早朝、7時には、昨夜11時に分かれたばかりの方との会話。

「あんたは今日小林じゃったな〜。誰か宮崎・清武方面廻れる人おらんな〜」

この人怪物である。私以上の働き者はいなかったはずなのだ。
「世の辞書にも不可能があった。」3時間睡眠のナポレオンもシタを巻くのかもしれない。

太平の世たる列島は3連休で最後のエンジョイしてる最中である。
わがAPAでさえ、前回旅行に行ってない者は兄弟会社のアトムと昨日から社内旅行との事。

慶事の専務の家を含め休んでるもの6名。
その他はAPAは今日も台風被害者の方のベランダとかの復旧工事。

誰も回せる陣容はないが、強引に日程を決めることとなる。
大先輩にご出勤をお願いし、対応を決める。

朝の8時に他人地を訪問できるかよ!この人は違うのだ。
何たるバイタリチー非常識。

それが違うのだ。奥さんは80歳を越えてるのに庭の柿の木に登って迎えてくれた。

あたりにやたらと横笛、尺八が無造作に数十本・・琴古流直門の免状。
山川直春の朱印が権威付けてるのであろうが門外漢にはその価値はわからぬ。猫に小判。

米良産の圧巻はコンドウ作の銘の尺八で、値600万也。
愛用したものは普通棺おけに入れ持っていくというがこれだけは出来ないと言われる。

人間国宝たる青木鈴慕の名も簡単にあげられるこの御仁は何者。
修行時代は砂利道を自転車で日向に通われ、その後には東京で修行。

仲間の日南の方の笛は芸大にも納品されている本物。
現代の名工である。

NHKの全国大会にも出場されたこの宮崎の誇れる芸術家。
APAでは私の独断で宮崎の人間国宝を授与する。

吹き込まれてるレコードを探したが見つからないので今度お伺いする時はサボレル時間をとろう。実に凄い人である。

邦楽といっても端唄、都々逸の違い、都々逸と漫談 の違いが厳格に賭けない程度では論評さえ出来ない貧しき私の知識。

所詮ラジオでの講談、浪曲の類ではどうしようもない環境。
社会人になっても年一度の寄席通いでは風流は身につかぬ。
寄席の流し風で柳家三亀松を聞いた程度である。

娘のところに発電所を建設すると確約。有り難うございます。
私は小林の約束があり大先輩が来られたので、この後の日程を譲る。

随分とあちこち廻られたと携帯での報告をしあったものだ。
お疲れ様でした。休み返上相すみません。
社内旅行でも行っとけばよかったのに。

小林では、既に2社が見積書を出してあるとの事であるが、
さ〜て誠意は伝わったのか。

見積書の比較をしたい旨、があり、他の物件を遠目にみた。
KWが3kwにも満たないので計画を断念されたと言うことだ。
サンヨーパネルなら実現できることであろう。

ところで朝ほどの方がその間何度となく携帯が入る。
4時の待ち合わせを野尻町紙谷との事である。

カミヤと言えば浅草の神谷バーの「デンキブラン」、
明治45年日本初のバー「神谷バー」として営業を開始。
さかのぼれば、明治13年初代神谷傳兵衛によりの創業。

名物デンキブランは電気の珍しかった創業当時に「新しいもの」という意味をこめ名づけられ他との事。

アルコール度数30度のデンキブランは一杯260円。
度数40度の電氣ブランオールドは一杯360円。
古きよき浅草を代表するカクテル。

えっ!のみたい?宮崎にもあったんですよ!
ボトルごと。何処って?前にも書きました。

ところが日記が消されてるこのサーバー、ばかったれ!よくあること。

え〜ニシタチの三十三軒堂のあるワシントン・ビルの道路をはさん反対側のカクテル専門店。マスターとの会話は東京の香が楽しめる。

野尻をへて、高岡町の車屋さん。大工の名工たる外山発電所の近くの方。

25メートル通しの平屋の家など豪邸のみを作っている。
こりゃ〜パネルを上げなきゃ〜。

分かれた時点の10時過ぎ、実にひどき遅き昼飯。
これでは死ぬるわ〜。

ションベン一つしてないんだもの。
30度を越す真夏日と言うのにである。

星が実に美しい。昨夜の高崎の風情とはこの山間は又違う風情。
見えない水星を追っている。

昭和51(1976)年6月、スイスで国際天文連合会議。
そこで、世界各国から集まった学者達が、大きなものだけでも135個

あるという水星のクレーターに自国の歴史上著名な芸術家の名をつけた。

 バッハ、ベートーベン、ショパン、ホメロス、イブセン、チェホフ、ルノアール、ゴヤ、等々。

日本から出席した京都大学名誉教授宮本正太郎博士は、
13名の日本人を選ぶ。

世阿弥、狩野永徳、二葉亭四迷、鈴木春信、安藤廣重、柿本人麻呂、吉田兼好、紫式部、清少納言、俵屋宗達、紀貫之、運慶、そして、
{黒沢琴古}の13名。

黒沢琴古の名は、その中でも最大の180kmもあるクレーターにつけられた。その理由は180kmが尺八(一尺八寸)に通じ、その最古の流派
琴古流尺八の流祖という事が理由であろう。

因みに、宮本博士は趣味として尺八を嗜み、琴古作の尺八を所持していた。

 昭和52(1977)年、アメリカが惑星探査機ボイジャー2号。
その機内には「宇宙へのメッセージ」として、地球を代表する名曲が搭載された。

 その中には、バッハ、ベートーベン等の曲と共に、山口五郎師が演奏する琴古流本曲の「巣鶴鈴慕」が収録された。

ボイジャー2号は、12年後には海王星に最接近した後、太陽系を離れ 現在も遥かなる宇宙を旅し続けている。

琴古流は江戸時代に黒沢琴古が全国の普化寺を巡って、表18曲、裏17曲の本曲を集め整理したものを継承する流派。

明治時代に、法器であった尺八は楽器としての体裁をととのた。
♪でなくて音名でイロハ、とかいてある。

ト音記号やヘ音記号のある5線譜よりずっと読みやすく
琴古譜が読めれば都山譜も読めると言うが門外漢の私には譜面を見てもチンプンカンプン。

琴古流は、尺八の流派の中で文献上証明できる最も古い流派であり、現在明暗系尺八と称する、錦風流(弘前)、西園流(名古屋)、明暗

対山派(京都)にもその濫觴では多くの影響を与えた。

初代琴古は、筑前(福岡県)黒田藩士の出といわれてる。

若年の時に江戸に出て、尺八の名手であったので普化宗の関東の本山一月寺と鈴法寺の尺八指南役となる。

全国各地の虚無僧寺の伝承曲を収集整理して琴古流本曲として30数曲を定め弟子に伝授。

 これらは、2代琴古の書き残した備忘録「琴古手帳」によって知る事ができる。

 又、初代・2代の琴古によって尺八の指導者として奏法の確立、譜面の統一、伝習曲の整理、製管師として楽器の改作が行われ現在迄伝わる琴古流の基礎が確立された。

 黒沢家は、初代琴古、2代琴古(1747〜1811)、3代琴古(1772〜1816)、4代琴古(?〜1860)と続きましたが、その後は廃業したため
、琴古流の宗家はなくなる。

 その後の琴古流は、実力主義となり、3代琴古の高弟久松風陽(1785〜1871?)が、禅哲学に基づく尺八道を築き、事実上の琴古流宗家となる。

そして、吉田一調(1812〜1881)、荒木古童(1823〜1908)を育成し、その精神と共に琴古流本曲を彼等に伝えた。
荒木古童の弟子が宮崎にお住まいのこの方。スゴイ!

その後のお話はこの方が参加されてきた尺八道で伺い知れる。
宮崎の民謡の神様、奈須稔、美静さんを簡単に喋られるのが凄い!

もちろん西都市の竹中肇や娘のあこチャンも出てくる。
ボランテア仲間の岩満さんも・・

太陽光発電は人を創る。
人格を磨かなければ扱えない。

 

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