来るならこい!

2004年8月28日
自然の猛威たる16号台風がまっすぐに刻々と近づいている。
怖いものの代名詞たる地震・雷・火事・親爺にはあがってない台風。

瑞穂の国に恵みをもたらすゆえに入ってないのかとは私流の考え方。
台風は怖い。風神、雷神より水も怖い。

有限の地球に無限の富を求める人間のおごりに対する神の啓示ではなかろうか。

自然のケガたる災害はどうにもならないとの諦観が生きる知恵。
実際来るものは仕方ないどうにもならないからであろう。

災害は忘れた頃にやって来るとはよくしたもので実にしばらくブリの宮崎直撃である。

経験の薄い若者は自然の恐ろしさを充分に知るがいい。
日本ほど物騒な国はない。

いたるところに温泉がある。
裏返せば火山の上に成り立ってる国土であるわけだ。

神戸、有珠山は当たり前で記念館で見るものではない。
慣れは恐ろしいもので自然への畏敬の念がなくなっている。

;えぇ〜二つ,いいことはないのでありまして・・;は芝浜の三木助である。

あらゆる場で昔は教えてもらったが便利さのみ教え、怖さは体験ではなくバーチャル的になれた世代ゆえに怖さが解っていない。

幼少期には台風というと何だかウキウキしてた。
働き者の一家のせきやん岩雄家もお休みである。

雨戸を出し昼なお暗き家内である。
大水、家屋の倒壊を考え隣り家の面々が一箇所の家に集まった。

さながら戦争時の空襲警報の再訓練みたいなものであったのであろう。
家族総出で家の補修をしてこの厄介なお客さんを迎えた。

特に記憶にあること、・・稲や草を刈る生活のシンボルたる鎌を
5〜6メートルの竹の先に縛り台風の向きに向けて立てた。

その長さが長ければ長いほど効果があるということで、それを又各々の家で競ったものだ。

過ぎた後に鎌をはずす時はナンカむなしさを感じてはいたが何らの疑問も湧かない時間が長すぎた。

必死の祈りを込めて・・・どうぞ風、雨を・・・教えられるもなく祈りを込めた。あの頃の何気ない信心が懐かしい。

日常の総てに信心があった、
朝餉の前の屋敷内の家屋の内外に存する神々。

それが外では水神さんの井戸・馬頭観音様の牛馬舎・代々お守りいただいてる南天木で囲まれた先祖様の氏神様。

内がひどい数になる。台所、大黒様、神棚、仏棚・・・
中でも厄介なのは高い位置に祭られてる大黒さんはセガ低いので届かない。
柱に登ってさかずき程度の小さきご飯杯を捧げる。

そのようにして向かえる台風であるが、雨や風が強かったりすると
「おお!」と感動し、逆に前評判の割にはぜんぜん大した事がなかったりすると、心底がっかりした。

小学生の高学年になるとそう単純に喜んでもおれない。
ガス燃料のない頃で、木が唯一の燃料で増水した川を流れて来る木々を泳いでまでして集めた。もちろん競争である。

電柱が一番の成果。流れるものの中には牛豚等もあった。台風一過後の大洪水は燃料集めで子供たちの競いの場であった。

9月1〜2日の社内旅行では球磨川下りが企画してあるがバカなものである。
自然への畏敬の念がない、ゆえ神々の怒りが静まる認識がないからであろう。

さて、鹿児島に上陸との報道予測があるがこういうときの正確な情報はアメリカ軍事情報の正確さを知るがいい。

九州の西岸を経て対馬との予測で宮崎直撃はない。

https://www.npmoc.navy.mil/jtwc/warnings/wp1904.gif

米の刈り取りで苦労するであろう普通作の一部の残る都城方面以外は何らの支障はない。
もたらす豊饒のお客さんで考えてみると多大な自然の水環境の神である。

稲作1反10a当り昭和25年・・・・207時間
       平成7年・・・・・38時間
幼少の頃は2・4ーDなる除草剤はなく水源の水路には小魚が溢れていた。

1945年の米  587万トン
平成の米  1000万トン人口一日200グラムで3兆円の価値。

一石は180キログラムで一年間の食する量。
1粒で10=13株に分結してw120〜130粒で1200〜1300になる
延岡の甲斐さんは特別。4日ごと田植え。話にならぬ。

年間降水量2000mmで世界平均900mmの倍。

全水田280万ha

整理済み140万haに30cmの水を張る
未整理140万haに30cmの水を張る60億トンの貯水能力となる。

日本のダム貯水能力は15億トンでナント4倍の貯水能力のダムである。



            発生 接近  上陸
台風の状況 平成15年 21   12   2
        14年 26   13   3
        13年 26   11   2
71年〜03年      26.7  10.8 2.6

 淡水・・・・2.24
 地表水・・・0.26
 海水・・・・97.5

食物は水で作る”穀物1トンが水 1,000 トンに相当する.

帆船は古くから使われ樽廻船とかの名で日本各地をつないだ、さらに
3本マストの御朱印船まで到達していた船舶技術も鎖国政策で中断。

帆掛け船の帆は風車の翼で言えば抗力型であり、西洋で発達した
マルチマストの帆船の揚力型に比べると風の利用効率が低かった。
太平の世を覚ました黒船の来襲はその姿の異様さにも合ったはずだ。

元寇の「神風」に代表される神国日本?を守る台風、
「風神・雷神図」に描かれた風神、日本は古くから風の強い国である。

中国語起源説、アラビア語起源説、ギリシア語起源説などがあり、はっきりしていない。

“説得力があるのが中国語起源説、
、昔は“颱風”と書いていた“風偏に台”、いかにも台風に相応しい。

“颱”という一文字だけで台風。大風(タイフーン)。
そこから英語の“typhoon”という言葉が生まれ、

明治時代に藤原中央気象台観測員の藤原が英語の“typhoon”をもじって“台風”・

風に聞き流す話。
幼子が風雨の強い日予定をかえた富山人
「た〜たちゃ風雨でな〜んばっちゃんこわし。」

と言っているのを耳にしたイギリス人が、冒頭の部分が転じ
「たいふーん」ちょっと無理がありスギ。

「神道」の祝詞「大祓詞」には、
「科戸の風の天の八重雲を吹き放つ事の如く、朝の御霧夕の御霧を朝風夕風の吹き拂う事の如く」と

風は人間が知らず知らずに犯す「諸諸の禍事罪穢」を祓い清める媒体の例えとして登場する。

菅原道真
「東風吹かば匂ひおこせよ梅の花主なしとて春を忘るな」拾遺集 や

藤原敏行
「秋きぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かれぬる」古今集のように、

風は情報伝達のメディアで偲びの「風の便り」もその類であろう。
ちなみに小倉百人一首では風が詠まれている歌は10首、嵐の2首、山おろしの1首を加えて合計13首だそうな。

先人は風の力によって動かされる雲や植物や水などの「物」を見て「心」の平静をたもった。

「和歌」の伝統は現代にも受け継がれ平成4年(1992年)の歌会始の御題は風。

「ピナツボの火山灰(よな)運び来し西の風今宵加州を金色に染む」 藤田 実在カリフォルニア州

「ビル風に巻き込まれたる盲導犬はあるじと共に足を踏ん張る」 山下アイ子神奈川在

地熱と風力とビル利用風車等々自然エネルギーを感じ取れる。
 今人類は、化石燃料を大量に使って貴重な地球のストックを消費している。

特に化石燃料資源に恵まれない日本の使命は重大で太陽光発電はその使命に答え得ねばならない。

小林、延岡の電気申請の準備で現地に・・よくやるワ〜

 

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