平和の使徒の宮崎人

2004年10月30日
宮崎の片田舎では封切りに併せた舞台挨拶などとは無縁である。
その珍しき出来事があると言うのでホールに足を運んだ。

「父と暮らせば」は岩波ホールで7・31〜12・17で上映中であり、封切りと言うには少し具合いが悪いいが宮崎ゆえ仕方ないか。

太陽光発電の仕事をしていると不思議によく出くわす。
今朝の新聞では文化功労者の中に映画普及・国際交流の高野悦子氏(75)小説・戯曲の井上ひさし氏(69)をみつけ、曰く、因縁を感じ取ってるのだが考えすぎなのか。

実はこうなのである。先ほど舞台挨拶をした黒木和雄監督は1930年生まれの、宮崎県えびの市出身。

?1988.08.13TOMORROW 明日
?2002.12.14美しい夏キリシマ  キリシマ1945
? 2004.07.31 父と暮せば と
三部作は監督の平和のオマージュ。

父と暮せば で全面協力したコマツ座は83年1月「樋口一葉」で旗揚げした井上ひさしの作品のみを演じる劇団。

HP担当の井上都の通信に書いてある。
明日から発行サル新札の方が第一作とはコリャまた出来すぎ。

岩波の映画は日曜日夜のNHK12チャンネルの世界名画劇場で私の映画鑑賞の世界の殆どをしめている。

その支配人は発足の日より高野悦子が務めている。黎明期の映画人、川喜多かしこご夫妻のご尽力のたまものであろう。

1968年2月9日 岩波ホール・ホール開き(232席)には大内兵衛氏、野上彌生子氏の祝辞、山本安英氏による朗読、近藤乾三氏の舞囃子で幕

を開ける。とあるが、

70年安保時の社会党の活発な議論は向坂逸郎・大内兵衛の社会主義協会を抜いては語れない。

私も大内兵衛宅の稲村ガ崎には訪ねたことがある。鞍馬天狗の大仏次郎宅やその頃の私の限界での資本の走具たる川端康成邸もあり鎌倉文化人をなしていた。

社会的作品を問い続けた野上彌生子、舞台人の神様・山本安英、能楽の宝生流の人間国宝の 近藤乾三といずれも故人だがそうそうたる名の中にキラリと光る人選を感ずる。文化人たる姿勢である。なんかフランスの文化の根底たるレジスタンスの臭いさえ感じる。その息やよし!

まさに文化人、国際人である。やってるぞ日本人も!で世界に誇れる文化のあり方である。

井上ひさしは遅筆、遅れる入稿で編集者泣かせだが選ばれたことに一番驚いてるのではなかろうか。

辞退・拒否を関係者は心配したことであろう。そのてんなら演劇の蜷川幸雄氏(69)小説の平岩弓枝氏(72はともかく映画の山田洋次氏(73)もそうであったろう。

寅さん後、新境地を藤沢周平 の時代劇で活を見いだしたようだ。
新作は隠し剣・・何とかであったが同じ日に封切りである。

第2次大戦後59年。戦争はなくなるどころか、父ブッシュの恨みばらしで世界中を不穏なムードに高める再選まで2日のオイルまみれのブッシュ。
そうした中で「戦争レクイエム三部作」完結編である。

井上ひさしの同名戯曲を「父と暮せば」として映画化した。自分ひとりが生き延びたことに苦悩しながら暮らす娘(宮沢りえ)が、原爆で死んだ父(原田芳雄)の幽霊に励まされつつ、生きる希望を取り戻していく4日間の物語。

埴谷雄高は僅か4日を『死霊』に生涯賭け書きつづけ、
全編が滅んだ日本に対するオマージュのようなものであった。

皆滅んだ日本への愛惜を描いていたとの命題に従えば、埴谷雄高の『死霊』と同じ時期に坂口安吾は『堕落論』で太宰は『斜陽』だ。

高橋和巳も書き始め、三島由紀夫も含め論壇では直に近代の超克が始まる。
みな戦争に負けて悔しく、皆滅んだ日本への愛惜に基づいた行動ではないのか。

吉田満は『戦艦大和ノ最後』小島信夫は『小銃』を書いた。高井有一の『白い河』にも愛惜と憧憬は残っている。

日本がアメリカに負けたのは恥ずべきことだし、悔しく情けないことだ、という単純な認識を戦後はできなかったし、今もできないでいる。

だからこそこの国は肉体を持てないで、霊だけが見えない姿で空中を浮遊している。

イラクでは死亡は誰なのか。本人や否やではなく、では誰なのかと第三者にはならぬ不可思議さ。

生命体であったのには変わらないハズだ同じ日本人なんだろうヨ!。
まるで落語のらくだや黄金飴の人間の業を越えてるブラックの世界。

米軍さん!まっさか「違うの出しちゃった〜ヤバ〜!」
じゃナインてば!いっぱいあるの?首のない人たち?

他者の目で見る戦争、反戦映画の反響も面白いハズだ。
「父と暮らせば」は北京の日本映画祭では、王府井そばの新世紀影院など2会場で、計4回上映された。

「じつは、極端ないい方なのですが、中国の会場からは(上映後)ブーイングが起こるんじゃないかと思ったんです。

客席で観客の反応をみるということを滅多にしませんし、ここは中国ですからいささか緊張して見ていたんですが、泣いている人が多かったのは意外でしたね。

それと、僕は"満州"育ちなものですから、悪いことをしたという加害者意識があって、中国に来るのがじつに後ろめたい。中国の人に"反戦・平和"みたいなカッコいい映画を、見ていただく資格がないと思っているんです……」

 日本でいう終戦は、中国にしてみれば「抗日戦争勝利」にあたる。侵略国の日本に落ちた原爆の受けとめ方も、中国ではさまざまで「原爆のおかげで戦争が終わった」と見るむきもある。

じっさい、別の日の上映会では、CGで合成された原爆投下のシーンで「来、来、来」「来た、来た、来た)と嘲笑するような中国人の小声もあったと聞くが、初回で見た限りにおいては最後まで席を立つ人はなく、すすり泣く声があちこちから漏れていた。

映画が終わると、ごく自然に拍手が起こった。観客はいずれも日本人と中国人が半々ぐらい。中国のある若い観客は「原爆にどれだけの威力があったのか、知りませんでした。あの戦争で、悪いのは日本の一部の軍国主義者で、一般民衆は被害者だったと習ったけれど、民衆の悲しみが少しは理解できたような気がします」と、率直な感想を話してくれた。

「59年前に、世界で初めて原爆が広島と長崎に落とされました。それは広島で14万人、長崎で7万人の命を一瞬にして奪い、その後も30万人の被爆者を後遺症で苦しめています。

いま地球上にある核爆弾は、一人あたり10トンを抱える計算になるそうです。中国も核保有国の一つでしょう。

この映画に少しでも共感してもらえるところがあって(将来的に)100グラムでも200グラムでも核爆弾を減らすことに役立つとしたら、この映画を作った甲斐があると思うのです」
作品に込めた、監督の切なる願いだ。

工事部隊は佐土原、高千穂の二ヶ所と早朝より月末〆めに東奔西走中。
セキ○○の現場は、厳しくて手勉強になるはずだ。
素直に仕事振りをおぼえとぃってほしいものだ。

若き職人さんが復帰してくれている。
何らかの改善が姿になって見せえなければならぬ。

若者の考え方と女性の考え方は時代を牽引していく。
宮沢リエのセリフ回しの魔法の如く。

凄い営業トークとなろうな。今や天下の大女優。
吉永小百合のイメージの太陽光発電に彼女がいても何ら違和感はない。

宮崎の生んだ平和の使徒、黒木和雄監督は今や、日本一の監督になろうとしている。

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