輝かしき年頭

2005年1月1日
明けましておめでとう御座います。

午前零時を境に過去は清算され、瞬時に無垢の新年が来た時は闇
7時過ぎに雲ひとつない中に真っ赤な太陽が一面を照らした

なんか今日は違う。
神々しく有難い皆さんに分けてあげたい
思っているとタイミングよくNHKラジオ7時40分は
木崎浜からの中倉アナによる全国放送でお裾分け

その新年は雪の日本列島のご様子。
天気博士の倉嶋厚は妻を無くした苦境を乗り越え復活して言う

「大雪になると交通の途絶などによって戸外の音が消えて、
落下する雪片や積雪が音波を吸収し、静けさがもたらされる」

純白無垢で列島は明けた。平穏、この静けさがいい。
どうぞ一年中この感じですごさせてほしいと切に願って
かしわ手を打った。

生かされてることへの感謝と言うべきだが生きて見せると粋がっている。
これがいけない。協調を第一義に矜持し進めなければ前進・発展はない。

あらためてお正月とは何だろうお正月の由来
いつも何気なく過ごしてるお正月、

飾られている左右の門松あるいは門松を印刷した御札、
注連縄に名残がある、

正月とは日本古来のご先祖様を敬う祖霊信仰と結びついている。
稲作民族たる大和人。

年の初めに天からそれぞれの家に降りてくる「歳神様」をお迎えし、五穀豊饒を願う行事
歳神様は稲作の民に関係の深い穀物霊、つまり農耕の神様。

「なまはげ」もその範疇に入ろうが米の北限はもう少し南であったろうから少し異な趣である。
西都で言うところのガモジン?

もともと万物に神が存在する八百万の神を信仰する大和なら当然のこと。
そのベースにはご先祖様を敬う気持ちを持っている感覚があるからだ。

現代日本人は25日にキリスト教を祝い、仏教たる年末の除夜の鐘で反省と希望で収め明け かしわ手をうって初詣の神道を通過する
たった7日間の帰依する宗教観のおうようさ

初詣も、もともとは氏神様の祀られた神社にお詣りしてご先祖様のご加護を願うたもの。

一月一日

明治26年(1993)
作詞:千家 尊福せんげ・たかとみ
作曲:上 真行 うえ さねみち

1、 年のはじめの ためしとて
  終わりなき世の めでたさを
  松竹たてて 門ごとに
  祝う今日こそ たのしけれ
2、初日のひかり さしいでて
  四方にかがやく けさの空
  君がみかげに たぐえつつ
  あおぎ見るこそ とうとけれ

上 真行は宮内省楽師 兼 東京音楽学校教授。

千家 尊福は出雲大社の大宮司、伊藤博文より引き立てられ東京府知事貴族院議員男爵西園寺内閣1908年に法相。

天皇家は伊勢神宮を奉じている。対極くする出雲神社
過去に大きな論争があった。

祭神論争と大社教特立
教導職は神仏別々に布教することになったので、神道をもって国民を導くために全国の神道家によって神道事務局が設けらた。
神殿にお祀りする神をめぐって論争「祭神論」が起こる。

尊福は従来の造化三神および天照大御神のほかに、
幽冥主宰の大国主大神を表明合祀すべしと主張
、反対派はその不必要を唱えて大論争が起こる。

天照大御神が表で、その裏をなしてこれをお助けしているのが
大国主大神。

 幽と顕、見える世界と見えざる世界、生と死、
これらをひとつにして安心立命の道を希求すべしとする
「幽顕一如」の精神

神道界を伊勢派と出雲派に二分して空前の論争。
  
この祭神論の神学・教学論争は容易に決着がつかず、明治14年の勅裁によって政治的におさまる、

政府は神社を他の一般宗教としての取り扱いを改め、
明治15年1月「神官教導職分離令」を発布、

神官が教導職を兼ねることを禁止し、神社の神主の布教活動を禁じ
神官は神社の祭祀外の宗教活動が制限された。

鳥・酉年 今年は羽ばたく年、乙(きのと)酉(とり)。
今年一年どうなるか。

「乙」は草木の芽が曲がりくねったさまを表し、「酉」は酒がめの中でこうじが発酵しつつある様子を示すという。

新芽が出たものの伸長を妨げるものがあるので、じっと機が熟すのを待つ年らしい。

高島易によれば一白水星はいわば大吉だが
私は四緑木星で例えれば小吉

方角的には東南。
東に昇った太陽が南に向かって進行する姿と言う。

五行で言えば木性。季節は陽春時刻は午前7時から11時
成熟した木ゆえに風や大気の影響を大いに受ける事、大なもの。
 
今年の景気はどうか。問題はやはりデフレが止まるかどうか。そして日銀がいつゼロ金利・量的緩和政策を転換するかである。

 大方の見方では秋以降に消費者物価がプラスに転じてようやく
デフレ脱却が始まる。

お屠蘇をいただく「白神山地の四季」
米は美山錦で秋田大曲の産と成る。八重寿銘醸のもの

遠くに古来の日本が見えてくる。
頭に赤い色を持ち、黒が縁取る、通常1メートル50センチぐらいに見えるが羽を広げると2メートルを超える白い清楚な姿。
黒と赤と大きな白の丹頂鶴

ラジオでは丹頂の現地ルポ

釧路平原・根室は氷点下7度130羽飛来してる鶴居村からだ。
富士山に丹頂だが、大正の終わりに絶滅が叫ばれた。
保護政策で現在は860羽になった、

ツルと言えば鹿児島県出水平野だ。
28日、丹頂の幼鳥1羽の飛来が確認されたと報じられた。
飛来は37年ぶり。

丹頂は中国東北部で繁殖し朝鮮半島などで越冬。
出水に来るツルは全部で7種。丹頂訪れた今季は既に6種。
残るはソデグロヅルだけらしい。
「酉(とり)年の新年を飾る“七福神”がそろうとすれば行って見たい」。

戦後60年のとしである。戦争も敗戦もはるかに遠い幻影状態
それもそうだ。人口の4人に3人が戦後生まれである。

それでも、戦後はなかなか終わらない。
隣国朝鮮・北朝鮮・中国と摩擦が増大してきている。

広島・長崎原爆投下60年=1945年8月。
 終戦60年=1945年8月

?日露戦争終結(ポーツマス条約)100年=1905年9月
?日清戦争終結(下関条約)110年=1895年4月

がおおきな記念日、ロシヤがやってくる。
北方四島には触れそうもしないプーチン。

?閔妃暗殺事件110年=1895年10月  

李王朝の皇后を惨殺したが関係者は無罪となり
後のハルピン駅の伊藤博文暗殺につながる。

?第二次日韓協約(乙巳保護条約)締結100年=1905年11月。

?国連創設60年=1945年4月。

?バンドン会議50年=1955年4月

バンドン宣言
地震で揺れるインドネシアのバンドンで開かれたアジア・アフリカ会議で採択された平和十原則。
中国・インドが前年に採択した平和五原則(領土と主権の尊重、相互不可侵、内政不干渉、平等・互恵、平和共存)をほぼ取り入れ、国連憲章の尊重や国際紛争の平和的解決などを加え日本がアジアに復帰した年。

?日韓基本条約締結40年=1965年6月

インドネシア・スマトラ島沖地震(マグニチュード9・0)により、
地球の1日の長さが100万分の3秒変化し、地軸の位置が約2センチずれた可能性があると米地質調査所のケン・ハドナット博士の報告を28日読売紙面でみた。

自然を畏怖する心無くして生きてる地球は存続しない。
太陽光発電の普及で何とか温暖化阻止の一助になよう鷹邁進したい。

今年は地球博で名古屋の年か。

爺ゆえ礼儀知らずでご不快をかけましょうが、
皆様にはお心広く
今年もどうぞよろしくお願いいたします。  

コメント

お気に入り日記の更新

最新のコメント

日記内を検索