初夢
2005年1月2日初夢はカストリ雑誌の如くで三回程度で消えてゆくもので記憶にないものが相場のようだ。
見た夢を忘れないように枕もとにノートにペンでもおいて素早く記録しとこうか〜。
記録と言えば他のサイトにリンクをはった。回数が記録されランクになるのでどうぞクリっクをよろしくお願いいたします。
http://blog.with2.net/link.php/34016
この年になっても見たい夢があるがこれが中々で、夢にも出てこない
忘却とは忘れ去ることなり忘れ去らずして忘却を語る・悲しさよ?忘れてる!どうりで夢を覚えていないはずである。
元旦の夜に見る夢、または正月2日の夜に見る夢を初夢と言うわけだが、落語の初夢の噺では七福神とかいくつかある
、
縁起が良い順に一富士、ニ鷹、三茄子、がいい夢のチャンピオン。
これにはその後の4以降がある。
四扇、五煙草、六座頭(坊主頭)と言うそうだ。
いまだこれらの夢を一度も見たことがないので今夜は念じて見てみたい。
何故こうなったかは諸説あるようである。
一番は「無事に(富士山)高く(鷹)成す(なすび)」
一説には駿河の国のことわざで駿河名物を並べているともされている。(広辞苑)、
駿河路や花橘に茶の匂い” 芭蕉
この句からすると元禄のころ、すでに茶とミカンがつくられていたことを示す句である。それにしては、
清水の次郎長とお茶が入っていない。
静岡・浜松市内の町名は半端じゃない
茄子町は「なす町」でなく「なすび町」。橋にも「なすびばし」がある
徳川家康にからんだ別の説
家康が駿府にいた頃、三保に遊びに行ったとき4月だというのに茄子がなっていたので、これは珍しいと思い買おうとした所
、ものすごい値段を言われた。
その時「駿府で高い物は、富士山と愛鷹山(鷹)だけと思っていたが、茄子も高い物の一つだ」と言った事がこういわれるようになる。
仇討ちから来ているとのいい方もある。
一富士=富士の裾野仇討ご存知曾我兄弟の仇討ち
二鷹 =は大石内蔵助。大石家の家紋が鷹だったから
三茄子=「事を成す(なす)荒木又右衛門の仇討ち」
昔は仇討ち果たそうと諸国に旅に出ても、実際は仇相手に巡り会うことは稀なこと。
あくまでも、落語、講談、浪曲のせかいでほとんど敵に出くわす前になくなっている。
初夢の「一富士、二鷹、三なすび」は、仇に会えて見事に仇討ちを果たせた「幸運」にあやかろうと言うもの。
「茄子」は荒木又右衛門、渡辺数馬の仇討ちの場所が茄子の産地だったと言う。
鳥取駅の近くに荒木又右衛門のお墓がある。併設された資料館の中には、その時使われた刀や鎖帷子などが展示してある。
本郷の本駒込そのものと言う説がある。
本郷通りの上富士前交差点からおよそ三百メートルの富士神社。
地元の者が「お富士さん」と呼ぶ規模の大きい祭り。
そして本駒込には昔、将軍が鷹狩りで飛鳥山周辺を訪れた際に泊まる別荘があった。これが二鷹。三なすびというのは本駒込が江戸で唯一のナスの特産地だったからだという
なすのふる里は、インドのベンガル湾からマレー半島にかけての地域で、有史以前から栽培されていた
その後五世紀に中国へ、さらに十三世紀頃にヨーロッパへと広がりる
奈良時代に中国との文化交流がもとで渡来したことから
「奈須比」と呼ばれ、既に栽培されていたという記録があるほど歴史の古い、代表的な果菜類。
当時の舶来の野菜は高貴の人たちだけが口にでき、そうした人々の中でも人気の高い野菜
、
「本草和名」や「倭名類聚抄」といった書物の中に「茄子」の文字がある。
庶民がなすを口にするようになったのは江戸期
秋なすを嫁にくわすな これはおいしい秋なすを嫁に食べさせてならないという姑の嫁いびりのことわざではない。
子を宿した嫁が、おいしい「秋なす」を食べ過ぎて、体を冷やしてはいけないという姑の愛情。
初夢で一に武富士、二はニコス、三、アコムを見た人はチョットあぶない!お金借りすぎ!。
どうしたら夢が見えるのか。
睡眠には浅い眠りのレム睡眠と、深い眠りのノンレム睡眠の二種類は周知のとおり。
現在では、どちらの睡眠の際にも夢を見ることがわかっているが、その内容を思い出す率はどちらか。
レム睡眠の方が高いそうである。
初夢として覚えていたいとすれば、レム睡眠の状態の環境を維持すればいいのである。睡眠中は、ノンレム睡眠とレム睡眠が交互に来ている。
レム睡眠は寝入ってから80分ぐらい後に現われ、10分程度続く
この後、再びノンレム睡眠が始まりその周期を2〜4回繰り返す。
夢は思考の延長と言う精神医学や心理学。
それによれば眠に入る直前の会話や考え事などが夢に影響を与えるそうだ。
ということは、元旦の夜に、家族や友達と見たい夢のことを語り合ったりすれば、その夢が見られる確立は高まる
もうこっそり枕の下に写真などを入れておく必要はないようだ、
布団に入ってから、そのことを考えつつ眠ればいいのである。
夢を覚えていられるかはちょっと問題。
目覚めた瞬間は明確に覚えていて、
「いい夢だったから忘れないようにしよう」と念じても、はっきり目覚めたときには忘れていることが多い
ぐっすり眠って疲れをとるための寝具が紹介されている。
敷き布団 を「柔らか〜い」布団で眠ると、背中やお尻が重たく、脚やウエストなどが軽いので人間の自然な立姿勢とは異なった不自然な寝姿勢となる。
「やわらか布団」より「せんべい布団」の方がマシ。
もちろん固すぎてもダメ。背中とお尻だけが布団に当たり、腰が浮いてしまう。
新しく購入するなら背骨のS字カーブが2〜3cmに保てる「適度な固さ」の布団がいいそうだ。
掛け布団 は睡眠中の人間は体温が奪われやすいので、熱の発散を防ぐものがいい。布団の中が30〜33度に保てるものがベスト。
枕 は頭をのせた時、敷き布団から2〜3cmと、低くてやわらかめの方が安眠しやすい。枕は好みが大きく分かれることも多いので自分が安眠できる枕を選ぶのがいい。
高さの他に重要なのが、放熱・放湿性。ぐっすり眠れる条件は
「頭は涼しく、手足は暖かく」である。
熱のこもりやすい枕は避けたい。
夢の語らいは良寛につきる。
君にかく あい見ることの うれしさも まださめやらぬ
夢かとぞおもふ (貞心)
ゆめの世に かつまどろみて夢をまた かたるも夢よ
それがまにまに (良寛)
貞心尼の歌で、彼女は、真実にあるものと夢の世界とを区別したうえで、自分が今経験していることが夢でないことを願っている。
これに対して、良寛の返歌は夢も実在も区別していない。
至高の実在に触れているのだと良寛。
男と女の情感の温度差。げに女は怖い
古来より日本人は「夢見」にうるさい民族であった。
夢の吉凶に一喜一憂して、良夢をみよう願うのは今も昔も変わらぬ。
「なかきよのとをのねぶりのみなめざめ なみのりぶねのをとのよきかな」
(長き世のとをの眠りのみな目覚め 波乗り船の音のよきかな)という回文を書いた物を枕の下に敷くというもの
もうひとつは悪い夢を食べてくれるという獏(ばく)の絵、字を書いた紙を枕の下に敷いて寝る。
これらは七福神が宝船に乗り込んだおめでたい絵になった
せめて夢の中だけは幸せでいられる。
さ〜いい夢見よっと。
見た夢を忘れないように枕もとにノートにペンでもおいて素早く記録しとこうか〜。
記録と言えば他のサイトにリンクをはった。回数が記録されランクになるのでどうぞクリっクをよろしくお願いいたします。
http://blog.with2.net/link.php/34016
この年になっても見たい夢があるがこれが中々で、夢にも出てこない
忘却とは忘れ去ることなり忘れ去らずして忘却を語る・悲しさよ?忘れてる!どうりで夢を覚えていないはずである。
元旦の夜に見る夢、または正月2日の夜に見る夢を初夢と言うわけだが、落語の初夢の噺では七福神とかいくつかある
、
縁起が良い順に一富士、ニ鷹、三茄子、がいい夢のチャンピオン。
これにはその後の4以降がある。
四扇、五煙草、六座頭(坊主頭)と言うそうだ。
いまだこれらの夢を一度も見たことがないので今夜は念じて見てみたい。
何故こうなったかは諸説あるようである。
一番は「無事に(富士山)高く(鷹)成す(なすび)」
一説には駿河の国のことわざで駿河名物を並べているともされている。(広辞苑)、
駿河路や花橘に茶の匂い” 芭蕉
この句からすると元禄のころ、すでに茶とミカンがつくられていたことを示す句である。それにしては、
清水の次郎長とお茶が入っていない。
静岡・浜松市内の町名は半端じゃない
茄子町は「なす町」でなく「なすび町」。橋にも「なすびばし」がある
徳川家康にからんだ別の説
家康が駿府にいた頃、三保に遊びに行ったとき4月だというのに茄子がなっていたので、これは珍しいと思い買おうとした所
、ものすごい値段を言われた。
その時「駿府で高い物は、富士山と愛鷹山(鷹)だけと思っていたが、茄子も高い物の一つだ」と言った事がこういわれるようになる。
仇討ちから来ているとのいい方もある。
一富士=富士の裾野仇討ご存知曾我兄弟の仇討ち
二鷹 =は大石内蔵助。大石家の家紋が鷹だったから
三茄子=「事を成す(なす)荒木又右衛門の仇討ち」
昔は仇討ち果たそうと諸国に旅に出ても、実際は仇相手に巡り会うことは稀なこと。
あくまでも、落語、講談、浪曲のせかいでほとんど敵に出くわす前になくなっている。
初夢の「一富士、二鷹、三なすび」は、仇に会えて見事に仇討ちを果たせた「幸運」にあやかろうと言うもの。
「茄子」は荒木又右衛門、渡辺数馬の仇討ちの場所が茄子の産地だったと言う。
鳥取駅の近くに荒木又右衛門のお墓がある。併設された資料館の中には、その時使われた刀や鎖帷子などが展示してある。
本郷の本駒込そのものと言う説がある。
本郷通りの上富士前交差点からおよそ三百メートルの富士神社。
地元の者が「お富士さん」と呼ぶ規模の大きい祭り。
そして本駒込には昔、将軍が鷹狩りで飛鳥山周辺を訪れた際に泊まる別荘があった。これが二鷹。三なすびというのは本駒込が江戸で唯一のナスの特産地だったからだという
なすのふる里は、インドのベンガル湾からマレー半島にかけての地域で、有史以前から栽培されていた
その後五世紀に中国へ、さらに十三世紀頃にヨーロッパへと広がりる
奈良時代に中国との文化交流がもとで渡来したことから
「奈須比」と呼ばれ、既に栽培されていたという記録があるほど歴史の古い、代表的な果菜類。
当時の舶来の野菜は高貴の人たちだけが口にでき、そうした人々の中でも人気の高い野菜
、
「本草和名」や「倭名類聚抄」といった書物の中に「茄子」の文字がある。
庶民がなすを口にするようになったのは江戸期
秋なすを嫁にくわすな これはおいしい秋なすを嫁に食べさせてならないという姑の嫁いびりのことわざではない。
子を宿した嫁が、おいしい「秋なす」を食べ過ぎて、体を冷やしてはいけないという姑の愛情。
初夢で一に武富士、二はニコス、三、アコムを見た人はチョットあぶない!お金借りすぎ!。
どうしたら夢が見えるのか。
睡眠には浅い眠りのレム睡眠と、深い眠りのノンレム睡眠の二種類は周知のとおり。
現在では、どちらの睡眠の際にも夢を見ることがわかっているが、その内容を思い出す率はどちらか。
レム睡眠の方が高いそうである。
初夢として覚えていたいとすれば、レム睡眠の状態の環境を維持すればいいのである。睡眠中は、ノンレム睡眠とレム睡眠が交互に来ている。
レム睡眠は寝入ってから80分ぐらい後に現われ、10分程度続く
この後、再びノンレム睡眠が始まりその周期を2〜4回繰り返す。
夢は思考の延長と言う精神医学や心理学。
それによれば眠に入る直前の会話や考え事などが夢に影響を与えるそうだ。
ということは、元旦の夜に、家族や友達と見たい夢のことを語り合ったりすれば、その夢が見られる確立は高まる
もうこっそり枕の下に写真などを入れておく必要はないようだ、
布団に入ってから、そのことを考えつつ眠ればいいのである。
夢を覚えていられるかはちょっと問題。
目覚めた瞬間は明確に覚えていて、
「いい夢だったから忘れないようにしよう」と念じても、はっきり目覚めたときには忘れていることが多い
ぐっすり眠って疲れをとるための寝具が紹介されている。
敷き布団 を「柔らか〜い」布団で眠ると、背中やお尻が重たく、脚やウエストなどが軽いので人間の自然な立姿勢とは異なった不自然な寝姿勢となる。
「やわらか布団」より「せんべい布団」の方がマシ。
もちろん固すぎてもダメ。背中とお尻だけが布団に当たり、腰が浮いてしまう。
新しく購入するなら背骨のS字カーブが2〜3cmに保てる「適度な固さ」の布団がいいそうだ。
掛け布団 は睡眠中の人間は体温が奪われやすいので、熱の発散を防ぐものがいい。布団の中が30〜33度に保てるものがベスト。
枕 は頭をのせた時、敷き布団から2〜3cmと、低くてやわらかめの方が安眠しやすい。枕は好みが大きく分かれることも多いので自分が安眠できる枕を選ぶのがいい。
高さの他に重要なのが、放熱・放湿性。ぐっすり眠れる条件は
「頭は涼しく、手足は暖かく」である。
熱のこもりやすい枕は避けたい。
夢の語らいは良寛につきる。
君にかく あい見ることの うれしさも まださめやらぬ
夢かとぞおもふ (貞心)
ゆめの世に かつまどろみて夢をまた かたるも夢よ
それがまにまに (良寛)
貞心尼の歌で、彼女は、真実にあるものと夢の世界とを区別したうえで、自分が今経験していることが夢でないことを願っている。
これに対して、良寛の返歌は夢も実在も区別していない。
至高の実在に触れているのだと良寛。
男と女の情感の温度差。げに女は怖い
古来より日本人は「夢見」にうるさい民族であった。
夢の吉凶に一喜一憂して、良夢をみよう願うのは今も昔も変わらぬ。
「なかきよのとをのねぶりのみなめざめ なみのりぶねのをとのよきかな」
(長き世のとをの眠りのみな目覚め 波乗り船の音のよきかな)という回文を書いた物を枕の下に敷くというもの
もうひとつは悪い夢を食べてくれるという獏(ばく)の絵、字を書いた紙を枕の下に敷いて寝る。
これらは七福神が宝船に乗り込んだおめでたい絵になった
せめて夢の中だけは幸せでいられる。
さ〜いい夢見よっと。
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