良き年に
2005年1月3日風一つない穏やかな陽光の正月三日間である。
もっとも隣県を分ける山々には雪の痕跡がうかがえるので大気は凍て付きこの冬一番の寒さと言う
「ああ〜さむ〜」
お隣の大分鹿児島だけでなく珍しく瀬戸内も含めて雪模様のようだ
「田子の浦ゆうち出て見ればま白にぞ富士の高嶺に雪は降りける」
山部赤人の歌は大和人の心根.
、雪・月・華の象徴たる富士山は霊力を備えた神秘の大和人憧れの山
日ごろ見ることもできない田舎たる九州人は薩摩富士、日向富士で慕った
初夢には今年も現れなかったが少しは近づいたのかもしれない。
高所恐怖症にPTS状態の私の初夢は落語の「愛宕山」の一八状態で谷底に落ちた小判を拾うが如し
ひょっとしたら、いいゆめ・・・掴めるの・・お金・・志ん朝師匠天より教えて〜
こうである、
箱根駅伝をなんか急傾斜の土手から見ている。
崖下のシチェーションは稲穂が掛けてあったり稲穂が刈ってない稲穂の黄金の遠景
なんかズルーっとおちそう・
・あとは・・・わすれた・・
箱根の万丈の山は なんか高千穂のようであり、千仭の谷は今年の状態そのもの厳しさと雄大さ・・・夢のお告げであろうか
憑き物のお祓いをしとかないと大変である。
『箱根八里』
鳥居忱作詞・滝廉太郎作曲
昔の箱根
箱根の山は天下の険
函谷関も物ならず
万丈の山 千仭の谷 。
前に聳え後に支う
雲は山をめぐり
霧は谷をとざす
昼猶闇き杉の並木
羊腸の小径は苔滑か
一夫関に当たるや
万夫も開くなし
天下に旅する
剛毅の武士
大刀腰に足駄がけ
八里の岩根踏み鳴らす
斯くこそありしか
往時の武士
(函谷関も物ならず)
中国河南省北西部の険しい山地にある交通の要所眼前には雲におおわれた山がそびえたつがくらべものにならない
今の箱根
箱根の山は天下の阻 てんかのそ 天下に名高い険しい山
蜀の桟道数ならず
万丈の山 千仭の谷
前に聳え後に支う
雲は山をめぐり
霧は谷をとざす
昼猶闇き杉の並木
羊腸の小径は苔滑か
一夫関に当たるや
万夫も開くなし
山野に狩する
剛毅の壮士 ごうきのますらお
猟銃肩に草鞋がけ かわらじがけ
八里の岩根踏み破る
斯くこそありけれ
近時の壮士 きんじのますらお
明治31年(1898)文部省の中学唱歌の要請で東京音楽学校(現・東京芸術大学)は当時活躍していた文学者たちに作詞を依頼し、作曲は一般公募。
同校研究科に在籍していた滝廉太郎(1879〜1903)は集まった百篇を超える詩の中から 鳥居忱(1854〜1917/東京音楽学校教授)が若者たちへの応援歌として作詞した『箱根八里』を選んで応募する
廉太郎は従兄弟の土屋元作たちとよく芦之湯の宿に避暑に訪れてたので『箱根八里』に触れたとき箱根山の険しさ、雄大さが生き生きと浮かび、歯切れのよいメロディが自然にあふれ出。
明治34年(1901)3月、廉太郎が作曲した 『箱根八里』『荒城の月』含む38曲を収録した『中学唱歌』が発行さる
それから104年余。私が新年に『箱根八里』を詠っている
リンクを張ったら順位が出る
どうぞクリックをお願いいたします。
http://blog.with2.net/link.php/34016
順位は楽しみである。
われらが受けてきた教育環境からは運動会でも1〜8位まで順位があった 最近は順位がない運動会らしい。どうだろ。
見学者と己にもわかるように順番の三角の旗を持たされた
常に屈辱ではあったが諦めの諦観
運動会は村の一大イベント娯楽の全てであった。
貧相な食生活の時期に卵焼きさえ食えるのである
もちろんスタートとかをイメージして
「位置について」「よ〜い」「ド〜ン」を練習した
川原神社の庭とか人目に触れぬとこでして、我が家の庭でも兄貴たちに見届けてもらった。
本番となると走る距離が出てくる故スタートの努力が実らずどうしても末尾の三角の旗しかもらえなかった。
「せきやんちゃんは最初はハエかったネ〜」
昼食の時の隣近所のかたがたの言葉は毎年決まっていたものだ。
餓鬼大将を任ずるものが成績が悪くては仕方がない。
実に情けなく、そのころから、負のDNAがあることを知っていた
、
親父は飛びぬけて速く韋駄天の如しでその名を知られていたほどである、
よって決して運動会にはこなく村民大会の今の西都市全体の大会に出てた記憶がある。
親子リレーか部落対抗のリレーで阿吽の像・阿修羅のごときに
歯を食いしばり走る顔の一度だけ記憶があるだけだ。
思い出すだけで力が入る。
今思うと走ってる人々は若すぎ、親父は明治人。ハンデーがありすぎるワー
結果は覚えてないがあれほど自分以外のことで応援したことはなかろうか。
あの必死の姿は脳裏から離れず、涙が湧いてくる。親父有難う。
我息子はま〜アとして娘は極めつけ遅かった。違う意味で必死に応援してる自分を思い出す
従兄弟たる日高家はそのDNAを受け継いだようで早いっ!たらありゃしない
ドンベで受け取ったバトンを握りトップでテープを切るのである。
わたしの自慢のタネであった。
「アリャァ〜うチン親戚よ〜」意味ネ〜ジャン!
隔世遺伝はなにもメンデルの法則なる言葉を与える必要はない。
私は体験で知っていた。
1〜3等に入賞するとテントの記録係で「白団」「赤団」といって得意げに言って帰ってくる、その誇らしげな顔
絶対評価の通知表の1〜5段階評価も4なんぞがあれば誰かが5のワクに入ったからで自分がはじきだされたのを知っていた。
99点を採っても100点が全員だとすれば自分は5から1になることも知っていたマセタ子であった。
いや!みんな知っていた。
傷つく・登校拒否につながる・楽しい授業
家庭教育もされてない餓鬼に過保護すぎる議論が横行してるのではなかろうか。
学校教育に先生のすることにPTAはそう四六時中、干渉すな!
小学校1〜2年のころは40分?も椅子に座ったまま黒板に集中できようか。
工夫せよ!小学校の先生。
山口の地の息子は大丈夫なんであろうか。
娘は良くぞ教師でなくPCの道を歩いてくれたものぞ。
今度張ったサイトはリンク数に応じて順番が出る。
愛読させていただいてる方の日記を読ませていただいて知り、
1/1日実行してみた。
1000番までしか表示されなく最初は表示されず戸惑った
クリックの数に併せ「せきやん日記」が現れ新着フアイル・コーナーの850番から61番までに成ってた。
5人の方々のクリックがあったお陰である。
実に他愛のないことだがご協力のたわものと思うと素直に嬉しい。
いい福袋をいただいた。
初夢・福袋となれば私も営業の端くれ何かご提供をいたしましょう。いいぞ!太っ腹!・・声援あり?・ほしくない声援・・だったりして
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昔の箱根
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万丈の山 千仭の谷 。
前に聳え後に支う
雲は山をめぐり
霧は谷をとざす
昼猶闇き杉の並木
羊腸の小径は苔滑か
一夫関に当たるや
万夫も開くなし
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箱根の山は天下の阻 てんかのそ 天下に名高い険しい山
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近時の壮士 きんじのますらお
明治31年(1898)文部省の中学唱歌の要請で東京音楽学校(現・東京芸術大学)は当時活躍していた文学者たちに作詞を依頼し、作曲は一般公募。
同校研究科に在籍していた滝廉太郎(1879〜1903)は集まった百篇を超える詩の中から 鳥居忱(1854〜1917/東京音楽学校教授)が若者たちへの応援歌として作詞した『箱根八里』を選んで応募する
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