時を刻む
2004年12月31日自然や自己と真剣に向き合うと武者ぶるい的に身の毛のよだつときがある。
無限にかんする恐怖は己の限られた生命の裏返しでもある
方向を求める言い様もない不安で恐怖感さえ感じる
宗教が生まれてくる余地はそこからなんであろう
生きるにあたり尺度を求めてるのであろう
何かがないとボーッとしてて定まらない
時間、記録一日一年を定めるくぐりがほしくなる
芥川が「ナントもない、ボャッとした不安」で生命を絶つ状況はこれであったのか。
平和ドグマに陥ってたのか戦争に対する不安と解釈していた
そこで暦を定め一年を定めいちにちを定めた、
人間に区切りができ、括られた枠の中で生き会う習性ができた
毎月末は晦日、最後の晦日ゆえ大晦日
泣いても笑っても本日限りと言うわけである
本来無理があるわけだが為政者や暦の大家が強要させるので生きる
知恵で当初はやむなく従ッたことであろう。
為政者は時を定めて国を治めてきた
いつもパワーをいただいてる日記の皆さんのを拝見していると躍動が感じられ
心の内まで見えてきてるようでその効果大なるものがある暦である。
また、時を計ることによって、人の運命が明らかになるので占いに無くてはならないものに発展した。
根拠は地球上で生活している以上大宇宙にあるさまざまな現象の影響を受けていることに目をつけたわけである。
古代ギリシャ、中国文明などそれぞれの環境にあわせた暦が作られた。わが国は遣隋使以来中国の影響下にあった
5行説の後に出たのが6行説にもとずく暦である。
後に転じて六輝の起源になった
孔明六任とも呼ばれ三国志で有名な諸葛孔明が軍略に考え出したものとも言われている
自分の生まれた干支たる12支はよく使われている
「なにどし?」「うさぎ」
「どうりで元気よくお目々が赤いワ〜」
血液占いが全盛のころのようだが
暦がなければ殺風景な日常と成っていることであろう。
明治期に月を中心に考えられた太陰暦は太陽を中心とした太陽暦に改暦させられた。
農耕民族たる大和の国には甚だ自然と実際とのミスマッチが起こる事になる。
そこで併用しての生活をしていることと相成る。
6行説にもとずく暦である。
鎌倉期に伝わり、江戸期には民間に広く普及した。
明治6年には根拠がないので禁止の布告が出されたほどである。
今日でも一番利用されているはずだ、
先勝
友引
先負
仏滅
大安
赤口 シャック火の元に気をつけよ・刃物を持つ人は気をつけよ
暦は私たちの大切な時を示す大切なものとなった。
12直に成ると北斗七星を日の吉凶を見るために創られてる方位でもあるので大変である。
国際天文学会で決められている88組の星座の中から黄道(太陽が1年間に一周して描く大円)の付近にある28の星座を選び人間に与える影響を調べたものが28宿方位図
風水とは、天・人・地をひとつの「気」としてとらえる古代中国から受け継がれてきた自然哲。
自然と協調することで幸せを創り出すという人類の知恵を謳う。
自然災害はある意味で戦争よりも怖いものである
日本語たる津波は特にそうだ
当初2000人の死者であった報道が毎日積み重ねられる驚きと悲しみこの死者数の毎日の増加はなんだ!
今日は独創的物理学者・寺田寅彦が逝ッた日。昭和10年(1935)
「天災は忘れた頃にやって来る」は寺田の警句である
夏目漱石の『吾輩は猫である』の水島寒月、『三四郎』の野々宮宗八という2人の理学士のモデルである。瀬石の門下でもあり、吉村冬彦などのペンネームで著書も発表。
X線による結晶構造解析の研究のほか独自の物理学を試行。災害現象への関心も強く、学術調査も行った。
日本ではじめて粉体なる語をつかった学者は、
「1933年寺田寅彦先生だった」
粉体工学の草分け的人で知られる三輪茂雄同志社大学名誉教授
研究成果を鳴き砂、石臼に生かしている。
21世紀の粉のハイテクは原子・分子を自由に操って粒子を設計してのぞみの大きさと形に整える方法を次々に開発している。
もし人類が石臼で粉をつくることを発明しなかったら、
人類にエジプト文明も、したがってローマ文明もなかった。
火の発見は粉の発見そのものである。
火の発見が文明へのスタートとは通説だが、その内容をもう少し詳細に考えると粉と人類との出会いの物語が明らかになる。
木と木をこすり合わせて火を起こすのと、火打石で火を起こす
のとでは技術の発展性に大きな違いがある。
木と木の摩擦による発火は自然の模倣であるがその過程で生成する
乾いた木の粉に注目したところに偉大な進歩への糸口があった。
その乾粉に火打ちの火を落とせば炎に転化できる発見である。
百万年を越える石器づくりの蓄積のなかで育った高度の技術だった。
この乾粉は火打石での発火助材である火口そのものである。
乾粉の素材を変化させたり、火打石を選んだりして、火打の技術は発展していった。
5000年前の石器時代の人体がアルプスの氷に凍結保存されて発見されたアイスマン(タイム誌1992年10月26日号)
(コンラート・シュピンドラー著 畔上司訳『5000年前の男』文春秋社
彼は青銅でなく銅製のナイフを持ち、その持ち物には火打石はなかったが使用によって粉末になった黄鉄鉱とともに火口があった
起こした火をオキの状態で長持ちさせる袋も持参しさらに火口はカリウムリッチ。粉ではないがカリウムはまさに火薬への道。
花火の発見そして最後に火薬の発明へと複雑な技術の発展を生む技術の積み重ねである。 粉から火薬を連想するのはもっともである。
英語で火薬はpowder
長篠よりも5年も前に真宗門徒衆が大阪の石山本願寺で鉄砲を撃ったと本願寺の文書。
岐阜県の家に転がっていてた目の刻みは8分画なのに長野県は6分画だ。九州のは6分画。なんでヤ?
この発見は今では通念になっているが誰も知らなかった。
石臼の精度を云々すれば、抹茶臼にいきつく。
臼の目の数を末広がりの88本にした。
因みに茶一字に人間の煩悩が表現される。
茶の漢字を分解すれば、草冠は十がふたつ、草冠の下は八十八と読める。あわせて百八になる。
島根県仁摩町にある鳴き砂博物館の世界一の砂時計もこの人の手になり「とき」を刻んでいる。
各地のソバ好き・蕎麦ファンの間では知るひとぞしる有名人。
学問を象牙の塔から市井に放り出させた功績は大、偉い!
大晦日誰言うともなくそばを食い・・せきやん
年越しそばを残すと小遣いがたまらないと爺婆ッ子は教わった
大晦日には、年越しそば
「細く長く、来年も幸せをそばからかきいれる」と食べる。
散らばった金箔を蕎麦団子を使って集めたことからお金を集める縁起ものともされる。
新年を明日に控え、心を改め大掃除をすました。
昨日生まれてはじめての正月準備で酒類さえ買った。
注連縄を飾り何時でも来い!と待ちわびている。
除夜の鐘を 108回ならし、百八煩悩を洗い清め新年を迎える行事ももうすぐだ
忘却してはならぬ記憶として大本営がガダルカナル島撤退を決定した日(1942年)
太平洋戦争の敗北を隠し制空権を奪われ内地の空襲が始まることに連なる日である
今夜は除夜の鐘。上野・寛永寺の除夜の鐘が初めてNHKラジオで放送されたのは昭和2年(1927)
k-1はラジオでは放送されないワ〜
今夜また馬一匹を食い散らし せきやん
どちら様もよいお年を!
ご愛読有難う御座いました
無限にかんする恐怖は己の限られた生命の裏返しでもある
方向を求める言い様もない不安で恐怖感さえ感じる
宗教が生まれてくる余地はそこからなんであろう
生きるにあたり尺度を求めてるのであろう
何かがないとボーッとしてて定まらない
時間、記録一日一年を定めるくぐりがほしくなる
芥川が「ナントもない、ボャッとした不安」で生命を絶つ状況はこれであったのか。
平和ドグマに陥ってたのか戦争に対する不安と解釈していた
そこで暦を定め一年を定めいちにちを定めた、
人間に区切りができ、括られた枠の中で生き会う習性ができた
毎月末は晦日、最後の晦日ゆえ大晦日
泣いても笑っても本日限りと言うわけである
本来無理があるわけだが為政者や暦の大家が強要させるので生きる
知恵で当初はやむなく従ッたことであろう。
為政者は時を定めて国を治めてきた
いつもパワーをいただいてる日記の皆さんのを拝見していると躍動が感じられ
心の内まで見えてきてるようでその効果大なるものがある暦である。
また、時を計ることによって、人の運命が明らかになるので占いに無くてはならないものに発展した。
根拠は地球上で生活している以上大宇宙にあるさまざまな現象の影響を受けていることに目をつけたわけである。
古代ギリシャ、中国文明などそれぞれの環境にあわせた暦が作られた。わが国は遣隋使以来中国の影響下にあった
5行説の後に出たのが6行説にもとずく暦である。
後に転じて六輝の起源になった
孔明六任とも呼ばれ三国志で有名な諸葛孔明が軍略に考え出したものとも言われている
自分の生まれた干支たる12支はよく使われている
「なにどし?」「うさぎ」
「どうりで元気よくお目々が赤いワ〜」
血液占いが全盛のころのようだが
暦がなければ殺風景な日常と成っていることであろう。
明治期に月を中心に考えられた太陰暦は太陽を中心とした太陽暦に改暦させられた。
農耕民族たる大和の国には甚だ自然と実際とのミスマッチが起こる事になる。
そこで併用しての生活をしていることと相成る。
6行説にもとずく暦である。
鎌倉期に伝わり、江戸期には民間に広く普及した。
明治6年には根拠がないので禁止の布告が出されたほどである。
今日でも一番利用されているはずだ、
先勝
友引
先負
仏滅
大安
赤口 シャック火の元に気をつけよ・刃物を持つ人は気をつけよ
暦は私たちの大切な時を示す大切なものとなった。
12直に成ると北斗七星を日の吉凶を見るために創られてる方位でもあるので大変である。
国際天文学会で決められている88組の星座の中から黄道(太陽が1年間に一周して描く大円)の付近にある28の星座を選び人間に与える影響を調べたものが28宿方位図
風水とは、天・人・地をひとつの「気」としてとらえる古代中国から受け継がれてきた自然哲。
自然と協調することで幸せを創り出すという人類の知恵を謳う。
自然災害はある意味で戦争よりも怖いものである
日本語たる津波は特にそうだ
当初2000人の死者であった報道が毎日積み重ねられる驚きと悲しみこの死者数の毎日の増加はなんだ!
今日は独創的物理学者・寺田寅彦が逝ッた日。昭和10年(1935)
「天災は忘れた頃にやって来る」は寺田の警句である
夏目漱石の『吾輩は猫である』の水島寒月、『三四郎』の野々宮宗八という2人の理学士のモデルである。瀬石の門下でもあり、吉村冬彦などのペンネームで著書も発表。
X線による結晶構造解析の研究のほか独自の物理学を試行。災害現象への関心も強く、学術調査も行った。
日本ではじめて粉体なる語をつかった学者は、
「1933年寺田寅彦先生だった」
粉体工学の草分け的人で知られる三輪茂雄同志社大学名誉教授
研究成果を鳴き砂、石臼に生かしている。
21世紀の粉のハイテクは原子・分子を自由に操って粒子を設計してのぞみの大きさと形に整える方法を次々に開発している。
もし人類が石臼で粉をつくることを発明しなかったら、
人類にエジプト文明も、したがってローマ文明もなかった。
火の発見は粉の発見そのものである。
火の発見が文明へのスタートとは通説だが、その内容をもう少し詳細に考えると粉と人類との出会いの物語が明らかになる。
木と木をこすり合わせて火を起こすのと、火打石で火を起こす
のとでは技術の発展性に大きな違いがある。
木と木の摩擦による発火は自然の模倣であるがその過程で生成する
乾いた木の粉に注目したところに偉大な進歩への糸口があった。
その乾粉に火打ちの火を落とせば炎に転化できる発見である。
百万年を越える石器づくりの蓄積のなかで育った高度の技術だった。
この乾粉は火打石での発火助材である火口そのものである。
乾粉の素材を変化させたり、火打石を選んだりして、火打の技術は発展していった。
5000年前の石器時代の人体がアルプスの氷に凍結保存されて発見されたアイスマン(タイム誌1992年10月26日号)
(コンラート・シュピンドラー著 畔上司訳『5000年前の男』文春秋社
彼は青銅でなく銅製のナイフを持ち、その持ち物には火打石はなかったが使用によって粉末になった黄鉄鉱とともに火口があった
起こした火をオキの状態で長持ちさせる袋も持参しさらに火口はカリウムリッチ。粉ではないがカリウムはまさに火薬への道。
花火の発見そして最後に火薬の発明へと複雑な技術の発展を生む技術の積み重ねである。 粉から火薬を連想するのはもっともである。
英語で火薬はpowder
長篠よりも5年も前に真宗門徒衆が大阪の石山本願寺で鉄砲を撃ったと本願寺の文書。
岐阜県の家に転がっていてた目の刻みは8分画なのに長野県は6分画だ。九州のは6分画。なんでヤ?
この発見は今では通念になっているが誰も知らなかった。
石臼の精度を云々すれば、抹茶臼にいきつく。
臼の目の数を末広がりの88本にした。
因みに茶一字に人間の煩悩が表現される。
茶の漢字を分解すれば、草冠は十がふたつ、草冠の下は八十八と読める。あわせて百八になる。
島根県仁摩町にある鳴き砂博物館の世界一の砂時計もこの人の手になり「とき」を刻んでいる。
各地のソバ好き・蕎麦ファンの間では知るひとぞしる有名人。
学問を象牙の塔から市井に放り出させた功績は大、偉い!
大晦日誰言うともなくそばを食い・・せきやん
年越しそばを残すと小遣いがたまらないと爺婆ッ子は教わった
大晦日には、年越しそば
「細く長く、来年も幸せをそばからかきいれる」と食べる。
散らばった金箔を蕎麦団子を使って集めたことからお金を集める縁起ものともされる。
新年を明日に控え、心を改め大掃除をすました。
昨日生まれてはじめての正月準備で酒類さえ買った。
注連縄を飾り何時でも来い!と待ちわびている。
除夜の鐘を 108回ならし、百八煩悩を洗い清め新年を迎える行事ももうすぐだ
忘却してはならぬ記憶として大本営がガダルカナル島撤退を決定した日(1942年)
太平洋戦争の敗北を隠し制空権を奪われ内地の空襲が始まることに連なる日である
今夜は除夜の鐘。上野・寛永寺の除夜の鐘が初めてNHKラジオで放送されたのは昭和2年(1927)
k-1はラジオでは放送されないワ〜
今夜また馬一匹を食い散らし せきやん
どちら様もよいお年を!
ご愛読有難う御座いました
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