消えた年末風景
2004年12月28日年末年始を迎え事業を進めてる人は特に資金作りに追われてるのは私だけではなかろう。
大変な年の瀬・年越しである。
昨日は高城町で公的資金適用企業の説明があった
ところでgooの経済をあけてみると驚きの記事があった。
日本の株式・土地資産、バブル後最低の1709兆円にとの悲観記事である。
引用するとこうである
第一生命経済研究所は27日、日本の9月末の株式・土地の資産総額はバブル崩壊後で最低の約1709兆円にとどまったとする推計を発表した。 バブル経済の絶頂期だった1990年6月末からの“失われた富”は、過去最大の約1317兆円となり、3月末から半年で約60兆円も拡大した計算だ。
なんと!1億人口で割ると1人1709万円の資産があることになる。
よくわからぬことである。
27日は新築家屋のサン・ルーフの庇工事を穏やかな天候の中で進めたが明日まで持ち越しと成った。
もちつき代を稼ぐためである。
トッテンコ トッテンコ/トッテントッテントッテンコ
さあこねて さあこねて/さあこねさあこねさあこねて
トーントーントントントン/トントントントントントントン
これは動作を入れた遊び歌でわたしの45年前の記憶では・・
子らを育てるときとの記憶の混同かもしれないが・・・
これっくらいの おべんとばこに
おにぎりおにぎり ちょっとつめて
きざあみしょうがに ごましおふって
いちご さん
にんじん さん
しいたけ さん
ごぼう さん
あなのあいた れんこん さん
すじーのとおった ふーき!
のようにして歌うのである。
「ぺったんこ、ぺったんこ」。
今、の子供たちは、それが何なのかを理解できない子らがほとんどであろう。
もちつきは、年末の27日から29日ころの間で行われた。
あんこもちの時は心の中で歓声をを1人揚げ待ったものだ。
「かぁちゃん!あんこもちは何時ごろにナット〜」
怒られるのを覚悟で聞くと案の定
「こん いやしんぼうが・・」
大勢の前でのチョウシュウに晒される。
食糧難で特に糖分たる砂糖は貴重品であったので
餡餅は大変なご馳走であった時代の行き方論の矜持を暗に教えた教育
それらが今の行き方論、血や肉となってる人生観。
団体生活のマナー、遠慮、我慢、盗まずいろんなことを学ばせた、
隣近所3〜4家で大きなかまどに火事にならんが如くのたきぎを燃やした。
「せろ」を3〜5段積み上げ、ふけ・蒸したころ、石臼へ移す。
力自慢の次男良福兄貴を中心に文人叔父、後のおじちゃん{ゴメンナサイ名前が思い出せません}利治おじさんだった・・・・金一さん
3〜4人のつき手が杵を振るい、かぁちゃんが絶妙のタイミングで石臼の中のもちをこねる。
つきたてのもちをやけどするような熱さのなかを均等にちぎって行く
あんもちを只管待ちながらその全ての流れを見、大人になったら自分も、と胸を膨らませたものだ
丸めたもちは整然と「もろぶた」に収まる。
鏡餅だけでも「もろぶた」何段にもなった。
唯一お手伝いができる部分である。
それから地鶏を絞め殺し年に何度かの動物性タンパク質を体内にとりこむ感激
師走の風景であった。
そのうちに機械での餅つきとなり、留まることを知らない白いウンチのごとくの餅で風情も消えた。
、
木の杵でついたゆえ注意しないと持ちの中に木の屑が紛れ込んでいたりした。
貴重な日本の食文化も年末風景も携わっていた人々も消えた。
隣近所おおぜいの人々に囲まれての年越し、迎春の行事
普通の風景が変わり今は核家族。モラルを名ぬ結うと泣く教えた社会はない。幻影に生きる私消えないノスタルジー
「おもちつき」は『まど・みちお』の誌である。
1909年11月16日、山口県徳山市(現在の周南市)生まれ。
本名石田道雄。第二次大戦前は台湾総督府に勤務。
北原白秋に惹かれその後詩作生活に入りる。
1968年、59歳で処女詩集『てんぷらぴりぴり』を出版し野間児童文芸賞。
「ぞうさん」「ふしぎなポケット」「いちねんせいになったら」
これらも まど・みちお の作品である。
これらを思い出したのは吉田なつめさんの日記を拝見させていただいたからである。
宮崎県は唯一芥川・直木賞の人材を輩出していない県である。
吉田さんの玄人なみのイラスト・文才に失礼ながら幼きころのじぶんを重ねてみた。
齢50をすぎて初めてパソコンに触りキーボード恐怖症から脱却すべくシンデレラよろしく12時すぎてからパソコンにむかうのを楽しみとして、毎夜挑戦している。
マナーもなにもあったもんじゃなく、ごめいわくをかけている。
今後ともいろいろとご指導ください。
あれ!ここに書くんじゃなくって、秘密にかくべきであったようだ
おゆるしアレ!の鉄アレ
なつめさんきむちごはん美味しいですって!
ソン様にいいつけてやりますよ〜〜ん・・ウソだよ〜〜ん。
よろしくお願いいたします。
大変な年の瀬・年越しである。
昨日は高城町で公的資金適用企業の説明があった
ところでgooの経済をあけてみると驚きの記事があった。
日本の株式・土地資産、バブル後最低の1709兆円にとの悲観記事である。
引用するとこうである
第一生命経済研究所は27日、日本の9月末の株式・土地の資産総額はバブル崩壊後で最低の約1709兆円にとどまったとする推計を発表した。 バブル経済の絶頂期だった1990年6月末からの“失われた富”は、過去最大の約1317兆円となり、3月末から半年で約60兆円も拡大した計算だ。
なんと!1億人口で割ると1人1709万円の資産があることになる。
よくわからぬことである。
27日は新築家屋のサン・ルーフの庇工事を穏やかな天候の中で進めたが明日まで持ち越しと成った。
もちつき代を稼ぐためである。
トッテンコ トッテンコ/トッテントッテントッテンコ
さあこねて さあこねて/さあこねさあこねさあこねて
トーントーントントントン/トントントントントントントン
これは動作を入れた遊び歌でわたしの45年前の記憶では・・
子らを育てるときとの記憶の混同かもしれないが・・・
これっくらいの おべんとばこに
おにぎりおにぎり ちょっとつめて
きざあみしょうがに ごましおふって
いちご さん
にんじん さん
しいたけ さん
ごぼう さん
あなのあいた れんこん さん
すじーのとおった ふーき!
のようにして歌うのである。
「ぺったんこ、ぺったんこ」。
今、の子供たちは、それが何なのかを理解できない子らがほとんどであろう。
もちつきは、年末の27日から29日ころの間で行われた。
あんこもちの時は心の中で歓声をを1人揚げ待ったものだ。
「かぁちゃん!あんこもちは何時ごろにナット〜」
怒られるのを覚悟で聞くと案の定
「こん いやしんぼうが・・」
大勢の前でのチョウシュウに晒される。
食糧難で特に糖分たる砂糖は貴重品であったので
餡餅は大変なご馳走であった時代の行き方論の矜持を暗に教えた教育
それらが今の行き方論、血や肉となってる人生観。
団体生活のマナー、遠慮、我慢、盗まずいろんなことを学ばせた、
隣近所3〜4家で大きなかまどに火事にならんが如くのたきぎを燃やした。
「せろ」を3〜5段積み上げ、ふけ・蒸したころ、石臼へ移す。
力自慢の次男良福兄貴を中心に文人叔父、後のおじちゃん{ゴメンナサイ名前が思い出せません}利治おじさんだった・・・・金一さん
3〜4人のつき手が杵を振るい、かぁちゃんが絶妙のタイミングで石臼の中のもちをこねる。
つきたてのもちをやけどするような熱さのなかを均等にちぎって行く
あんもちを只管待ちながらその全ての流れを見、大人になったら自分も、と胸を膨らませたものだ
丸めたもちは整然と「もろぶた」に収まる。
鏡餅だけでも「もろぶた」何段にもなった。
唯一お手伝いができる部分である。
それから地鶏を絞め殺し年に何度かの動物性タンパク質を体内にとりこむ感激
師走の風景であった。
そのうちに機械での餅つきとなり、留まることを知らない白いウンチのごとくの餅で風情も消えた。
、
木の杵でついたゆえ注意しないと持ちの中に木の屑が紛れ込んでいたりした。
貴重な日本の食文化も年末風景も携わっていた人々も消えた。
隣近所おおぜいの人々に囲まれての年越し、迎春の行事
普通の風景が変わり今は核家族。モラルを名ぬ結うと泣く教えた社会はない。幻影に生きる私消えないノスタルジー
「おもちつき」は『まど・みちお』の誌である。
1909年11月16日、山口県徳山市(現在の周南市)生まれ。
本名石田道雄。第二次大戦前は台湾総督府に勤務。
北原白秋に惹かれその後詩作生活に入りる。
1968年、59歳で処女詩集『てんぷらぴりぴり』を出版し野間児童文芸賞。
「ぞうさん」「ふしぎなポケット」「いちねんせいになったら」
これらも まど・みちお の作品である。
これらを思い出したのは吉田なつめさんの日記を拝見させていただいたからである。
宮崎県は唯一芥川・直木賞の人材を輩出していない県である。
吉田さんの玄人なみのイラスト・文才に失礼ながら幼きころのじぶんを重ねてみた。
齢50をすぎて初めてパソコンに触りキーボード恐怖症から脱却すべくシンデレラよろしく12時すぎてからパソコンにむかうのを楽しみとして、毎夜挑戦している。
マナーもなにもあったもんじゃなく、ごめいわくをかけている。
今後ともいろいろとご指導ください。
あれ!ここに書くんじゃなくって、秘密にかくべきであったようだ
おゆるしアレ!の鉄アレ
なつめさんきむちごはん美味しいですって!
ソン様にいいつけてやりますよ〜〜ん・・ウソだよ〜〜ん。
よろしくお願いいたします。
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