ラムネ・・過ぎ行く季節
2004年10月3日季節の変わり目。ボーッとする時間は必要なのかもしれない。
思考しない、他者の目で考えない人に必要なことである。
残り僅かの時間となってきてるのでどうやって死ぬのか死期を考えなければならない。
そのためには宿題の解決である。
まずは先日の大先輩の宿題から答えてゆく事からはじめよう。
昨日の展示会は実に暑かった。秋の2日と言うのに真夏日。
懐かしきラムネを飲んだ。専務にいたってはラムネの空け方さえ忘れてるほどのノスタルジックな飲み物。
空瓶を振ると懐かしき音。
この音には、たしかに思い出が詰まっている。
命題は
「ラムネのビンにはビー玉が入ってるが、いったいどうやって入れるのだろうか。」
であった。
まっさか春日三球・照代の地下鉄漫才。
「地下鉄は何処から入れるのか」を寄席で聞かれたわけではあるまいに真面目を書いたように生きておられる大先輩はときとして面白い。
綾町のガラス工房での事を思い起こせばいい。
ガラスは薩摩切子の時代は別として、熱加工することで変形はいとも簡単な素材でもある。
そこで答えは簡単
「実は、の瓶の口は、もともとビー玉が入る大きさになっており、
ビー玉を入れてから加熱して口を細くしぼめている。」
どうもこれでは面白くもない答えである。
ラムネびんのさわやかな色合いと独創的なカタチ、そしてどこか温かみのあるあの手触り…。
明治、大正、昭和そして、平成と飲み継がれ、時代を超えて愛されてきたラムネ。その愛らしい姿と味には誰もがノスタルジーを感じる。
ラムネとは、びんの口にビー玉で栓(せん)をした炭酸飲料のこと。
業界団体のラムネについての伺いに対しては、昭和53年に公正取引委員会景品表示指導課から、の回答がある。
「ラムネに係わる表示で消費者が誤認するおそれがある等の事態が生ずることは好ましくないと考える。
なお、『ラムネ』とうい名称は、玉詰びんに詰められた炭酸飲料について使用されてきたと理解している」
ラムネは、150年近くも中小企業の工夫と努力により育まれてきたもので、にっぽんのソフトドリンクの元祖と言える。
「日本清涼飲料史」によると、わが国に初めて炭酸飲料たるラムネの元祖がやって来たのは、あのペリーが浦賀に来航したとき
(1853年・嘉永6年)に、艦上で交渉に当たった奉行たちにラムネが振る舞われた時だそうな。
このペリー来航の際には、ラムネの栓を開けたときのポン!という音を銃声と勘違いした江戸幕府の役人たちが、いっせいに刀の柄に手を掛けたという開国を象徴するようなエピソードも伝えられている。
ちなみに日本では、1865年(慶応元年)長崎の藤瀬半兵衛という人物が「レモン水」の名で売り出したと伝えられている。
しかし「レモン水」という名は広まらず、その後に“レモネード”がなまった『ラムネ』の呼び名が一般化。
ラムネの製造販売をはじめたのは、東京の千葉勝五郎という人物で、1872年(明治5年)の5月4日とも言われている。
ここから5月4日は「ラムネの日」とされているが、長崎の藤瀬半兵衛が初めて製造販売した日がはっきりしていれば、その日がラムネの日になった?。
ラムネの特徴でいちばんに思い浮かぶのは、やはりビー玉。
西都ではラムネん玉。
ラムネん玉のとりこ遊びで自分のものとして増やしていった。
かりこは練習ゆえ自分のものにならない。
このビンの中のラムネん玉がほしかったものだ。
このビー玉入りのびんが日本に登場したのは1888年(明治21年)頃のことで、それまではコルクで栓をしたものであったとの事。
では、どういう仕組みでビー玉が栓の役目をするかというと、製造段階でビー玉が落ちた状態で原液と炭酸を入れ、
それから急激にびんを下向きにすると、びんの中のガス圧でビー玉が口に圧着。
すると口にあるゴムがパッキンとなり、押し上げられたビー玉が口に密着するようになっているのである。
もちろん、ラムネ製造の機械で製造している。
ビー玉も、びんの形も、そしてなんともかわいらしいあの軽やかな音色も、実用が生んだデザインなのである。
本来ラムネは、びんを回収すれば100%近くリサイクル可能な、いまの時代にとっても優秀な飲み物。ラムネびんはリサイクル時代の優等生
最近はペットボトルタイプのもあるそうだがゲス・ゲサク。
●ラムネビンはイギリス生まれであり、ビーダマで栓をする方法は150年前にイギリスで発案。
●日本には幕末長崎に持ち込まれ、製造が始まった。明治20年代からビーダマ栓ラムネは流行。
子の昼寝ラムネ持つ手がほどけゆく 進藤 勝彦
【選 評】
「子の昼寝」で、暑い、蒸し暑い夏の昼下がり。
風が通り抜ける居間で子供が寝ている姿が遠景で捉えられる。
「ラムネ持つ手が」で途端に子供に接近して、ラムネ瓶を持つ手がクローズアップされる。
この展開の良さ。そして、子供の手に視点は静止する。
「ほどけゆく」で静止し、ラムネ瓶を握っていた指が徐々にほどける様を注視。
作者は、子供の眠りが深くなるのを「手がほどけゆく」で表現した。
「寝たよ、寝たよ!」と囁いている大人の声が聞こえませんか。
選者 菊地都さんの選評である。
ラムネビン覗けば逢いたい人多し 太田 勝彦
ラムネ玉鳴らす僕らはフォルテッシモ 箱崎 美月
ラムネ飲む祖父は天下を取る話 竹重 満夫
ラムネのみもいちど海へかけ出す子 中尾 菊子
縁日の裸電球ラムネのむ 箕輪 まこと
満点の星を借り切りラムネ飲む 今井 忠雄
広げたる風の絵地図にラムネ置く 朝利 晃士
ラムネ玉くるりと回り沖青し 矢崎 昌
ラムネ持つ指先ばかり見てをりぬ 惟村 香代
失恋をして掃除してラムネ乾す 山口 淳也 (高校生)
コンクリにこぼるるラムネ風冷す 佐渡 里恵子(高校生)
ラムネ抜くただいま第二反抗期 正岡 伸之 (中学生)
ラムネだま その向こうには わたし せきやん
さて、炭酸飲料といえば、何を思い浮かべるか。
コーラ・・・ファンタ・・・スプライト・・・ジンジャーエール・・・
1965年2月発売のなんたって オロナミンC デスヨ。
120CCダイヤモンド・カットのビンは太陽光をさえぎる黄色
変わらぬパッケージがいい。
昭和38年頃、高度成長と共に健康管理意識が高まる中、
栄養アンプルブームが巻き起こる。
広範な人々に親しみやすく爽やかな性格のドリンクが従来のものにはみられなかったことから、オロナミンCは、
「誰でも飲めるおいしい炭酸栄養飲料の開発」をコンセプトに誕生。
大塚製薬の看板商品であったオロナイン軟膏とビタミンCを豊富に含んでいることを踏まえて、ネーミング。
オロナミンCドリンクの黄色はビタミンB2本来の色で着色料は一切使ってないらしい。
「“全ての行為は、不快感から生まれる”。これが商売の基本なんです」談志師匠にしての名言。
狂牛病にテロ、東海大地震に惑星衝突と、不快を煽れば新聞は売れる。昔は中国を攻撃した新聞が、今は中国の肩を持って靖国参拝を叩くが、それは主義主張でもなんでもなく、政府に対する国民の不快感を利用して新聞を売るため、と喝破。
「国民は国民で、国の悪口を言ってないと、自分の生活のウソに耐えられないんでしょ? どっちもウソつき!」。
太陽光発電にウソは馴染まない。
思考しない、他者の目で考えない人に必要なことである。
残り僅かの時間となってきてるのでどうやって死ぬのか死期を考えなければならない。
そのためには宿題の解決である。
まずは先日の大先輩の宿題から答えてゆく事からはじめよう。
昨日の展示会は実に暑かった。秋の2日と言うのに真夏日。
懐かしきラムネを飲んだ。専務にいたってはラムネの空け方さえ忘れてるほどのノスタルジックな飲み物。
空瓶を振ると懐かしき音。
この音には、たしかに思い出が詰まっている。
命題は
「ラムネのビンにはビー玉が入ってるが、いったいどうやって入れるのだろうか。」
であった。
まっさか春日三球・照代の地下鉄漫才。
「地下鉄は何処から入れるのか」を寄席で聞かれたわけではあるまいに真面目を書いたように生きておられる大先輩はときとして面白い。
綾町のガラス工房での事を思い起こせばいい。
ガラスは薩摩切子の時代は別として、熱加工することで変形はいとも簡単な素材でもある。
そこで答えは簡単
「実は、の瓶の口は、もともとビー玉が入る大きさになっており、
ビー玉を入れてから加熱して口を細くしぼめている。」
どうもこれでは面白くもない答えである。
ラムネびんのさわやかな色合いと独創的なカタチ、そしてどこか温かみのあるあの手触り…。
明治、大正、昭和そして、平成と飲み継がれ、時代を超えて愛されてきたラムネ。その愛らしい姿と味には誰もがノスタルジーを感じる。
ラムネとは、びんの口にビー玉で栓(せん)をした炭酸飲料のこと。
業界団体のラムネについての伺いに対しては、昭和53年に公正取引委員会景品表示指導課から、の回答がある。
「ラムネに係わる表示で消費者が誤認するおそれがある等の事態が生ずることは好ましくないと考える。
なお、『ラムネ』とうい名称は、玉詰びんに詰められた炭酸飲料について使用されてきたと理解している」
ラムネは、150年近くも中小企業の工夫と努力により育まれてきたもので、にっぽんのソフトドリンクの元祖と言える。
「日本清涼飲料史」によると、わが国に初めて炭酸飲料たるラムネの元祖がやって来たのは、あのペリーが浦賀に来航したとき
(1853年・嘉永6年)に、艦上で交渉に当たった奉行たちにラムネが振る舞われた時だそうな。
このペリー来航の際には、ラムネの栓を開けたときのポン!という音を銃声と勘違いした江戸幕府の役人たちが、いっせいに刀の柄に手を掛けたという開国を象徴するようなエピソードも伝えられている。
ちなみに日本では、1865年(慶応元年)長崎の藤瀬半兵衛という人物が「レモン水」の名で売り出したと伝えられている。
しかし「レモン水」という名は広まらず、その後に“レモネード”がなまった『ラムネ』の呼び名が一般化。
ラムネの製造販売をはじめたのは、東京の千葉勝五郎という人物で、1872年(明治5年)の5月4日とも言われている。
ここから5月4日は「ラムネの日」とされているが、長崎の藤瀬半兵衛が初めて製造販売した日がはっきりしていれば、その日がラムネの日になった?。
ラムネの特徴でいちばんに思い浮かぶのは、やはりビー玉。
西都ではラムネん玉。
ラムネん玉のとりこ遊びで自分のものとして増やしていった。
かりこは練習ゆえ自分のものにならない。
このビンの中のラムネん玉がほしかったものだ。
このビー玉入りのびんが日本に登場したのは1888年(明治21年)頃のことで、それまではコルクで栓をしたものであったとの事。
では、どういう仕組みでビー玉が栓の役目をするかというと、製造段階でビー玉が落ちた状態で原液と炭酸を入れ、
それから急激にびんを下向きにすると、びんの中のガス圧でビー玉が口に圧着。
すると口にあるゴムがパッキンとなり、押し上げられたビー玉が口に密着するようになっているのである。
もちろん、ラムネ製造の機械で製造している。
ビー玉も、びんの形も、そしてなんともかわいらしいあの軽やかな音色も、実用が生んだデザインなのである。
本来ラムネは、びんを回収すれば100%近くリサイクル可能な、いまの時代にとっても優秀な飲み物。ラムネびんはリサイクル時代の優等生
最近はペットボトルタイプのもあるそうだがゲス・ゲサク。
●ラムネビンはイギリス生まれであり、ビーダマで栓をする方法は150年前にイギリスで発案。
●日本には幕末長崎に持ち込まれ、製造が始まった。明治20年代からビーダマ栓ラムネは流行。
子の昼寝ラムネ持つ手がほどけゆく 進藤 勝彦
【選 評】
「子の昼寝」で、暑い、蒸し暑い夏の昼下がり。
風が通り抜ける居間で子供が寝ている姿が遠景で捉えられる。
「ラムネ持つ手が」で途端に子供に接近して、ラムネ瓶を持つ手がクローズアップされる。
この展開の良さ。そして、子供の手に視点は静止する。
「ほどけゆく」で静止し、ラムネ瓶を握っていた指が徐々にほどける様を注視。
作者は、子供の眠りが深くなるのを「手がほどけゆく」で表現した。
「寝たよ、寝たよ!」と囁いている大人の声が聞こえませんか。
選者 菊地都さんの選評である。
ラムネビン覗けば逢いたい人多し 太田 勝彦
ラムネ玉鳴らす僕らはフォルテッシモ 箱崎 美月
ラムネ飲む祖父は天下を取る話 竹重 満夫
ラムネのみもいちど海へかけ出す子 中尾 菊子
縁日の裸電球ラムネのむ 箕輪 まこと
満点の星を借り切りラムネ飲む 今井 忠雄
広げたる風の絵地図にラムネ置く 朝利 晃士
ラムネ玉くるりと回り沖青し 矢崎 昌
ラムネ持つ指先ばかり見てをりぬ 惟村 香代
失恋をして掃除してラムネ乾す 山口 淳也 (高校生)
コンクリにこぼるるラムネ風冷す 佐渡 里恵子(高校生)
ラムネ抜くただいま第二反抗期 正岡 伸之 (中学生)
ラムネだま その向こうには わたし せきやん
さて、炭酸飲料といえば、何を思い浮かべるか。
コーラ・・・ファンタ・・・スプライト・・・ジンジャーエール・・・
1965年2月発売のなんたって オロナミンC デスヨ。
120CCダイヤモンド・カットのビンは太陽光をさえぎる黄色
変わらぬパッケージがいい。
昭和38年頃、高度成長と共に健康管理意識が高まる中、
栄養アンプルブームが巻き起こる。
広範な人々に親しみやすく爽やかな性格のドリンクが従来のものにはみられなかったことから、オロナミンCは、
「誰でも飲めるおいしい炭酸栄養飲料の開発」をコンセプトに誕生。
大塚製薬の看板商品であったオロナイン軟膏とビタミンCを豊富に含んでいることを踏まえて、ネーミング。
オロナミンCドリンクの黄色はビタミンB2本来の色で着色料は一切使ってないらしい。
「“全ての行為は、不快感から生まれる”。これが商売の基本なんです」談志師匠にしての名言。
狂牛病にテロ、東海大地震に惑星衝突と、不快を煽れば新聞は売れる。昔は中国を攻撃した新聞が、今は中国の肩を持って靖国参拝を叩くが、それは主義主張でもなんでもなく、政府に対する国民の不快感を利用して新聞を売るため、と喝破。
「国民は国民で、国の悪口を言ってないと、自分の生活のウソに耐えられないんでしょ? どっちもウソつき!」。
太陽光発電にウソは馴染まない。
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