経済学部の起こり
2004年11月7日読書の秋の言葉に代表される大和の国の最良の日々が刻々と消えてゆく。
そんな中シーガイア松泉宮に遊んだ。併設の図書館は新札で時のヒトたる一葉の著書とか復刻でない原本で凄くいい本がタダで見れる。
尤もあんなチンケナ風呂に1.500円は高かろう。またもや同じ過ちの愚をやっている。
元気湯を見てみろ!アレが庶民!
露天風呂のお湯は溜めてあるだけ。大浴場が聞いて呆れる。お湯はふんだんに使わなきゃ〜
昼間ゆえか私一人の貸切り。ホント贅〜沢を尽くさせていただいた。
松林に桜咲くのか植林してあったが〜。
歴史書、経済学書多いに楽しめた。10年も続く不景気の状態に持ち前の血に火が着いた感である。
自立独歩の時がきてる様である。
地球環境破壊は計画経済の必要性を示している。
政治体制としての社会主義は滅んだが経済体制の優位性は微動だに揺ぎ無い。
資本論は一巻の剰余価値から読み始めるから難しい。
三巻から始めるべし。本来は実に楽しい書物である。1巻から読もうとするから多くのヒトは取り組まない。
剰余価値なんて文字読みたく無いでしょう。それも数学なんだもの。革命の書と思し召しがまるっきり違うんだから。
私は高校生の一年の時取り組みノイローゼ鬱病になった。
あの時の失敗は学業に取り組む魅力を失ってしまった。己の知識・能力の過信に対する自信の無さでの呆然たる状態。
石坂洋二郎や石原慎太郎、川端康成、黒岩重吾、梶山李之、
富山のヒトたるサラリーマンものの源氏鶏太ナントの背伸び。早く社会人で稼ぎたかったゆえ。
三島由紀夫、高見順、柴田翔、高橋和巳となってくると妖しき物となってくる最後の安保世代である。
経済学書の基本たる資本論は挫折した。
源氏物語が桐壺から読み始めると挫折するのと同じである
桐壺源氏と揶揄されるのが関の山。
我が国における経済学は1919年大正8年に東大における法学部から経済学部が独立から始まった。
身の丈一尺一寸五分の高野岩三郎教授の努力である。兄、房太郎は米国での日本労働運動の曙、黎明期を支えた。労働運動の闘士はみな彼の徒である。
長崎の仕立物屋に生まれ貧困であるにもかかわらず東大を卒業できたのは本人の利発さだけでなく兄の学費の仕送りの恩恵があればこそであった。
私といえば大内兵衛、向坂逸郎を師とあがめて宇野弘蔵も含め勝手に著書に行動に触れた。初めに名前ありきである。
もちろん山川均が科学的考えを行動に持ち込んだ先駆をなし中心であることは理解していた。
堺利彦の名に隠れてるが資本論の理解力、応用のことは特筆できることである。
東大教授、大森義太郎が早世したために負担は増したことであろう。櫛田民蔵が支えた。
このように観てくると解体新書を訳す杉田玄白、前野良沢の如きの感を呈している。
大原社会問題研究所は東大経済学部創立と同時に設立された。受難の進歩的学者の駆け込み寺たる鎌倉の縁きり寺の役割をを果たした。
法政大学に収斂された大原社会問題研究所は大阪から東京に引っ越す時解散の危機にあったが宮崎人が救った。
山内多聞は日向人たる都城がうんだ当代一の画伯で郷土の偉人
東京事務所引越し先は山内多門が住んでいたところであった。
このたび都城美術館の館長に服部克久についていただいた。昭和11年11月1日11時、東京都生まれ。近江敏郎であったか7年7月7日生まれの如しである。こいつぁ縁起がいいヤァ〜
日本作編曲家協会会長、日本作曲家協会理事、東京音楽祭会長などを歴任、日本の音楽の発展に尽力ぃただいた。
父君良一は12年に 30歳 にしてジャズ・コーラス「山寺の和尚さん」を作曲デビュー、戦後の国民的歌謡、青い山脈、ブギのリズムと明るいリズムで旋風を起こした。のちのピンキー・キラズの恋の季節のいずみ卓に似通っている底抜けの明るさ。
NHK国民歌謡「日本よい国」が初放送
岩切章太郎との交流もあってか宮崎になじみが深い。
西条八十 作曲 服部良一というこどもの国の歌がある。
フエニックス・ハネム〜ンはNHKのど自慢で全国一の先生はボランテ仲間。もちろんNHKアコーデオンは岩満が務めるのが習い。
小島恒久九大教授の日本資本主義政治史は金融恐慌〜軍縮〜金解禁〜大恐慌〜高橋財政までの流れを、経済史の観点から分析し、民衆や政治がいかに侵略の道に進んでいったかを分かりやすく示す書。
当時の民衆や資本の状況を知るためには、この視点が大いに有効。無理な成長路線→経済失政+国際環境→国内経済破壊と貧困の進展→国民の好戦意識の醸成→軍の跋扈+明治憲法の欠陥→15年戦争という
単純な図式がよく理解できる通史。
赤松要/有沢広巳/猪木正道/猪俣津南雄/上杉慎吉/上田貞次郎//浮田和民/宇沢弘文/宇野弘蔵//大内兵衛/大熊信行/大河内一男/大塚金之助/大塚久雄/大森義太郎/大山郁夫/小野塚喜平次/河合栄治郎/河上肇/河田嗣郎/神戸正雄/櫛田民蔵/小泉信三/高坂正尭//小宮隆太郎/坂本義和/向坂逸郎/杉亨二/隅谷三喜男/関寛治/高田保馬/高野岩三郎/高橋誠一郎/高橋正雄/辻清明/土屋喬雄/都留重人/東畑精一/永井陽之助/長洲一二/中山伊知郎/南原繁/蜷川虎三/橋爪明男/羽仁五郎/林健太郎/土方成美/日高六郎/福田徳三/藤原弘達/本庄栄治郎/ 舞出長五郎/丸山真男/濃部亮吉/森嶋通夫/森戸辰男/安井琢磨/矢内原忠雄/矢作栄蔵/矢部貞治/山崎覚次郎/山田盛太郎/吉野作造/蝋山政道/脇村義太郎/
北一輝や大川周明、西周も含め杉山茂丸、頭山満の右翼にも興味を持った。
89歳になる中国経済学者朱紹文になると大川内一男や大塚久雄、隅谷三喜男と79年時の親しんだ人々も出て実に楽しい。
竹内洋「大学という病 東大紛擾と教授群像」 [中公叢書 2001年10月10日初版]
東大紛擾といっても、主として昭和十四年の東京帝国大学経済学部のいわゆる平賀粛学問題をめぐる紛擾をあつかったものである。しか
し、昭和四十三年の東大全共闘による丸山真男研究室封鎖などもでてくる。昭和十年代と昭和四十年代におきたことにある種の共通点があ
るのではないか、あるいはそれは同じことのくりかえしなのではないか、という視点が背後にある。
主役は河合栄治郎、狂言まわしが大森義太郎。
昭和三年四月十七日、東京帝国大学の評議会において、「新人会」の解散が決定され、その後、
京大河上肇、東大大森義太郎、九大向坂逸郎らが大学から追われていく。その一ケ月前の三月十五日共産党に対する全国的な弾圧がおこな
われ、その検挙者のなかに学生がきわめて多かったことに対応するものであった。
竹内の見取り図によれば、大正教養主義を滅ぼしたは、マルクス主義の台頭なのだが、そのマルクス主義が弾圧という外因によって沈滞
そのことは大原社会問題研究所にも官憲が入り大阪の閉鎖が考え始められた。
そうしたあと、もう一度教養主義が甦る。その二度目の<昭和教養主義>の中心人物が河合栄治郎なのである。
この<昭和教養主義>は軍国主義の高まりによる右からの攻撃により弱体化するのだが、軍国主義と右派は、敗戦という外因によって衰退
する。だが、そこにもう一度甦るは昭和教養主義>の流れでもよかったのだが、実際に甦ったのは<マルクス主義的教養主義>?とでもい
うものであり、それは全共闘運動によって終焉することになる。
こういう見取り図であれば、昭和十年代と四十年代にある種の平行関係をみることは可能であろう。
本書によれば、マルクス主義は明治時代からすでに日本に紹介されては…
そんな中シーガイア松泉宮に遊んだ。併設の図書館は新札で時のヒトたる一葉の著書とか復刻でない原本で凄くいい本がタダで見れる。
尤もあんなチンケナ風呂に1.500円は高かろう。またもや同じ過ちの愚をやっている。
元気湯を見てみろ!アレが庶民!
露天風呂のお湯は溜めてあるだけ。大浴場が聞いて呆れる。お湯はふんだんに使わなきゃ〜
昼間ゆえか私一人の貸切り。ホント贅〜沢を尽くさせていただいた。
松林に桜咲くのか植林してあったが〜。
歴史書、経済学書多いに楽しめた。10年も続く不景気の状態に持ち前の血に火が着いた感である。
自立独歩の時がきてる様である。
地球環境破壊は計画経済の必要性を示している。
政治体制としての社会主義は滅んだが経済体制の優位性は微動だに揺ぎ無い。
資本論は一巻の剰余価値から読み始めるから難しい。
三巻から始めるべし。本来は実に楽しい書物である。1巻から読もうとするから多くのヒトは取り組まない。
剰余価値なんて文字読みたく無いでしょう。それも数学なんだもの。革命の書と思し召しがまるっきり違うんだから。
私は高校生の一年の時取り組みノイローゼ鬱病になった。
あの時の失敗は学業に取り組む魅力を失ってしまった。己の知識・能力の過信に対する自信の無さでの呆然たる状態。
石坂洋二郎や石原慎太郎、川端康成、黒岩重吾、梶山李之、
富山のヒトたるサラリーマンものの源氏鶏太ナントの背伸び。早く社会人で稼ぎたかったゆえ。
三島由紀夫、高見順、柴田翔、高橋和巳となってくると妖しき物となってくる最後の安保世代である。
経済学書の基本たる資本論は挫折した。
源氏物語が桐壺から読み始めると挫折するのと同じである
桐壺源氏と揶揄されるのが関の山。
我が国における経済学は1919年大正8年に東大における法学部から経済学部が独立から始まった。
身の丈一尺一寸五分の高野岩三郎教授の努力である。兄、房太郎は米国での日本労働運動の曙、黎明期を支えた。労働運動の闘士はみな彼の徒である。
長崎の仕立物屋に生まれ貧困であるにもかかわらず東大を卒業できたのは本人の利発さだけでなく兄の学費の仕送りの恩恵があればこそであった。
私といえば大内兵衛、向坂逸郎を師とあがめて宇野弘蔵も含め勝手に著書に行動に触れた。初めに名前ありきである。
もちろん山川均が科学的考えを行動に持ち込んだ先駆をなし中心であることは理解していた。
堺利彦の名に隠れてるが資本論の理解力、応用のことは特筆できることである。
東大教授、大森義太郎が早世したために負担は増したことであろう。櫛田民蔵が支えた。
このように観てくると解体新書を訳す杉田玄白、前野良沢の如きの感を呈している。
大原社会問題研究所は東大経済学部創立と同時に設立された。受難の進歩的学者の駆け込み寺たる鎌倉の縁きり寺の役割をを果たした。
法政大学に収斂された大原社会問題研究所は大阪から東京に引っ越す時解散の危機にあったが宮崎人が救った。
山内多聞は日向人たる都城がうんだ当代一の画伯で郷土の偉人
東京事務所引越し先は山内多門が住んでいたところであった。
このたび都城美術館の館長に服部克久についていただいた。昭和11年11月1日11時、東京都生まれ。近江敏郎であったか7年7月7日生まれの如しである。こいつぁ縁起がいいヤァ〜
日本作編曲家協会会長、日本作曲家協会理事、東京音楽祭会長などを歴任、日本の音楽の発展に尽力ぃただいた。
父君良一は12年に 30歳 にしてジャズ・コーラス「山寺の和尚さん」を作曲デビュー、戦後の国民的歌謡、青い山脈、ブギのリズムと明るいリズムで旋風を起こした。のちのピンキー・キラズの恋の季節のいずみ卓に似通っている底抜けの明るさ。
NHK国民歌謡「日本よい国」が初放送
岩切章太郎との交流もあってか宮崎になじみが深い。
西条八十 作曲 服部良一というこどもの国の歌がある。
フエニックス・ハネム〜ンはNHKのど自慢で全国一の先生はボランテ仲間。もちろんNHKアコーデオンは岩満が務めるのが習い。
小島恒久九大教授の日本資本主義政治史は金融恐慌〜軍縮〜金解禁〜大恐慌〜高橋財政までの流れを、経済史の観点から分析し、民衆や政治がいかに侵略の道に進んでいったかを分かりやすく示す書。
当時の民衆や資本の状況を知るためには、この視点が大いに有効。無理な成長路線→経済失政+国際環境→国内経済破壊と貧困の進展→国民の好戦意識の醸成→軍の跋扈+明治憲法の欠陥→15年戦争という
単純な図式がよく理解できる通史。
赤松要/有沢広巳/猪木正道/猪俣津南雄/上杉慎吉/上田貞次郎//浮田和民/宇沢弘文/宇野弘蔵//大内兵衛/大熊信行/大河内一男/大塚金之助/大塚久雄/大森義太郎/大山郁夫/小野塚喜平次/河合栄治郎/河上肇/河田嗣郎/神戸正雄/櫛田民蔵/小泉信三/高坂正尭//小宮隆太郎/坂本義和/向坂逸郎/杉亨二/隅谷三喜男/関寛治/高田保馬/高野岩三郎/高橋誠一郎/高橋正雄/辻清明/土屋喬雄/都留重人/東畑精一/永井陽之助/長洲一二/中山伊知郎/南原繁/蜷川虎三/橋爪明男/羽仁五郎/林健太郎/土方成美/日高六郎/福田徳三/藤原弘達/本庄栄治郎/ 舞出長五郎/丸山真男/濃部亮吉/森嶋通夫/森戸辰男/安井琢磨/矢内原忠雄/矢作栄蔵/矢部貞治/山崎覚次郎/山田盛太郎/吉野作造/蝋山政道/脇村義太郎/
北一輝や大川周明、西周も含め杉山茂丸、頭山満の右翼にも興味を持った。
89歳になる中国経済学者朱紹文になると大川内一男や大塚久雄、隅谷三喜男と79年時の親しんだ人々も出て実に楽しい。
竹内洋「大学という病 東大紛擾と教授群像」 [中公叢書 2001年10月10日初版]
東大紛擾といっても、主として昭和十四年の東京帝国大学経済学部のいわゆる平賀粛学問題をめぐる紛擾をあつかったものである。しか
し、昭和四十三年の東大全共闘による丸山真男研究室封鎖などもでてくる。昭和十年代と昭和四十年代におきたことにある種の共通点があ
るのではないか、あるいはそれは同じことのくりかえしなのではないか、という視点が背後にある。
主役は河合栄治郎、狂言まわしが大森義太郎。
昭和三年四月十七日、東京帝国大学の評議会において、「新人会」の解散が決定され、その後、
京大河上肇、東大大森義太郎、九大向坂逸郎らが大学から追われていく。その一ケ月前の三月十五日共産党に対する全国的な弾圧がおこな
われ、その検挙者のなかに学生がきわめて多かったことに対応するものであった。
竹内の見取り図によれば、大正教養主義を滅ぼしたは、マルクス主義の台頭なのだが、そのマルクス主義が弾圧という外因によって沈滞
そのことは大原社会問題研究所にも官憲が入り大阪の閉鎖が考え始められた。
そうしたあと、もう一度教養主義が甦る。その二度目の<昭和教養主義>の中心人物が河合栄治郎なのである。
この<昭和教養主義>は軍国主義の高まりによる右からの攻撃により弱体化するのだが、軍国主義と右派は、敗戦という外因によって衰退
する。だが、そこにもう一度甦るは昭和教養主義>の流れでもよかったのだが、実際に甦ったのは<マルクス主義的教養主義>?とでもい
うものであり、それは全共闘運動によって終焉することになる。
こういう見取り図であれば、昭和十年代と四十年代にある種の平行関係をみることは可能であろう。
本書によれば、マルクス主義は明治時代からすでに日本に紹介されては…
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