アジアの盟主

2004年10月21日
ミャンマーが揺れている。我らの世代にはビルマである。

89年軍事政権がかってに変更したに過ぎない国名でもある。
71年セイロンが憲法を制定してコスタリカになったのとは違う。

ビルマの土は赤い・・白黒映画でさえサラサラと流れ行く川面の土に不思議とテロップに流れる文字で赤きビルマの土壌を思い浮かべた。

アジア欧州会議ASEM議が7日からベトナムのハノイで開催。
国際会議は首脳外交がつきも。
ところが期間中の日中首脳会談が、見送られた。

3年にもわたり隣国との会議がないのは異常なことである。
日中首脳の相互訪問は01年10月の小泉首相の訪中以来途絶えたまま。

このため、政府はASEMと、それに続いて11月下旬にチリで開かれるAPEC、さらにラオスでの東南アジア諸国連合ASEANプラス3会議という国際会議の場をとらえて首脳会談を計画しよう。

今回の会談見送りについて、小泉首相は
「もともと予定していなかった」と強弁。
実は中国側に断られたというのが真相であろう。

胡主席も先月訪中した河野洋平衆院議長に
「当面の急務は靖国神社参拝問題を妥当に処理することだ」
と日本側の新たな対応を求めている。
 
 中国側が「日程上の都合」として首脳会談を断った真の理由は、小泉首相が靖国神社参拝の姿勢を変えていないことへの反発にあるのは疑いの余地がない。 打開のカギは日本側にある。

、中国側の変化を期待するなら「新たな追悼施設が必要」とした福田康夫前官房長官の提言もある。
小泉首相の個人の行動が原因だとしたら、首相が知恵を出すしかない。

そのことがミャンマーの軍制回帰に後戻りしようとしてることの歯止めとなろう。

軍制はNO3のキン・ミュン首相をアジア欧州会議後に逮捕した。

アジアの政局安定の盟主は日本と中国にあることは現実政治として自明のことである。

軍制はノーベル平和賞のアウン・サン・スーチン女史の処遇を巡り自由を迫害、軟禁を繰り返している。

民族独立の英雄の実父たるアウン・サン将軍の娘
アウン・サン・スーチン女史は軍神の娘でもあり、畏怖する将校もいることであろう。

そう考えるとスー・チー女史のみにも危険が迫っている。

NO1は92年よりトップのタン・シュエ国家発展協議会{SPDS」議長

NO2は陸軍を掌握しているアウン。エイSPDC副議長で経済権益を一手に                    握っている。

NO3が03年に就任したキン・ミュン首相で情報省の穏健国際派である。

その首相を解任し唯一のアウン・サン・スーチ氏の政治勢力の理解者でもあった。

政変での民主化路線の大幅な後退である。

インドネシアの総選挙で歓喜をあげたアジア民族が奈落のそこに突き落とされた。

政治は一寸先は闇がこの国では銃で実行されていく。

ビルマは大日本国が戦争の傷跡を残しているので少なからずとも責任の一端がある。

我らの祖先がしたことと「た・か・」を食ってる無責任さは経済で結ばれてるアジアゆえ許される物ではない。

映画はリアル性と創造性で現実に迫る。
ミャンマーの危機を静かに振り返るに丁度いい。

まずは宗教性の映画から。

「天平の甍」

中村賀津男の熱演で記憶に留める。原作者 井上靖のネーム・バリューも興行に大いに役立った。
先日の遣唐使の墓碑発見のニュースもあり新鮮な輝きすらする。

天平五年春、若い日本人僧、普照、栄叡、玄朗、戒融の四人が第九次遣唐使船に乗って大津浦を出航した。

留学僧に選ばれた名誉と、再び生きて日本の地を踏めるかという不安が一行を包む。

日本仏教界の確立のために黄土に渡った四人の日本人青年僧の青春と、唐の高僧、鑒真和上の二十年の歳月をかけて渡日に成功するまでの苦難

の道を社会派監督NO1の 熊井啓 が マイクを撮った。
音楽は 武満徹。他のキャストは

遣唐使の4人の層は中村嘉葎雄 (普照)大門正明 (栄叡)
浜田光夫(玄朗)草野大悟 (戒融)で田村高廣 が高僧(鑒真}を担った。 日本中国文化交流協会 の後援が気になる。

ビルマの竪琴

この映画は我らの年代は白黒映画の1956年版である。

端々で歌われる唱歌を反戦少年たる頃の私は違和感を持って聞いたが、今では美しき日本の歌として聞き入る余裕がある。

原作 竹山道雄,監督 市川崑, 脚本.和田夏十
三國連太郎, 安井昌二, 西村晃, 北林谷栄, 伊藤雄之助, 三橋達也,

それがこのように変わる1985年版のキャストである。

ビルマの竪琴 
上映時間 133 分 東宝
監督: 市川崑
製作: 鹿内春雄
原作: 竹山道雄  
脚本: 和田夏十
音楽: 山本直純

出演
石坂浩二   井上隊長
中井貴一  水島上等兵
川谷拓三  伊東軍曹
渡辺篤史  小林上等兵
小林稔侍  岡田上等兵
井上博一  馬場一等兵
浜村純   村落の村長
常田富士男 物売りの爺さん
北林谷栄  物売りの婆さん
菅原文太  三角山守備隊隊長
佐藤正文  鈴木上等兵
茂木繁   阿部一等兵

天平の甍ほどのビッグ・ネームではないが竹山道雄の同名小説を同じ市川崑監督で再映画化もされたが、リメーク版のほうがわかりやすかろう。

日本兵の霊を慰めるため、僧侶となってひとりビルマの地に残る兵士の姿を.描いたストリーは殆ど同じである。

木下恵介監督の

「喜びも悲しみも幾歳月」も似たような環境にあり、リメイク版がある。昭和32年1957年、松竹。が我らの世代の物だ。

木下恵介監督。有沢夫婦を高峰秀子、佐田啓二で描かれた。
神奈川県の観音崎が初々しい赴任地で石狩灯台と続いていく。

過疎ゆえの子供の教育の悩む夫婦
長男を亡くすが、勤務に就いていた有沢は、その最期の時にも立ち会うことができない。

有沢は、ただ船の安全だけを考えて過ごしてきた仕事一辺倒の生活が、このような結果になってしまったことを嘆きながらの勤務。

残った長女に救われる。

感動のラスト・シーンである。サラリー・マンものの源氏鶏太を読むが如きの木下恵介作品の真骨頂のお涙シーン。

長女は結婚後まもなくの2人は夫の赴任地(エジプトのカイロ)へ向かう。

そして乗っているこの豪華な客船を、有沢夫婦は灯台台長として勤務していた、静岡県の御前崎灯台から霧笛で見送りる。

、客船もこれに霧笛で答えるというシーンになります。

灯台の明かりと霧笛が響き会うクライマックスシーン。

「あの子はわしがとりあげたんだ。」

ここでの有沢の言葉は百万巻の書籍よりも重い人生を語り尽くしているとひしひしと感じる。。
奇遇な人生をおくっている私ゆえなおさらである。

作詞 木下 忠司
作曲 木下 忠司
歌手 若山  彰

おいら岬の 灯台守は

妻と2人で 沖行く船の

無事を祈って

灯をてらす 灯〜をてらす 

夕方5時になってからアポがあるというので都城に向かった。
実際は太陽光発電の普及をしてもらえる方々との接点作り。

契約の仕事を誰もしなくて会社が成立すはずがない。
ホトホトあきれ返っている。

APAの指揮をとると宣言した社長の姿はみることが出来ない。
私の気力の低下・直営を目指すとの営業方針の変化がズバリ売上に出ている。

焦りと憤りは頂点に達している。
APAを救え!
ミャンマーの危機と同根であるので根が深い。

APAの盟主たるは誰だ!
何処からこの混乱が発生したのか。

冷静なる分析で次月を見ないと経営はおぼつかない。

コメント

お気に入り日記の更新

最新のコメント

日記内を検索