人生お楽しみはこれからだ
2004年11月23日新嘗祭と言い、もともと宮中儀式の日であった。五穀豊穣を祝い天皇自らお供え物を食した。
敗戦を国の歴史に抱える我が国。瓦礫の果ての国から3年後 1948年{昭和23年}
勤労感謝の日を制定し国民の祝日とした。
「勤労を尊び、生産を祝い、国民が互いに感謝しあう日」として、定めたのである。
よって公務員様は休みだワナ〜。その考えの奴がいて職人の風上にも置けない。
勤労感謝の日は国民の祝日で19歳の若者宮○さん、弓○さんともに休み。大先輩もそうである。
昨夜宮○さんは、遊び仲間が来ていたが夜遊びが過ぎたのか。
連絡一つしてこない。
ニード、フリターは自覚なき世代の社会現象にしか過ぎない。
この不景気が続く時期にどう生きぬけるというのか。
40代過ぎのかたが今日よりお出でいただいた。
夜の報告では、できるようで安心である。
明日からのしごとが組みやすくなった。
即戦力でないと困る。若者はそろいも揃って、腰痛を強く訴える
どうにもハードな内容となってるようである。
どのように仕事を進めてるのか現場管理が重要のようである。
体力の維持が明日の安全な仕事に繋がる。
不調では危険な職場ゆえ災害に即繋がる。ご注意
セキスイの電気工事と宇田津邸のパネル工事、3面設置の発電所の完成である。
串間の紹介を戴くが宿題付で頂けぬ。新築の電気工事エアコン。
疲れてるようで取り組もうともしない。
気楽なものである。仕事はいつでもあるものとの前提がある。
歳時記を見てみるとJリーグの日サッカーの日ではないか。
・・・Jリーグ(日本プロサッカーリーグ)の初の公式戦、 ナビスコカップ決勝が 東京の国立競技場で行なわれる(1992)・・
他に、手袋の日(日本手袋工業組合1981)tel.0879-25-3208)
外食の日(日本フードサービス協会1984) tel.03-5403-1060、
いい兄さんの日、、ふみの日(毎月)
▲関東地方に元禄大地震。小田原城破損。マグニチュード8.2。死者2300人以上
▲富士山が大噴火し宝永山ができる(1707)
▲大相撲で初めて女性の見物が許可される(1872)
▲サンフランシスコで世界初のジュークボックス誕生(1889)
▲大日本スケート競技連盟結成(1929)
▲アメリカで「ライフ」誌創刊(1936)
▲角川書店創業(1945)
▲第一回全日本合唱コンクール(1948)
▲朝鮮戦争休戦(1951)
▲初の日米間テレビ宇宙中継受信実験でケネディ大統領暗殺を伝える(1963)
▲樋口一葉、没。25歳(1896)
誕生:井上馨(政治家 1835) 久米正雄(小説家・劇作家 1891)
小林桂樹(俳優 1923) 白井義男(ボクサー 1923) 田中邦衛(俳 優 1932)
栗本慎一郎(経済人類学者 1941) 十朱幸代(女優 1942)
小室等(音楽家 1943) 綿引勝彦(俳優 1945) 岩崎ひろみ(女優 1976)
手袋の日(日本手袋工業組合 tel.0879-25-3208)
同組合が1981年に設けたPRデー。手袋の歴史は古く、エジプトのツタンカーメン王の墓からは麻製の手袋が出土している。
現在も、手袋は礼装に欠かせないアイテムのひとつ。また、手袋を地上に投げることは決闘の申し込みを、その手袋を拾うのは受けてたつという意味になるとか。
現場では軍手を着用している がよく投げつけている。
むやみやたらに手袋を投げつけないほうがいいかも。
昨日の若者讃歌に関して今日の記事では年配者を見てみた。
宮日の人欄では
茨城の人で原口證{あきら58才}さん、凄いですね。円周率のギネスもん。
円周率のギネス登録をしたとある。連続8時間45分で 諳んじた円周率を間違いなく言葉として発して 5万桁を達成した。
その努力には敬服。賞賛の言葉もない。58才ですぞ!
世界王者に挑戦するヨネクラ・ジム所属の男がいる。
夢を諦めない!・・はこの人のためにある言葉。
西沢ヨシノリ38才と11ヶ月ミドル・スパー級の王者に挑戦する。
これまでの成績は45戦26勝14敗5分12月18日がゴング
前回の世界戦もダウンを奪え今一度であった。
白井義男(ボクサー 1923)の誕生日らしいが
是非、男のロマンをかなえてほしい。
「テンダー・ラブ」
朝日の2面の紹介記事
ナント!93才の上辞・・日野原重明先生ではないか。
聖路加病院の現役医師。
わが宮崎の高木覚兼の創立した聖路加病院ゆえ長生きはするワ〜
懐かしきハ映画なりいつも娯楽の王様であった。
「マキノ雅広監督が甦る」といっても生き返った訳でなくその名でメガホンを取る人が出てきたのである。
映画の歴史は数あれどその教祖的監督、草分けは松野省三に尽きる
サイレントから、トーキーまで活躍した邦画期の生みの親。
二人の子供にマキノ雅広、知子=沢村国太郎で沢村は沢村貞子を妹に持ちその弟が加藤大介
沢村国太郎と知子には長門裕之{70}と津川雅彦{63}が誕生した。それぞれ南田洋子、雪村いずみを妻としている。
その津川雅彦がマキノ雅彦でメガホンをとった。
作品の「寝ずの番」は中島らもの原作を3年かけて練り上げた爆笑エピソードで綴る落語家の一代記
師匠も総領弟子も師匠の奥さんも亡くした通夜の席残されたものが持合のフシを語ったりする内容。
どうにもフランキーの映画で落語をもとにした「幕末太陽伝」みたいである。
「企画3年クランクインは果たした」中井貴一、長門裕之も出演する
さあ〜おたのしみだ〜
敗戦を国の歴史に抱える我が国。瓦礫の果ての国から3年後 1948年{昭和23年}
勤労感謝の日を制定し国民の祝日とした。
「勤労を尊び、生産を祝い、国民が互いに感謝しあう日」として、定めたのである。
よって公務員様は休みだワナ〜。その考えの奴がいて職人の風上にも置けない。
勤労感謝の日は国民の祝日で19歳の若者宮○さん、弓○さんともに休み。大先輩もそうである。
昨夜宮○さんは、遊び仲間が来ていたが夜遊びが過ぎたのか。
連絡一つしてこない。
ニード、フリターは自覚なき世代の社会現象にしか過ぎない。
この不景気が続く時期にどう生きぬけるというのか。
40代過ぎのかたが今日よりお出でいただいた。
夜の報告では、できるようで安心である。
明日からのしごとが組みやすくなった。
即戦力でないと困る。若者はそろいも揃って、腰痛を強く訴える
どうにもハードな内容となってるようである。
どのように仕事を進めてるのか現場管理が重要のようである。
体力の維持が明日の安全な仕事に繋がる。
不調では危険な職場ゆえ災害に即繋がる。ご注意
セキスイの電気工事と宇田津邸のパネル工事、3面設置の発電所の完成である。
串間の紹介を戴くが宿題付で頂けぬ。新築の電気工事エアコン。
疲れてるようで取り組もうともしない。
気楽なものである。仕事はいつでもあるものとの前提がある。
歳時記を見てみるとJリーグの日サッカーの日ではないか。
・・・Jリーグ(日本プロサッカーリーグ)の初の公式戦、 ナビスコカップ決勝が 東京の国立競技場で行なわれる(1992)・・
他に、手袋の日(日本手袋工業組合1981)tel.0879-25-3208)
外食の日(日本フードサービス協会1984) tel.03-5403-1060、
いい兄さんの日、、ふみの日(毎月)
▲関東地方に元禄大地震。小田原城破損。マグニチュード8.2。死者2300人以上
▲富士山が大噴火し宝永山ができる(1707)
▲大相撲で初めて女性の見物が許可される(1872)
▲サンフランシスコで世界初のジュークボックス誕生(1889)
▲大日本スケート競技連盟結成(1929)
▲アメリカで「ライフ」誌創刊(1936)
▲角川書店創業(1945)
▲第一回全日本合唱コンクール(1948)
▲朝鮮戦争休戦(1951)
▲初の日米間テレビ宇宙中継受信実験でケネディ大統領暗殺を伝える(1963)
▲樋口一葉、没。25歳(1896)
誕生:井上馨(政治家 1835) 久米正雄(小説家・劇作家 1891)
小林桂樹(俳優 1923) 白井義男(ボクサー 1923) 田中邦衛(俳 優 1932)
栗本慎一郎(経済人類学者 1941) 十朱幸代(女優 1942)
小室等(音楽家 1943) 綿引勝彦(俳優 1945) 岩崎ひろみ(女優 1976)
手袋の日(日本手袋工業組合 tel.0879-25-3208)
同組合が1981年に設けたPRデー。手袋の歴史は古く、エジプトのツタンカーメン王の墓からは麻製の手袋が出土している。
現在も、手袋は礼装に欠かせないアイテムのひとつ。また、手袋を地上に投げることは決闘の申し込みを、その手袋を拾うのは受けてたつという意味になるとか。
現場では軍手を着用している がよく投げつけている。
むやみやたらに手袋を投げつけないほうがいいかも。
昨日の若者讃歌に関して今日の記事では年配者を見てみた。
宮日の人欄では
茨城の人で原口證{あきら58才}さん、凄いですね。円周率のギネスもん。
円周率のギネス登録をしたとある。連続8時間45分で 諳んじた円周率を間違いなく言葉として発して 5万桁を達成した。
その努力には敬服。賞賛の言葉もない。58才ですぞ!
世界王者に挑戦するヨネクラ・ジム所属の男がいる。
夢を諦めない!・・はこの人のためにある言葉。
西沢ヨシノリ38才と11ヶ月ミドル・スパー級の王者に挑戦する。
これまでの成績は45戦26勝14敗5分12月18日がゴング
前回の世界戦もダウンを奪え今一度であった。
白井義男(ボクサー 1923)の誕生日らしいが
是非、男のロマンをかなえてほしい。
「テンダー・ラブ」
朝日の2面の紹介記事
ナント!93才の上辞・・日野原重明先生ではないか。
聖路加病院の現役医師。
わが宮崎の高木覚兼の創立した聖路加病院ゆえ長生きはするワ〜
懐かしきハ映画なりいつも娯楽の王様であった。
「マキノ雅広監督が甦る」といっても生き返った訳でなくその名でメガホンを取る人が出てきたのである。
映画の歴史は数あれどその教祖的監督、草分けは松野省三に尽きる
サイレントから、トーキーまで活躍した邦画期の生みの親。
二人の子供にマキノ雅広、知子=沢村国太郎で沢村は沢村貞子を妹に持ちその弟が加藤大介
沢村国太郎と知子には長門裕之{70}と津川雅彦{63}が誕生した。それぞれ南田洋子、雪村いずみを妻としている。
その津川雅彦がマキノ雅彦でメガホンをとった。
作品の「寝ずの番」は中島らもの原作を3年かけて練り上げた爆笑エピソードで綴る落語家の一代記
師匠も総領弟子も師匠の奥さんも亡くした通夜の席残されたものが持合のフシを語ったりする内容。
どうにもフランキーの映画で落語をもとにした「幕末太陽伝」みたいである。
「企画3年クランクインは果たした」中井貴一、長門裕之も出演する
さあ〜おたのしみだ〜
コメント