紅葉狩り

2004年11月10日
国家百年の大計は教育に限る。人材の育成である。
あの不思議の国のインドが不満を解消し存続するのもIT技術者供給国で世界NO1であるゆえであろう。

ガンジスに死体が流れ行くのと礼拝の禊を朝夕にしてるのが共存する光景、飲料水としての泗水として使うことが同居できるのであろう。
あの肝要さでの運営なら何もかも上手くいくであろう。

わが専務の茫洋さに似通っている。育ちである。しっかりとした生き抜く哲学である。

本人と話しても何処で勉強・修行したのかおくびにも出さないが、ナチュラルのようで、どうも天分のようである。

暮らしから身についた人柄人の良さは修行して身につくものではない。環境・育ちが意識を生き様を決定付けるようでヘーゲル哲学の存在が意識を決定付ける学術的見本がここに存在してる。是非APAまでご覧になりにきて頂きたい。

柳田国男が遠野物語を書き、言葉の断層を富山に求めた如く存在してるのである。

明治以来営々と気づきあげた国民・民族の財産を太平洋戦争で一夜の内に打ち砕かれた国家運営の薄っぺらな指導者を作り出す教育ではない物をである。

統一国家と万機公論に決すべしたる国家目標。
総ての組織運営に適用されるべき規範であろう。実に明治の骨組みは万事理にかなっている。

音楽教育一つとってもそうである。
鳥取県から排出してる童謡の作曲家の綺羅星の如きである。

岡野貞一は鳥取市古市の出。明治11年〜昭和16年代表作ふるさと、朧月夜、春がきた、桃太郎  

田村虎蔵は岩美郡岩美町、明治6年〜昭和18年 金太郎、花咲じじい、一寸法師、浦島太郎

永井幸次は鳥取市西町、明治7年〜昭和40年 夕焼け、かみなり

宮崎市・蓮ヶ池史跡公園にしばしの休息。高岡、日南と支払の請求で電話も充電切れの状態で大先輩と逃亡状況。新聞は次のように書いた。

♪秋の夕日に〜照る山もみ〜じ、の歌が少し早きの感のいろはもみじ。
「紅葉」と呼ぶのは、広葉樹の葉が秋に赤や黄色に変色する現象を広くいうわけだ。万葉集では「黄葉」と書いた。

古典文学の植物に詳しい歌人、中根三枝子さんは

「万葉集のころまではハギなど黄色く色づくものが注目され、その後赤い葉の美しさが称賛されるという好みの変化があり、『紅葉』になったようだ。

漢詩でも初唐(618〜712)ごろまで黄葉が一般的で、その後紅葉になっており、漢詩の影響もあったと思う」
と話す。

紅葉する代表的な植物がモミジであることから、紅葉と書いてモミジとも読む。

ちなみにモミジとカエデは植物学上は同じもの。カエデは漢字では「楓」と書くが、実は“誤訳”だ。

中国の「楓(ふう)」は黄色や赤に変色するが、カエデ科ではなくマンサク科。

モミジは、左右対称に小枝が出るものが多いが、フウでは左右互い違いに小枝が出る。

高貴な木として漢詩に頻繁に登場する「楓」を、日本のカエデに当てはめたと見られている。

 春の桜、秋の紅葉は対として歌われることが多い。
中根さんによると、百人一首では桜(花)と紅葉はきっちり6首ずつ。

桜は「咲く花」3首と「散る花」3首、
紅葉は「山の紅葉」3首と「川の紅葉」3首。
山と川の紅葉は、千年も前から日本人の心象風景だったのだ。

「紅葉」は、長野県出身の高野が帰省の折、今は廃線となった信越線の熊ノ平駅近くで見た景色がきっかけになって誕生した。

1番は山の紅葉を、2番は川の流れに浮く紅葉を歌う見事な曲。実はこの歌には、和歌の伝統がしっかりと息づいている。

ひとえに高野辰之の勉学のたわもの。
1911(明治44)年につくられた文部省唱歌「紅葉」。

作詞は長野の人高野辰之、作曲は鳥取の人。岡野貞一。

「うさぎ追いし〜」で始まる「故郷」、
「菜の花畠に〜」で始まる「朧月夜」などをつくった名コンビである。

チターの奏でる名曲、はアントン・カラス。
以前NHKでこの曲ができるまでを、放映したことがある。

アントン・カラスがリード監督のロンドンの家に住み込み、49年9月の初公開までの、作曲に苦悩する内容であった。

現在の世界一のチターの演奏者の河野保人は
宮崎の都農町出身であり、全世界を飛び歩いている。

演奏を聞いたことがあるが、32本の弦が神の宿る手にかかると聖曲であった。
 
秋は月を見て酒に尽きるとは酔人の心情
酒の肴は竜田揚げにこれまた尽きる。

 川の紅葉の代表歌といえば
「ちはやぶる神代も聞かず竜田川 から紅に水くくるとは」在原業平

「さまざまな不思議があったという神々の時代でさえ聞いたことがない。竜田川が、紅葉の紅でくくり染め(絞り染め)上げられるとは」

というこのダイナミックな歌は、実際の景色ではなく、びょうぶ絵を見て歌ったものだ。

「古今集」によると、光源氏のモデルとも言われる業平の“元恋人”、二条(にじょう)の后(藤原高子(ふじわらのこうし))の前でつくられた。

若いころの2人の恋は事実とも、そうでないとも言われるが、高子が業平の歌を愛し、業平がそれに応えたことだけは間違いない。

 片栗粉(かたくりこ)としょうゆなどを絡めて魚や肉を揚げたものを「竜田揚げ」と呼ぶのはこの歌による。

「火が通ると片栗粉は白くなる。赤い色のところに、点々と白いものが見える。紅葉の流れる龍田川の景を思わせる揚げ方につけた名称である」と書く。「たべもの語源辞典」(東京堂出版)

癒やし効果?の紅葉かり。怒りと不条理で逃げ歩いていると収まってきた。宮崎の先祖方の横穴群は、よりロマンを添える。

 京都の紅葉を撮り続け、昨年写真集「京都紅葉名所」(光村推古書院)を出した写真家、水野克比古

「京都の紅葉は、高雄(たかお)・神護寺(じんごじ)の金堂前の石段から」との噺だ。JR京都駅からバスで約50分。ひんやりとした秋の
空気の中に降り立ち、山道を10分ほど歩く。あった。

 緑から黄色へ、黄色から赤へ……。モミジは、一本一本、一枝一枝、そして一葉一葉色合いが微妙に変化している。美しい。そして、見飽きることがない。

 なぜだろう。桜を見ているとその美しさに浮き立つような、どことなく落ち着かないはらはらした気持ちになるのに、紅葉は逆だ。
しんと静かな気持ちになる。

 夕日を見ると、一日活動してきた荒々しい気持ちが落ち着き、人は和む。紅葉もそういうところがある。

桜が冬の眠りから覚めて咲くなら、モミジは眠りの冬に赴いていく。でもただ色あせていくのではなくて最後を自ら飾る。最後に輝く。

そのドラマチックさにひかれる。年をとると、やはり自然に自分の人生を重ね合わせるようになる。死ぬことは恐ろしいが、受け入れていかないといけない。

限りある命だから、今を大事にして生きたい。紅葉はそう教えてくれる 
ひとつ散り又ひとつ散り紅葉かな 山口青邨 

 癒やし系ブームの中、京都の紅葉もまさにブームである。東福寺に観光客がどっとやって来るようになったのは90年以降。11月の休日には1日で約3万人が訪れることもあると言う。

四季を愛でる感じる楽しさは我らにしかない。大事なことである。
指針亡き大和の人間の確立の不毛な義務教育費の負担の騒動である。

 義務教育費国庫負担金制度をめぐる対立が、激しくなってきた。全国知事会など地方6団体が、約3兆2000億円の補助金削減案の中に中学校の教職員給与(8504億円)分を組み入れた、

削りやすいものを削ったという印象は否めない。段階的に進めるにしても、中学校分だけの削減も理屈に合わない。中教審の関与など手続き面でも不備がある。

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