ネット 復元

2004年12月14日
nacky先生
ご新築での生活おめでとうございます。
これからお家ますますのご発展をお祈りいたしております。

ここの欄でよかったのかな?
お祝い事ゆえお許しください。

巷の{ショウ}一月{ゴ}五月{ク}九月の引越しはしないほうがいい。とのことで12月でした?んでしょうか

実は私も1月を前にしての慌しい引越しでした。
その余波で昨日以来振り回されています。

急遽の引越しもさることながら、ネット環境がすこぶる悪く
午後4時頃から電柱から電話ケーブルの張替えとしていただきました。
昨日から、かかりっきりです。

それにしても時代でしょうね
お医者様とお話がいとも簡単にできるのですね

「医者と弁護士を友達に持て!」は生きぬく処世術。
庶民の隠れた知恵。まさに至言。

もっとも、かっては何をかいわんやの如きであったが、いかに底浅き安定した人生であったのであろう。
ゆえに理解できてない言葉でした。

無一文からの起業それも50才をすぎているとなればなおさらのこと
この場に及んで弁護士先生にご厄介になろうとは思いもしませんでした。

ネット社会はこのような高貴な方のご意見も簡単に聞ける有り難き時代であリますね。

重ねて新居おめでとうございます、・なにかアルゾ!営業マンの手?・

あわよくば太陽の恵みでの生活をしてはいただけませんか・ホラ!きた

自家発電による生活です・・・・しっかり営業してるガンバレ!笑い

おそらく一番安く施工できますもちろん施工技術も負けません
太陽光発電を設置されますと・・・・   クドイ!笑い。。怒り

まあ〜新築ゆえの〜お目出度き三河漫才としてお聞き流してください。
新築での生活まことにおめでとうございます。

お目出度いと言えば街に門松を見かける時節柄と相成った。
江平の日章学園を最初に見かけたが、泰平な生活であったのであろう。

私はそれどこでなく店舗の看板さえ頼んでない
どうしょう

風力・太陽光発電相談所
人と地球にやさしいアパデン宮崎

イイジャン!これでいこう。

取り付く島がないほどの仲間のみんな。
どうしたものであろうか。

ゆうさんや中村会長からの有り難きお言葉のはどれだけ勇気付けられてるか。
それにつけ、手のひらを返したような対応では所詮お里が知れよう者をとんだ再出発である。

給料「0」ではお話が違うではないか。
支出の帳尻は合ってるのにこれではどうしようもない。

閉じこもりからの脱却なくして進展はない。まるで閉所恐怖症
書を捨てて街に出よう

閉所恐怖症は精神不安定期の青春時代にあるのではまかろうか。
中学教科書で「山椒魚」に出会った。

太宰治が中学生だった1922年同人誌の井伏鱒二の作品を読んで
「座って折れないくらい興奮した」あの文庫で10ページ足らずの短い作品である。

志賀直哉の「城之崎にて」中勘助「銀の匙」に比するものである。
・・・・
山椒魚は悲しんだ
彼のすみかである岩屋から外に出ようとしたのであるが
頭が出口につっかえて外にでることができなかった

山椒魚は閉じた目蓋を開こうとはしなかった
何となればその自由とその可能性が与えられていただけだったからなのだ
  ・・・・
共存できえない一匹の蛙が岩屋に紛れ込む。
一瞬の緊張感!

岩屋の天井の窪みに隠れじっとしている
2年が過ぎ山椒魚が蛙に聞く

「お前は今どういうことを考えている」

「今でも別にお前のことをおこってはいないんだ」

これが確か結末の場面であった。・・・違ってるか?

社会人にならなければならぬ恐怖症に閉所恐怖症が加わり、
このとき以来抜けきれず備わってしまった。わたしの閉所恐怖症

これじゃぁ〜お医者様でも・草津の湯でも根が深くてなおりゃせぬワ〜
それにPTSが加わったのでまるで分裂症{差別用語と糾弾しないでくださ〜い!}患者ではないか。

岩穴で何もせず食べ考えてばかりいると岩穴から出られなくなるというたわいもない話しにである。

もっと史実からとった作品の芥川や森鴎外の作品の方がリアリテイーがあったろうにである。
  
わが宮崎で芥川や直木賞に最も近かった中村地平はその愛弟子であった。
さらにヤクルト池上監督の父たることから、DNAはあらゆる優位性があったのであろう。

酒を飲まぬ人はひとつの人生しか歩いていないは言いえて妙、卓見である。
ますます酒でも飲まぬ訳けにはいかないではないか。

お寺さんによると今年の一字は「災」と決まったようである。
私は切実にそう思う。

どうやってこの危機から脱出するのか。

年始めの論文がある。
人口減少と流通業1/8付け

 流通業界にとって2004年はかつてない重大な年になる。
流通革命が始まって以来、一貫して増え続けてきた日本の総人口が早ければ今年中にも減少に転じる可能性があるのだ。

スケールメリットの追求を至上命題としたこれまでの流通・サービスのビジネスモデルはもう使えない。

米国の後追いではない、独自の業態、システムを考え出さない限り将来の展望は開けない。

 2004年にも総人口が減少へ

 日本の総人口が間もなく減少に転じるのは疑いのない事実だが、いつ「その日」が訪れるかは誰にも分からない。

たとえ「その日」が来てもその時点で知ることはできず、後になって「あのころだったのか」と見当がつくだけだ。

 国立社会保障・人口問題研究所は日本の将来人口に関して3つの推計を発表している。

出生率が想定される最も高い水準で推移した場合の「高位推計」、最も低い「低位推計」、その中間と仮定した場合の「中位推計」の3つだ。  

「低位推計」では2004年に1億2748万人でピークに達し、2050年には9203万人まで減少する。

いずれにせよ、これから少なくとも50年、人口が減り続ける社会をわれわれは生きるわけだ。

 人口増加を前提にしていた日本の流通モデル

 その影響は言うまでもなくあらゆる分野に及ぶが、国内の市場に依存せざるをえない部分の大きい流通・サービス業はそのあり方を根本から考え直さなければならなくなる。

ウォルマートは独自の情報システムを武器に日本でも勢力拡大を狙うが・・・(アーカンソー州のスーパーセンター)

 戦後の流通革命を考えればいい。スーパーマーケット、ショッピングセンター、ショッピングモール、フランチャイズチェーン、コンビニエンスストア、スーパーセンター……。流通近代化を支えたさまざまな新業態はいずれも米国で生まれ、日本に持ち込まれた。

 米国が消費の先進国だったこともある。
米国流のライフスタイルに多くの日本人があこがれたこともある。

しかしそれらを輸入して社会に溶け込ませることができたのは米国と日本に共通の基盤があったからだ。

 それは人口の増加にほかならない。人口が右肩上がりで増え続ける。それを前提に米国で開発された流通・サービスシステムが、人口が増え続ける日本にも適合した

極論すれば日本の流通業界は米国の後を追い、まねをするだけで発展することができた

 しかしもはやそうはいかない。米国はこれからもかなりなペースで人口が増え続ける。

そこで今後生まれる新しい業態やシステムは、中国は取り入れることができても日本はできない

それどころかこれまで導入してきたものも場合によっては捨てなければならない

 米国モデルによらない、人口減少社会に向けた新しいビジネス形態をどう築くか。残さ…<…

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