鬼は外!
2005年2月3日この仕事をやっていると振幅の振れに耐えられないほどの感動に出くわすことがよくある。
今日がそうであった。
サンヨーさんで書類を早朝いただけた。
アポなしでよくぞ対応していただけるものである。
帰りしながいけない。
年寄りはどうにもダメである。動かぬコピー機器のインク補充ができえててないのになんらの反省もない
情報戦が理解できえてない、
この人の限界であろう。
ところがこの人が悩みを一挙に解決してくれる。
神奈川県逗子から宮崎で暮らし始めた方の弟さんは電気会社を経営しておられた方。
私共の工事を応援いただけるようである。
延岡の方をジョイフルを待ち合わせ場所にしてる方に紹介して同行する。
それが・・・・冬虫夏草のお話もある。
知恵者がいて、資金保持者が協力する。
ここに新事業が始まる。
そこに介在するのは、いろんな人たちである。
通常、ネット・ワカーなる元ネズミ講をやってた人たち。
お人よしでの仲介者は稀の筈。どうにも、儲け話にできない、
似合わぬ私の存在である。
しかしながら、このお金持ちさんにして私は信用を得ている。
太陽光発電は信用から始まる。
説得商品でご本人さまの理解を得るには世相柄から、ご紹介を得てから
販売する形が一番効率がいい。
16時約束のため高鍋の方をつれ,都農に向かう。
日向の地よりかの地で経営しておられる方にお会いしてオール電化の組織作り。
優れた形での販売組織である。
万年不況構造にある家具・電気業界。
見て笑うぞ!
通年の安売りチラシ。これで利益率がいい筈がない。
定価販売を常識にした「逆流通革命」の考えにたてばいい。
大川市在住の方らしい。
知人の方が設置されたのはこの組織のやりかたであったんだ!と気付く。
又、かって毛嫌いしているネット・商法の方が熊本の人に会ってほしい
の話も理解できた。
そのとき無碍に断った幼稚さを反省。幅広いスタンス。
22時スナック経営者の都農・新町にご案内さる
ナントこの地は30数年前に私が手がけた家ではないか。○藤○朗さん。
60代過ぎの娘さんが経営者。しばし、花が咲く。
若かりし頃昭和30年代。花の東京・五反田でのOL生活。
その頃の長野・沖縄などの同僚が父の死のとき駆けつけてくれたと言う。
美談に弱く涙腺は大洪水。
歩道をかみ締め歩く。30数年前の私の手がけた仕事の実感を始めて味わう。
遅い時間の「鬼は外!」の声に同頃の子育て風景が浮かび重なる。
微笑ましくもあり、無念さもあり、人生の不可思議さを
重ねた馬齢を深くかしめさせられている。
この試練に負けては成らぬ。
「おにはそと!]
追われた鬼はいったいどこに、行けばいいんだろう。
ずーとおもってた疑問が今実感している立場である。
阿修羅の様相をしてるのであろうか。
明日は春の初めと思えば
なんとなく心騒ぎていかられず 良寛の童心忘れじ。
今日がそうであった。
サンヨーさんで書類を早朝いただけた。
アポなしでよくぞ対応していただけるものである。
帰りしながいけない。
年寄りはどうにもダメである。動かぬコピー機器のインク補充ができえててないのになんらの反省もない
情報戦が理解できえてない、
この人の限界であろう。
ところがこの人が悩みを一挙に解決してくれる。
神奈川県逗子から宮崎で暮らし始めた方の弟さんは電気会社を経営しておられた方。
私共の工事を応援いただけるようである。
延岡の方をジョイフルを待ち合わせ場所にしてる方に紹介して同行する。
それが・・・・冬虫夏草のお話もある。
知恵者がいて、資金保持者が協力する。
ここに新事業が始まる。
そこに介在するのは、いろんな人たちである。
通常、ネット・ワカーなる元ネズミ講をやってた人たち。
お人よしでの仲介者は稀の筈。どうにも、儲け話にできない、
似合わぬ私の存在である。
しかしながら、このお金持ちさんにして私は信用を得ている。
太陽光発電は信用から始まる。
説得商品でご本人さまの理解を得るには世相柄から、ご紹介を得てから
販売する形が一番効率がいい。
16時約束のため高鍋の方をつれ,都農に向かう。
日向の地よりかの地で経営しておられる方にお会いしてオール電化の組織作り。
優れた形での販売組織である。
万年不況構造にある家具・電気業界。
見て笑うぞ!
通年の安売りチラシ。これで利益率がいい筈がない。
定価販売を常識にした「逆流通革命」の考えにたてばいい。
大川市在住の方らしい。
知人の方が設置されたのはこの組織のやりかたであったんだ!と気付く。
又、かって毛嫌いしているネット・商法の方が熊本の人に会ってほしい
の話も理解できた。
そのとき無碍に断った幼稚さを反省。幅広いスタンス。
22時スナック経営者の都農・新町にご案内さる
ナントこの地は30数年前に私が手がけた家ではないか。○藤○朗さん。
60代過ぎの娘さんが経営者。しばし、花が咲く。
若かりし頃昭和30年代。花の東京・五反田でのOL生活。
その頃の長野・沖縄などの同僚が父の死のとき駆けつけてくれたと言う。
美談に弱く涙腺は大洪水。
歩道をかみ締め歩く。30数年前の私の手がけた仕事の実感を始めて味わう。
遅い時間の「鬼は外!」の声に同頃の子育て風景が浮かび重なる。
微笑ましくもあり、無念さもあり、人生の不可思議さを
重ねた馬齢を深くかしめさせられている。
この試練に負けては成らぬ。
「おにはそと!]
追われた鬼はいったいどこに、行けばいいんだろう。
ずーとおもってた疑問が今実感している立場である。
阿修羅の様相をしてるのであろうか。
明日は春の初めと思えば
なんとなく心騒ぎていかられず 良寛の童心忘れじ。
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