北郷のよる
2005年2月25日岸本旅館は北郷町唯一の宿泊施設。ふすまを取り除くと8畳の間が4部屋も続く広さ。
それを取り囲む長き廊下は宮崎版松の廊下ではないか。
華やかりし頃の隆盛ぶりが偲ばれる。
道路網の整備、モ−タ−リゼ−ション化は偏狭の地からの日帰りを実現させたが宿泊業を衰退させた。
木造総二階建ての建物は古めかしいどこでなく「八つ墓村」のセットを思い出させるほどである。
一本刀土俵入りの駒方茂平と二階にいるオタカの場面そのもの。
それにしても襖ひとつの開け閉めでこんなにも変化する住宅のすばらしさは現代団地族のマイホ−ムには取り入れてない。
教育問題がとり立たされているが、この地域には無縁であろう。子供駆け込みの看板一つ見ない。
その子供がいないといえばそれまでだが。
コレイジョウノブラックはない。
現代人はビジネス風がいいのかもしれない。
昨日は配線工事の準備と巨大スクリ−ンの基礎工事で終了した。
途中、銀行もないため、宮崎銀行のある日之影に降りた。
行ったでなく、降りたのである。
日之影は良くなずけたものだ。山峡の合間にある。
クロサワ映画の志村喬もこの町で青春時代を過ごした。
鉱山生活での父との関係からである。
日之影駅・温泉。駅舎が温泉である。そりゃきになりますわ〜
列車を降りればすぐ湯けむり。
浴室からは五ヶ瀬の清流が見える。
この清流が英国人ハンタ−にしてフライ・フィツシングを日本に初めて経験させることとなった。発祥の地
小さい頃慣れ親しんだ擬似ハリによる釣りである。
菜の花の頃は黄色とか季節により擬似ハリの色を変えると良くつれた。
動物性タンパク質の唯一の補給形態でもあった。
育った山間の地まで鮮魚は届かない時代。
いたってのどかな物流形態が世間を覆っていた。
隔世の感の24時間コンビニ。
貪欲な資本は金の匂いがしないのか、このあたりにはそれさえ無縁である。
泉質はほんの少な目の明礬湯程度だが雰囲気がカバ−してくれる。
露天風呂からは列車がすぐ下に見える。
・・・チュ〜ことは列車からは至近距離で私の粗末なものが丸見えではないか。
慌てて視界から消える程の湯船に隠れる。人様に晒すべき誇れる一物ではない。
昭和46年であったか、この駅が終点であった。
国鉄の指揮は下関に総本部があった。
田中角栄の肝いりでできた鉄道建設公団もしかり。
下関・大和町から滋賀県湖西線や全九州を指揮、司った。
日之影線の難関は三田井のトンネル。
いえ!工事後の地域の渇水補償である。
35年前の仕事の記憶が鮮明に残る日之影駅。
今、静かにメ−カ−の方と静かに湯船に感慨深げ。
悠久のときは流れる。
「御幣」なる天保年間よりある焼酎が今夜のダレヤメにご指定。
これもなんか記憶にある焼酎である。
チビリとやりながら将棋を指した最高のひととき。
山中ゆえ見えぬように、天文台と観察室をつなぐケ−ブル6本を被覆した。
削岩機でコンクリ−トを破壊ケ−ブルを埋設してうまく隠した。
明日からスクリ−ンの工事を残してで終了。
昨日の手も切れんばかりの寒さと違い今日は温暖な気温。
雨上がりの雲海を従えての山頂は実に痛快。
道路管理のあり方ね悩んだ日でもあった。
早朝現場に向かうと臨時の交通止め。
甲斐建設はまるで法事国家での交通規制の仕方を知らない。
無理強いに全面交通止めを突破する。
まるで話しにならぬのである。
夜は9時過ぎに山を降りる。
峰峰を走るのを、六峰街道と呼ぶ。ス−パ−林道のことであろう。
それが走りも走ったりのところでの道路決壊。
元の天文台のところまで戻る。
この地点に前面交通止め、道路決壊の表示板がいろう。
農協で銀行を聞くと20〜2・3才の若きお嬢さんが
「すぐそこです」と諸塚・椎葉を教えてくれる。
感覚がまるで違う。
ここの人たちののんびりさは理解できない。
鈍行列車で明日に備える。
職人さんはもう一泊。
引き返し疲れきっての運転しっぱなしのメ−カ−の方。
北郷の飯屋にいる。
ところがどうだ。!わがスタッフと偶然のであい。
ここには秘密がまるでない。
もちろん娯楽施設もそうである。
それにしては集落放送局があるIT先進地域であるという。
田舎ですむには心構えがいるようである。
http://blog.with2.net/link.php/34016
それを取り囲む長き廊下は宮崎版松の廊下ではないか。
華やかりし頃の隆盛ぶりが偲ばれる。
道路網の整備、モ−タ−リゼ−ション化は偏狭の地からの日帰りを実現させたが宿泊業を衰退させた。
木造総二階建ての建物は古めかしいどこでなく「八つ墓村」のセットを思い出させるほどである。
一本刀土俵入りの駒方茂平と二階にいるオタカの場面そのもの。
それにしても襖ひとつの開け閉めでこんなにも変化する住宅のすばらしさは現代団地族のマイホ−ムには取り入れてない。
教育問題がとり立たされているが、この地域には無縁であろう。子供駆け込みの看板一つ見ない。
その子供がいないといえばそれまでだが。
コレイジョウノブラックはない。
現代人はビジネス風がいいのかもしれない。
昨日は配線工事の準備と巨大スクリ−ンの基礎工事で終了した。
途中、銀行もないため、宮崎銀行のある日之影に降りた。
行ったでなく、降りたのである。
日之影は良くなずけたものだ。山峡の合間にある。
クロサワ映画の志村喬もこの町で青春時代を過ごした。
鉱山生活での父との関係からである。
日之影駅・温泉。駅舎が温泉である。そりゃきになりますわ〜
列車を降りればすぐ湯けむり。
浴室からは五ヶ瀬の清流が見える。
この清流が英国人ハンタ−にしてフライ・フィツシングを日本に初めて経験させることとなった。発祥の地
小さい頃慣れ親しんだ擬似ハリによる釣りである。
菜の花の頃は黄色とか季節により擬似ハリの色を変えると良くつれた。
動物性タンパク質の唯一の補給形態でもあった。
育った山間の地まで鮮魚は届かない時代。
いたってのどかな物流形態が世間を覆っていた。
隔世の感の24時間コンビニ。
貪欲な資本は金の匂いがしないのか、このあたりにはそれさえ無縁である。
泉質はほんの少な目の明礬湯程度だが雰囲気がカバ−してくれる。
露天風呂からは列車がすぐ下に見える。
・・・チュ〜ことは列車からは至近距離で私の粗末なものが丸見えではないか。
慌てて視界から消える程の湯船に隠れる。人様に晒すべき誇れる一物ではない。
昭和46年であったか、この駅が終点であった。
国鉄の指揮は下関に総本部があった。
田中角栄の肝いりでできた鉄道建設公団もしかり。
下関・大和町から滋賀県湖西線や全九州を指揮、司った。
日之影線の難関は三田井のトンネル。
いえ!工事後の地域の渇水補償である。
35年前の仕事の記憶が鮮明に残る日之影駅。
今、静かにメ−カ−の方と静かに湯船に感慨深げ。
悠久のときは流れる。
「御幣」なる天保年間よりある焼酎が今夜のダレヤメにご指定。
これもなんか記憶にある焼酎である。
チビリとやりながら将棋を指した最高のひととき。
山中ゆえ見えぬように、天文台と観察室をつなぐケ−ブル6本を被覆した。
削岩機でコンクリ−トを破壊ケ−ブルを埋設してうまく隠した。
明日からスクリ−ンの工事を残してで終了。
昨日の手も切れんばかりの寒さと違い今日は温暖な気温。
雨上がりの雲海を従えての山頂は実に痛快。
道路管理のあり方ね悩んだ日でもあった。
早朝現場に向かうと臨時の交通止め。
甲斐建設はまるで法事国家での交通規制の仕方を知らない。
無理強いに全面交通止めを突破する。
まるで話しにならぬのである。
夜は9時過ぎに山を降りる。
峰峰を走るのを、六峰街道と呼ぶ。ス−パ−林道のことであろう。
それが走りも走ったりのところでの道路決壊。
元の天文台のところまで戻る。
この地点に前面交通止め、道路決壊の表示板がいろう。
農協で銀行を聞くと20〜2・3才の若きお嬢さんが
「すぐそこです」と諸塚・椎葉を教えてくれる。
感覚がまるで違う。
ここの人たちののんびりさは理解できない。
鈍行列車で明日に備える。
職人さんはもう一泊。
引き返し疲れきっての運転しっぱなしのメ−カ−の方。
北郷の飯屋にいる。
ところがどうだ。!わがスタッフと偶然のであい。
ここには秘密がまるでない。
もちろん娯楽施設もそうである。
それにしては集落放送局があるIT先進地域であるという。
田舎ですむには心構えがいるようである。
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