文化とビジネス

2004年10月22日
本年も残り2ヶ月余りラスト・スパートである。又正月がやってくる。
鬼が笑おうと邪気を払う気概で必死の形相である。

正月には新たな年を迎えるに当たっての未来技術特集が組まれるのが定番となっている。

山藤章二・真鍋博等のイラストをふんだんに使っての紙面づくりに早やは入っていることだろう。

これを読まないと正月気分に浸れない民族性からであろう。
そのように考えてくるとAPAの太陽光発電の販売戦略もたてやすい。

お決まりのパターンで大学教授、シンクタンク、財界人、各賞受賞作家が論文や対談形式である。

残念ながら暮らしを離れた荒唐無稽な夢物語で大体が構成されている。
ところでCO2の企業報告責任について国の決定がなされた。

環境ビジネスの未来を予測してあまる情報である。決断の時期である。この機を逃して何の会社のトップぞ!と思わせる。

資本は常に時代の要請で動く。ビジネス・チャンス!
世の動きに取り残されては生きてはいけない。花は半開、酒はほろ酔い

早速に情報収集である。
しばし休憩を利用して光文社新書の何冊かを含め読書の秋を楽しんだ。

「早稲田大学講義録」
スティグ・リッツ著は小泉竹中政策を断罪するかのごとく快刀正宗の切れ味で切り捨てる卓見である。

グローバリゼーションはアメリカだけを豊にするシステム!と論旨は
明快。

進められてる世界の政治経済学を痛烈に批判する書。
10年も続いてる不況の日本がこれを読めば理解できますよ。

著者は・・心配しなさんな!権威を信ずる人々!ノーベル経済学賞受賞者ですぞ!・・頭が高い!信用しますでしょ!日本人さん!!

「人間嫌いの言い分」永山靖生著
群から離れて自分らしく生きる生き方を標榜してる方、煩わしい世界に生きる指南の書。

APAの社員の誰とは言わぬが個別にある「ニート」「鬱」「引きこもり」の解答の書。だ〜れだ?

「江戸300藩バカ殿と名君」
東大後通産省に入省の前歴を書けば安心でしょう。
左翼的歴史観でない!と前知識が入るでしょうよ。

蘭学かぶれ、趣味に生き、時代の流れにどのように対応出来たか一目瞭然。乱世に生きるために世の中の流れを読みきれるか。自分への警鐘

「イタリヤ人の働き方」
人口5700万の国で法人登録が2000万社これでは国民全員が社長ではないか。
イタリア人の企業術が学べる世界の独創性のイタリアが作られる過程」」
日曜日の日伊協会のシンポ・ジュウムを思い浮かべた。ナ〜〜ルホド

考えるクセを付けてさらに見てみると見えてくるもがある。

今年は、国連の「国際コメ年」だという。
一つの作物についての国際年は初めてで、テーマは「コメは命」。

コメは世界の半数以上の人々が主食にしているが、人口増などで、将来は需要が生産量を大きく上回る見通しだという。

 世界の飢餓状況は深刻で

「5秒に1人のこどもが飢餓やそれに関係する原因で
   亡くなっている。」

 食糧配分の不均衡の深刻さと、日本ができることの大きさとを訴えかけている。

米は何処の国でも作れるわけではない。年間降水量との関係がある。

カルフォルニア米はスプリンクラーの改良農機具で作付けしてるではないか。

米は水田で作るもの。

まだ続けるか哲学論争。私は農民出身だ。水田の子だ。

人類発祥の四大文明の地区を見るが良い。
赤外線航空写真で見ると縦横無尽に水路の跡が砂漠の中から浮かぶ上がってくるのだ。エジプトの砂漠の下である。

つまりこの地では米を中心とする作物がかつて作られていた。なぜ?砂漠に?

降水量と作物が吸い上げる水の調整が美味くいかず、
地中深い塩分をくみ上げてしまって自己崩壊したのであろう。

今の中国がそうであるのに気づかないのと同じだ。
水位の低下が著しいではないか。

わが日本は、豊葦原の千五百秋の瑞穂の国=豊葦原の国はいつまで
も毎年秋になると稲穂の波打つ豊かなよい国、と言われてきた。

すなわち新嘗祭には勤労感謝の日と
収穫された米を嘗められ天皇も食し祝う。

これは天照大神はじめ八百万の神々に収穫を感謝し、来年もまた豊穣・安寧を下さるよう祈願するお祭である。
国民も五穀豊穣を祈念し、農民に感謝する日でもある。

私の故郷では春秋の大祭があったものだ。
流石の村一の働き者の岩雄もこの日だけは休んだものだ、

記・紀の言う、高天原において地上の日本を統治せよ
と天照大神に命じられ、玉、剣、鏡の三種神器とともに斎庭の稲穂
を授けられた
嫡孫・瓊々(にに)杵(ぎの)尊(みこと)は、高千穂に天降られた。

しかし地上は物の識別ができないほど暗闇であった。
そこで瓊々杵尊は授けられた稲穂を揉み、籾にし、四周に蒔かれた。
すると俄かに天が開け、太陽も月も照るようになったという。

瓊々杵尊は西都原古墳男狭穂塚に葬られた。
科学のメスの調査中である。

毎年春には天皇はお田植え、秋には稲刈りをされる。
即位後最初の新嘗祭には、大嘗祭が行われる。

このように天皇にとり、もちろん日本にとっても、米もしくは稲は
単なる食糧ではない。

稲作は、わが国の和 協調 協力 礼 勤労 信 と
いう国民性や文化を形作る、極めて重要な意義を持っているのである。

、わが国は戦後食糧難によって食糧増産に努め、1960年には自給率80%にも達したが、20%を割った。

米国 仏国は農業大国であるが、わが国は先進国中最下位、OECD加盟28カ国中27位、今や世界第一位の食糧輸入国になっている。

食事はコンビニ弁当、ファーストフード、ファミリーレストランになり、家族揃って伝統的和食を食べる食習慣もなくなった。

日米安保後アメリカ追随の大衆消費社会化がもたらされたもの。

プラザ合意は日本のバブル経済の起因になった。問題は米である。アメリカの占領政策と農産物自由化の下、米食が激減、農民も次々と水田を手放してきた。

日本農業は今や、後継者問題を含め、壊滅的状況に至っている。
現在、わが国にはわずか三ヶ月の米備蓄しかないという。

この稲作農民と水田の減少は今後の日本に深刻な食糧危機を招き、地球温暖化も懸念される。

最大の輸入相手国アメリカにエルニーニョまたSARSのような大災害が起これば日本は一体どうなるか。

今日の日本の経済繁栄はまさに砂上の楼閣である。
世界の飢餓人口が米を一斉に食べ始めた時、日本は金さえ出せば米をいくらでも輸入できるとタカをくくっていていいのか。

アメリカに畜産飼料、麦、大豆といった基礎食糧の大半を頼っているが、過度のアメリカ依存はこの国が今後こうした食糧を「外交カード」に使いはじめるのではないかと危惧する。 

そのため日本は休耕田をやめ、食料安保の観点から稲作農家の復活を考えるべきだ。

昭和30年には605万3〇〇〇戸あった日本の農家は、
平成七年には343万83〇〇〇戸に激減。

「危機管理」を言うならば軍事よりもまず食糧備蓄に真剣に取り組まなければならないのではないか。

日本文化の原点に立ち戻る必要があろう
「水」「塩」「米」をあまりにも粗末に扱いすぎる。

世界第二の森林保有国・日本
「豊葦原瑞穂の國」は一体何処へ行ったのであろうか。

かつては御飯を粗末にすると天罰で目がつぶれるとか言ったものである。先ほど専務はそれさえ知らづ残した。

社員教育はこのあたりから始めねばならぬのだろうか。
太陽光発電は自然の恵み稲作の心と同じである。
      

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