには胃袋が何回破れることであろう。
携わるのがいやになりそうな時がある。
精神的プレッシャーを賭けられた時である。
天気状況が悪い中での着工、それも足場無しは眠れぬ。
7時に職人さんは私のおまじないのお茶を飲んで出て行った
もちろん夕方には金田太陽光発電を総て完成させてのご帰還である。
のに、今日もあれほど行っても9時出勤。専務のバカッタレ!
一晩中天をにらみつける。パソコン画面の不思議な地球を見つめる。
実に神秘的。陸地があって、生命の源たる海がある。その比率のよさで雲が発生して生命に必要な水の恵みをもたらす。
台風なんぞはその最大のプレゼントのはずである。
各地に傷跡を残していくがそれは肥沃した土地を創りだし、食料たる植物群を作り出す。
生命体のない月は地球と比して大きさの少しの小ささから存在した生命の源たる水は、はじき飛んでいった。水その形跡はある。
雷は植物のミネラル源たる弱電子を方々に撒き散らす。
草を踏みつけるが、しばらくして元に戻るのは草の持つ電子たる電気の力。
家畜の餌で河川堤防の草を刈り、牛馬にえさをやってから、学校に行ってた。買った草を夕方観察すると生命の限りで復帰している。
先っぽには電子の作用たる水玉が成長点にあり、早期に復帰していた。
草刈作業に、新聞配達さえ入ってる日課をこなした。
新聞配達には合羽なしで、冬場の両手には手袋なし、
大自然に挑んでいたのは、よ〜く考えてみると
どうも天分であったのかもしれない。
まっさか、このような太陽光発電なる仕事に出くわすとはゆめゆめ考えられぬこと。
天職とは正にこのこと。生かされてる自分を精一杯いじめ、ギリギリでやらねばならぬ。
何故に荊の道を選択するのか自分にもよ〜くわからぬ。
歴史の見方も自虐的になってるものがあったのか。
この豊饒の時代は生きる目的さえ見失うものがある。
日記の皆様には凛としたものを感じただただ尊敬の念でいっぱいである。
向学心溢れ、常に向上しようとの前進する力、ひたすら脱帽。
この人たちが居る限り日本は大丈夫。
何もアテネでの金メダルの数だけが国威発揚ではない。
地道な毎日の一歩それだけが凄いことなので自分に金メダルを密かに上げればいい。
小津映画がクロサワ以上に評価されるのもこの観点からの民族性を見てのことであろう。
コツコツと辛抱強くこれがわが民族性。うまずたゆまずのの毎日。
ただ、歴史の流れの中での個人のあり方、自然環境たる、中で日常を過ごしてる中に不可思議はないのか、をも考えていかないと
生物体としての存続はない。
環境、エネルギー、平和な国。生きてる前提である。
異性愛、家庭、家族は個人的差異が生じよう。
歴史を学ぶのは何も為政者の名前を覚える為でなく今を生きる一人の人間の生き方をどうするのか。
その為の先人の知恵を借りるのに過ぎないはずだ。
その中に自分を投影してみて今の環境たる自分に置き換える。
生きるエネルギーはそこのところから沸き起こってくるハズ。
自分をみつめる。・・・その中での決断・・・さぁ〜やるぞ!
ここんとこ、APAの民間天気予報のほうがAPAには役に立っている。
気象庁に任せていたらどのくらいの仕事をこなしていたのかと思うと
ゾッとする。
営業におけるオーバートークが必要なのもうなずける。
ト〜ンと背中を突いてやる役割なんであろう。
地球を愛し、地球を知り、太陽光発電を普及させる。
どうも普遍的原則があるようだ。
そうすれば神のなせる技たる天候も味方してくれるのであろう。
真剣な態度、その繰り返し、。。どうも身が持たぬ。
癒しねぇ〜その時間をも作らねば自分を見失いそうである。
利幅がないための自転車操業的スケジュールになってるやも知れぬ。
やせ我慢。仕事があるだけで嬉しい。
形而上的になってるきらいがある。過去を見よ。
ますますのびゆくAPA。
螺旋状的発展とはゆえ立ち止まればいずれにせよ一点にすぎぬ。
一点の位置が違っただけ。
所詮繰り返しである。生々流転人生と同じであろうか。
自然の猛威は立ち止まらせて思考の時間をあたえてくれる。
いっそ、停電大洪水でも起こればいい。
日常の有り難さ、人の連鎖の大切さを身をもって学べるのかも知れぬ。
危ないあぶない、危険思想が頭を持ち上げる。
平和な時代に生きる常識を持ちましょうや、せきやんさん。
ゆっくり。人並みに。
それでは会社は持たぬ。理想と現実のギャップは埋まりそうにない。
嵐よ来るなら来い!
高城町の3.8KWの太陽光発電工事の強行を決めた。
実に因果な立場を自ら買ってでてる状況から逃げ出せ得ないでいる。
ひたすら,にらみつけてる様はさながら、弁慶の衣川の仁王立ちの
にらみ。
NHK大河ドラマの緒方拳の扮んした弁慶は白黒時代のテレビに歴史的一場面を残した。
にらみの極めつけの新之助改め十一代目市川海老蔵(26)の襲名披露の大阪・道頓堀の大阪松竹座でのにらみをおそらく越えてることであろう。
みたいなぁ〜,市川家代々に伝わる「にらむ見得」の披露。
スポーツ紙は伝えている。
・・・・「まだまだお恥ずかしい次第ですが、吉例にならい、ひとつ
にらんでご覧にいれまする」
と、カッと目を見開いて黒目を寄せ
“にらみ”を決めた。満席約1030人の客席からは
「成田屋!」「十一代目!」の声が飛びかい、大きな拍手が沸き起こった。
口上では中村鴈治郎(72)、片岡仁左衛門(60)ら幹部13人も一列に並んで祝福。
「海老蔵の言動や行動に関してなかなか楽しい話題を提供してくれるが研究熱心な青年」(中村時蔵)
、
「阪神タイガース同様海老蔵に熱い応援をよろしく」尾上菊五郎)
などと笑いを誘う祝辞で沸かせた。
なお父・市川團十郎(57)は「急性前骨髄球性白血病」で療養中で休演。
9月初めに退院し10月のパリが復帰舞台と伝えている。
團十郎・海老蔵の150年ぶりの揃い踏みは関西では実現してない。
「先祖の名に恥じぬよう芸道に精進いたします」と改めて決意を表明した新海老蔵。
夜の部では“お家芸”の「勧進帳」の武蔵坊弁慶、「弁天娘女男白波」の利平を演じ、“平成の海老さま”を強烈にアピール。
・・・・・・
朝日とともに一変する雲の色。美しき白雲とはまるっきり別物。
まっくろの大空の背景色は昼間に堂々と盗まれたムンクの叫びかもしれない。
自然の猛威たる台風は淀んだ水源たる河川をはじめいろんなものを浄化し恵みをくれる。
久々の宮崎上陸となるであろう16号は台風復活の宮崎の景気回復の起爆剤となりえないものか。
イオンの建設は槌音高く整備が進むが将来の見通しは、この近辺にはまったく届いていない。
嵐の前の静けさ、は今朝の天気状況と同じである。
昨夜専務が足場やさんは断ったはずなのに
その足場屋さんから、電話がきた。
「この天気状況ですが、やるんですか。」
あれっお断りの電話を昨夜してたはず、
「昨日の作業分はお支払いたしますので・・・」
「既に積み込んであるのでその分も・・・・」
「では作業してください」
小雨は降るであろうから、丁度いい。自分を納得さすが調子悪い。
災いを転じて福となす。
2メートル以上はもともと危険作業で足場はいる。
まして台風接近の中での作業。
太陽光発電完成までには胃袋が何回破れることであろう。
携わるのがいやになりそうな時がある。
精神的プレッシャーを賭けられた時である。
天気状況が悪い中での着工、それも足場無しは眠れぬ。
7時に職人さんは私のおまじないのお茶を飲んで出て行った
もちろん夕方には金田太陽光発電を総て完成させてのご帰還である。
のに、今日もあれほど行っても9時出勤。専務のバカッタレ!
一晩中天をにらみつける。パソコン画面の不思議な地球を見つめる。
実に神秘的。陸地があって、生命の源たる海がある。その比率のよさで雲が発生して生命に必要な水の恵みをもたらす。
台風なんぞはその最大のプレゼントのはずである。
各地に傷跡を残していくがそれは肥沃した土地を創りだし、食料たる植物群を作り出す。
生命体のない月は地球と比して大きさの少しの小ささから存在した生命の源たる水は、はじき飛んでいった。水その形跡はある。
雷は植物のミネラル源たる弱電子を方々に撒き散らす。
草を踏みつけるが、しばらくして元に戻るのは草の持つ電子たる電気の力。
家畜の餌で河川堤防の草を刈り、牛馬にえさをやってから、学校に行ってた。買った草を夕方観察すると生命の限りで復帰している。
先っぽには電子の作用たる水玉が成長点にあり、早期に復帰していた。
草刈作業に、新聞配達さえ入ってる日課をこなした。
新聞配達には合羽なしで、冬場の両手には手袋なし、
大自然に挑んでいたのは、よ〜く考えてみると
どうも天分であったのかもしれない。
まっさか、このような太陽光発電なる仕事に出くわすとはゆめゆめ考えられぬこと。
天職とは正にこのこと。生かされてる自分を精一杯いじめ、ギリギリでやらねばならぬ。
何故に荊の道を選択するのか自分にもよ〜くわからぬ。
歴史の見方も自虐的になってるものがあったのか。
この豊饒の時代は生きる目的さえ見失うものがある。
日記の皆様には凛としたものを感じただただ尊敬の念でいっぱいである。
向学心溢れ、常に向上しようとの前進する力、ひたすら脱帽。
この人たちが居る限り日本は大丈夫。
何もアテネでの金メダルの数だけが国威発揚ではない。
地道な毎日の一歩それだけが凄いことなので自分に金メダルを密かに上げればいい。
小津映画がクロサワ以上に評価されるのもこの観点からの民族性を見てのことであろう。
コツコツと辛抱強くこれがわが民族性。うまずたゆまずのの毎日。
ただ、歴史の流れの中での個人のあり方、自然環境たる、中で日常を過ごしてる中に不可思議はないのか、をも考えていかないと
生物体としての存続はない。
環境、エネルギー、平和な国。生きてる前提である。
異性愛、家庭、家族は個人的差異が生じよう。
歴史を学ぶのは何も為政者の名前を覚える為でなく今を生きる一人の人間の生き方をどうするのか。
その為の先人の知恵を借りるのに過ぎないはずだ。
その中に自分を投影してみて今の環境たる自分に置き換える。
生きるエネルギーはそこのところから沸き起こってくるハズ。
自分をみつめる。・・・その中での決断・・・さぁ〜やるぞ!
ここんとこ、APAの民間天気予報のほうがAPAには役に立っている。
気象庁に任せていたらどのくらいの仕事をこなしていたのかと思うと
ゾッとする。
営業におけるオーバートークが必要なのもうなずける。
ト〜ンと背中を突いてやる役割なんであろう。
地球を愛し、地球を知り、太陽光発電を普及させる。
どうも普遍的原則があるようだ。
そうすれば神のなせる技たる天候も味方してくれるのであろう。
真剣な態度、その繰り返し、。。どうも身が持たぬ。
癒しねぇ〜その時間をも作らねば自分を見失いそうである。
利幅がないための自転車操業的スケジュールになってるやも知れぬ。
やせ我慢。仕事があるだけで嬉しい。
形而上的になってるきらいがある。過去を見よ。
ますますのびゆくAPA。
螺旋状的発展とはゆえ立ち止まればいずれにせよ一点にすぎぬ。
一点の位置が違っただけ。
所詮繰り返しである。生々流転人生と同じであろうか。
自然の猛威は立ち止まらせて思考の時間をあたえてくれる。
いっそ、停電大洪水でも起こればいい。
日常の有り難さ、人の連鎖の大切さを身をもって学べるのかも知れぬ。
危ないあぶない、危険思想が頭を持ち上げる。
平和な時代に生きる常識を持ちましょうや、せきやんさん。
ゆっくり。人並みに。
それでは会社は持たぬ。理想と現実のギャップは埋まりそうにない。
嵐よ来るなら来い!
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