月始め

2005年3月1日
3月1日。4箇所にあるカレンダ−が一斉に替わった。
パソコンの横にあるカレンダ−がいやがおうにも気になる。

時の人たる鹿内美津子女史の隠れ勤めるボストン美術館の印象派名画コレクションだからである。

オ−ギュスト・ルノア−ルのブ−ジブアルのダンスが表紙を飾っている新日本石油謹呈のもの。
ブ−ジブアルはパリのセ−ヌ川のほとり。

中学時代から見つづけたこの絵。
女性のほうは画家ユトリロの母となるシュザンヌ・バ−アラドン女性の白い服と男性の青黒い服の対象。

麦藁帽子にサンダルと気取りのないカジュアルさの男性ととフアッションを楽しむ女性。

美術の女子先生・山本先生のいじめられなきながらの授業を思い出す。
未発達の頭脳のためであった。

その頭脳であるが前頭部の海馬は退化せず逆に成長し、右は鬱で左が躁状態という話をNHK・ラジオ深夜便の4時半ごろからやっていた。
医学部の教授がNHKのテレビでの話を含め説明していた。

3時からの昭和20年代のナツメロに集中していたせいもあり、4時からのパプア島の1998年津波支援の話や
海軍10万人が侵略していた戦時の爪あと残るラバウルの話に集中しすぎていたのである。

とくに深夜便の中で感慨深げになったことに寝台列車二本の廃止があった。

乗り継ぎで「あさかぜ」(東京〜博多)、「さくら」(東京〜長崎)を利用したことがある。

大阪発の同じ区分けの「彗星」(大阪〜鹿児島)に乗り継ぐためでもあった。

個室寝台や食堂車を兼ね備えたこれらは昭和31年から走り続けた。ちょうど日本の高度成長時期に重ねあうことができる。

実はウソついてます。ランク下の急行・・高千穂(東京〜宮崎)が普通の乗り物でした。

特急は急行と比較して料金が・・・・・
よって27時間もかけて疲れきって急行高千穂に乗ってました。

ベットは三段で実に狭まぐるしかったが旅の見知らぬ人との会話で、夜を明かす魅力があった。
列島は全員が仲間意識で働きぬいてる熱気があった。

「あさかぜ」戦後初の寝台特急としてのビジネスをささえた歴史をもつ。

ブルートレインの名称はずいぶん後からついてきたネ−ミングと思う。当時はそう呼んでなかった。

30パ−セントの乗車率で廃止なら仕方ない。
新幹線。飛行機の旅行が主流。

ヨ−ロッパ諸国をつなぐ列車のたびは風情がある。
言葉の不自由を乗り越え話し出す。
スピ−ド化にない旅情からくる人間的感情の豊かさは育たぬであろう。民族に未来はあるのか。

日向の工事にいくも元請さんの説明不足や誠実な対応がないために工事できずに帰ってくる。1軒は初めてご協力の方で終了。

宮崎の現地説明のため延岡の方も社長さんが都城に行かれたため帰られる。辛いのはお互い様である。ガマン!比べ。

花○サンに仕事依頼。なんか謀略じみている。
ゆワイタ−の所長はいい。サンヨ−は不在。

中野さんは今年初めて来る。。黒木さんも来る。
なんらの侘びひとつなく、人間性を疑う。
オ−ル電化の研究をふかめる。。

たよりの甲斐さんも2〜3月を通じてはじめて付き合う。
性格には2回目。さすがに交流が深い人脈。

どうなることやら。少しずつ動き始めている。テェカ!

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