懺悔の行脚

2005年3月9日
飽食の時代の最大関心事は健康になるのであろう。
本来、平和があっての自己の存在であるはずだが政治的人間の存在を否定続けてきた国会意思の貫徹により、本末転倒で毎日を生きてる人間を作り出してきた結果である。

国家体制維持の手法が国家形態意識をきわめて欠落させた矛盾である。軟弱なる民族ナショナル制が偏見なる民族制を高揚させ、街宣車の日常を生み出した。

思想的揺さぶりは言論機関を手始めに教育機関を制覇した。
東大一辺倒に変節させ、若き情熱をその方向に誘導させた。

しかし経済至上主義の政治構造は多くのひずみを生み出してくる。
今日の社会的事件の諸現象はひとえにこの社会構造に由来する。

さて青春時代の残滓を青き香りと楽しみながらも健康人たる面々は4人そろって一路都城へ。

お会いした、敬愛する人は何を勘違いしてるのか今までの物売りと勘違いしている。これではいたたまれない。

延岡からこの距離を移動して会えたのは僅かに唯一この人のみである。

宮崎は南北に長い地理的特徴にあり、南に90KM西に走って60KMで鹿児島と分ける霊峰霧島連山を背景にした都城にいたる。
壮大なるボランテア行為!

この社会に経済的思考・考慮なしに生きてる組織はありえないし、存在するはずがない。

拝金主義の終末的状況下で存在するはずがない。
行動の修了時に考えたのであるが壮大なる時間のムダを痛く感じ取った。

責任での注文はいかにも不順なる、目的。
どうにも義理と人情は生活の邪魔やも知れぬ。

行動中に流れる曲は心地よくひばり、バタヤン。戦前ナツメロの大月みやこ。
ノスタルジ−で車窓をみれば40年前の変わらぬ自己を見出しえる。

変わったものと変わらぬもの。
変節したのを思想とか行動パタ−ンとかで追尾してもまったく同じ。
4人のメンバ−が入れ替わってるだけ。

オールナイトニッポンの局の看板番組で、元祖・深夜放送のリスナーでもあったんであろう。

体制ない文化での結節した否定の対象でもあったがとにかく聞いた。今で言う癒しの時間であったのだろう。

この日記のアクセスの第一たるニッポン放送である。
社長は同じ五十代の、亀渕昭信。「カメちゃん」である。パーソナリティーを務めていたころ(昭和40−48年)
ビートルズ全盛時代で新しい音楽・社会への欲求の圧倒的青春群像。車内での話は止まらない。

同じ人気パーソナリティーだったアンコーこと斉藤安弘アナとリリースした「水虫の唄」が大ヒットした。

テレビは一家に一台の時代で、チャンネル権などない学生は深夜放送にかじりついた。

思想改革の本丸電波を聞きながら社会改革なるあい矛盾は弁証法との出会いで解決対立物の統一であり、螺旋状的発展である。

最も落ちこぼれ受験生グル−プに分けられて層であったやも知れぬ。
ラジオを若者のメディアとして確立させたのは良しきにつれ、悪しきにつれこの二人の力だった、

受験戦線の脱落者は社会改革の運動の連鎖の波に明け暮れた。

50万貸し金で、ようやく熱く語れた。
まずは議論お昼の行動が生きてるのやも知れぬ。

高鍋の難関工事に着工。無事に終了を祈る。
明日の天候は悪く先行き黒らし。

一昨夜の行動をとった人がドデカイ事をしてくれた。
工事依頼をしてくれたのである。
私の如難をカバ−してくれ、仕事仲間たる百万の援軍の差である。

すぐに昼に現地調査。明日より工事である。
天候に左右されず、収入の読める仕事はいい。

材料持ちも前出しなしであるゆえ、資金繰りがいい。
何とか食いつないでいける矢も知れぬ。

明日は給料日。必死の姿勢が足りないのかも知れぬ。
生活する辛さとグル-プの維持に呻吟する。
また同じことが始まっている。

「やさしさがなければ恋ができず女は語れぬ」とかの布袋様の会話をしたものである。

宮崎では観音様は北に常に鎮座なさる。
妄想が青春してる。
活動の原点青春バンザイ!

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