遽しき

2005年4月10日
どうにも日記に取り組む時間さえとれない。一日遅れの朝である。ほんの少しだけ1時間だけ自由の時間の12日のあさ10日のことを書く微妙さもまた楽しきである。

きめ細かなものにするには師匠と決め込んだジャーナリストの如き動くPCのマックのLC630かデックのHiNote Ultora? で専用リュックを完備させ、いつでもどこでもの体制が必要であると痛感。

10日の朝6時9分発の特急にちりんで一路延岡にむかう。さらに筑紫のくにを車でめざす。
田舎ではJRとか電車の言葉はいまだに定着していないとの私見。

ではなんといってるか今だ田舎では汽車なのである。
田舎では車がないと生活はほぼ成り立たぬ。
国道10号線が昭和45年ごろと同じでなんら交通事情の体系は微動だに変わらぬ交通無策。

それに比して福岡のこの状況変化は何であろうか。
手塚治が描いた近未来の社会がここに存在している。

一定のリズムがゴットン、ゴッツトン心地よい
人為的な機機械音は不快を伴うが羊水の原点音のごとくチャッツプンちゃっつぷんとよくにているやも知れぬ
。車音の騒音では閉口この上もない。
感覚は恐ろしいもので嗜好品たる紫煙とSUNTORY・BOS・PRESSO全体をコーヒー豆が覆っているパッツケージがいい。
ブロンソンよろしく或いはマッツカーサーを彷彿させるキセルをグーッツとくわえたワンポイントの心を和ませること。
嗜好品はこれでなくっつちゃ。

川南、都農初代神武のお船出の地美々津から濃霧。
この地は分岐点であるようだ。

♪♪さ霧消ゆる湊江(みなとえ)の
舟に白し、朝の霜。
ただ水鳥の声はして
いまだ覚(さ)めず、岸の家。

烏(からす)啼きて木に高く、
人は畑に麦を踏む。
げに小春日ののどけしや。
かえり咲(ざき)の花も見ゆ。

嵐吹きて雲は落ち、
時雨(しぐれ)降りて日は暮れぬ。
若(も)し燈火(ともしび)の漏(も)れ来ずば、
それと分かじ、野辺)の里。

情景の移ろい車窓の両脇の朝霧の凄さについ口ずさむ。
歴史的にも大友VS島津。西郷軍VS政府軍とこの地で分けあっつた。
メロデーは凄い彼方にあるものだ。

海にむかっつて、はいつくばっつて家々がむらだっつている。
鎌倉稲村ガ崎の海に向かう高台に文人がこぞっつて集い、くらし、た姿がこの地にもうかがい知れる。
国道10号が丘の上を走り、一直線に北に伸びるにそっつて鉄路も伸びる。
風景は車では味わえぬ趣きで佇んでいる。
この霧では、高千穂、高森峠は抜けきれるか。
まつたくの濃霧。視界不良。日向駅付近もまっつたくの濃霧。
昨日は29度もあっつた言うがこの気にしての異常気象に驚く光景である。お日様は早くも15度ぐらいに位置している。

延岡から相乗りさせていただき一路福岡。
アクロス福岡。会議のみのビルが存在している大都会。
会場費は幾らかかると言うのか。
もっつたいない。が駐車場地下4階を持つ便利さのため選定されるのが都会人。われらの常識は非常識が都会なんである。

研修はじつに楽しく、黙想してて聞いていたが睡魔が正直押し寄せてはいた。

その後西区に空を飛ぶ感覚で飛んでいく。都市高速はまさに手塚治の30年代に描いたとしがそこにある。

ドームをやり過ごし、お客さんたるお家内では歓待を受ける。
ウナギ、百年の孤独の秘酒さえ封切られる。

4KWの太陽光発電の契約が決まる。オール電化も完成である。
風呂、階段と改造もしていただく。

熊本により、午前1時に延岡につく。あさの5時までの時間稼ぎを経てようやく11日のあさ7時まえ宮崎駅。

山○さん宅で工事費を借用させていただき、風呂改造の知恵を借りる。唯一のシンクタンク。

スイスの海軍省・ソ連の文化省という。
ソ連の高官がスイスの高官に
「貴国に海軍省ができたんですって?」と聞く。
これに対しスイス高官は
「お国に文化省があるのと同じですよ」。

この職人さんを遣り上げた方は百戦錬磨。
言葉一つ一つが、重く含蓄がある。
孤立無援の身なれば厚き人情にも頼りっつぱなし。
人生を教えるにはこの人の喋り方をすればいい。

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