今日は12月12日日曜日であります。
1週間書いていませんでした。
会社のパソコンを使用していたからであります。
ようやく落ち着いてきました。

実は会社を解雇されました。私が専務と二人で立ち上げた宮崎一の太陽光発電工事の会社と自負しておりました。身から出た錆。やむエヌ。

書き綴らねばならぬことが山ほど在りますが、それでは私の社会生活が成立しないことになりましょう。

男の特権たる立ちションベン一つできない完全に体系化された、盗聴法さえある現実社会であります。

愛読しているSORAさんの日記に先日書いてありましたが、日記とは何ぞやであります。

やはり、消去はおこりうるやもしれません
ネットは所詮バーチャルの世界に過ぎません

諸事情で人間は生きております。やはり直接でないと伝わりません
ご注意あれ!正直もん!の江戸っ子SORAさま。

ただ、残念なのは、江戸の空気を取り入れる年一度の楽しみの時間が取れず、SORAさんのお店・散策が年内無理になったのが残念!
落ち着いたら機会を作ります。お楽しみはこれからだ!

書こうとしていた1週間分を随時記録として残したい。

スロー・ライフ、スロー・フードは営業職を休まぬ限り望むべきことではない。

なりっぱなしの携帯も時代の要請
スローなる生活が守れるはずもない。

運転中は、法規違反になり厳しき状況である。
鉄道社内はマナー違反

「社内での携帯はご遠慮ください!」

薩摩に向かう列車の箱は別世界で、癒しのの箱
喧騒から離れ別天地。

バカ丁寧な社内説明がやけにうるさく誰のためにしているのか
どうも乗りなれたるお客様のためにあるのではないのは確かのようだ

大都市ではあるまいてみんな存じてることのみ。
不気味なほど静かなユーレイパスで欧州を旅行するかいい。

「ドアにご注意ください!」
次停車を継げるアナウンスご丁寧にもテープの女性の声と肉声の男性の車掌と

「優先席は・・・・」
「。。。ご協力ください!」

田野を過ぎ青井岳
心地よい線路の響きである。

わけ入ってもわけいつてもあおいやま
旅のほとんどは自らの足に頼った。牧水。山頭火の時代。
自由奔放に行きぬけた時代が羨ましい

帰りの7時過ぎの青井岳付近
突然電源の故障で社内は真っ暗

お客さんもそうだが、車内放送が早かった。

ゆえに誰一人席を立とうとはせずパニックにはならなかった。
映画「暴走機関車」とかを思い浮かべたものだ。

鉄道ではデビット・ジャンセンの悲哀と苦渋にみちた顔が印象深い
それでもその場その場で正義を貫くヒューマン性

冷徹な計算に胸を熱くし、ワクワク・ドキドキさせた少年期の感動はまったく色あせていない
テレビでの1時間映画「逃亡者」のことである。

「職業・・・医師」
「身に覚えのない妻殺しの罪に・・・・」
納屋吾郎の低くそいでいて澄み切った聞き読みが怖ささえ感じた

鋭いビートに変わっている心臓の脈打つおとが全身に伝わり身震いさえしている
NHKの「事件記者」の輪転機が廻るトップ場面にもそれを感じた。

かってのテレビは現実離れしていてもリアリティーがあつた

心臓発作で死人が出たほどである  プロレスのまちがい?

生きることは実に辛い
私自体もちろん折り合いはつける
もう少し今もう少し時間をいただけないものだろうか。

どうにも無理のようである。
社会の進展はかくも厳しき決まりを作った

停電・停車中の山之口青井岳
「古今山之口の記録」が鉱脈社から出版された

16世紀なかば都城主北郷氏は伊東氏より山の口を奪還した
1614年薩摩は直轄地となり外城とした。

領内総検地で耕作地を捻出して、八代、鹿屋、高岡から受け入れた
特徴的氏はそのあたりからきてい

執行した郷士、年寄りのすがたが偲べる
常に為政者はやさしく会ったものである。
生活の基本は其れであるべきだが先進国家ではそうは行かない。

坂元イキさん所有の「三の下」「四の下」が種本

1746年の霧島大噴火はきめこまやか。
被害復旧は参考になる

さらに鉄道はいろんなことを考えさせる

「鉄道員」はスト破りしても鉄路を愛した父が痛々しい
息子はそのことが原因で苛められながらも父を誇りに思った

宮崎市シーガイヤでは今日小泉首相も開会挨拶をし日帰りの国際自由労連の世界大会。
152ヵ国1200人が参加してると言う

会話の多くが興味・目的で聞いている輩がいたとしたら喋る意味はない。
利便なる携帯もおかれた場所で迷惑にさえなる。

薩摩のお客さん宅では屋根瓦を変えたばかりであった。
次回来訪の折りには契約にいたろう

牧場用地はこれから施設が稼動してからの太陽光発電設備である。
実に息の長い取り組みが待たれる。

己一人でもやりぬくしかない
多くの難関を乗り越えて。

宮日紙のきょうのことば

できることでもできぬとおもえばできぬ。
できぬとみえてもできると信じるがためにできることがある。
             三宅雪嶺{1860年〜1945年}

もちろん成功に裏打ちされた努力があればこそである。
まったくの「0」からの出発

どこから手をつけていけばよいのやら。
まずは世間体さえ通らぬ状況ではどうしようもない。

かなり突っ走ってきた
一つずつ焦らずひとつずつ。

一寸先は闇は政治の世界だけではない
それにしては認識のどこかがちがう。

スロー・ライフ、スロー・フード
似合わないゆえにこそ挑戦すべきであろう

泣いてたまるか!
男は大儀で死ぬのは本望である

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