辛き日々
2005年4月15日名は体を現すと言い、日本人の道の心に通じている。相撲道、華道、茶道はわかるが果ては、香道まである。
心と体は不即不離、心身一如といいかえられよう。ようするに究極は心のバランスでの健康の保持であろう。
これらの一つを極めれば、そこいらの易者張りの生き様に役に立つやも知れぬ。
わが子に名をつけるに当たり、画数とか強い音弱い音、何冊もの名のつけ方に関する著書を読んだ。
白雲幽石は大内兵衛の著書の随想集。長男の名はその中の漢詩をみ、原文に当たり、我流に読み替え過去の歴史上の人物を調べ名ずけた。
産科医院の退院ギリギリ役所への届出も含めてどうにかの滑り込みで子に名がつき事なきをえた。
名で身を立てる職種はいろいろあるが博識の達人たる作家は我がペンネームには熱い思いがこもっているハズと、思っていたが、どうもすべてがそうでもないらしい。
どちらかといえば手軽にユーモア感覚で付けたものも多い。
直木賞は菊池寛が文筆家の生活困窮と友情から定めたものと記憶している。
芥川賞はスッキリ理解できるが直木賞?誰でフル・ネーム、作品は・・となってしまうのが常人のはず。
三十三が最初の名。年齢であった。三十五才でこれでよいか。と落ち着いた。直木三十五の誕生秘話の本人の弁を読んだことがある。前に書いた三島由紀夫の富士の宿での編集者が決めた語りのようである。
資金繰りに.苦しんでいる状況を自らが生み出し、財布に二枚の札をありがたくおしいただく。
新五千円札の女性初のお札の日銀券の肖像の樋口一葉。本名は奈津で夏子とも書く
一葉はペンネームで、達磨大師が一枚の葦の葉に乗ってインドから中国に渡ったという伝説にちなんだものと地元紙で読んだ。
一葉は二十四年の短い生涯を借金から借金で過ごした。
大師は壁に向かって九年の厳しい座禅で、手も足もないような姿になったという言い伝えも残る。
そこで大師のように「私もおあしがない(お金がない)」としゃれたわけだ。
シーガイヤまえにある、一葉うどんを現地の地名、一ッ葉(ひとつば)うどんとは私はどうしても読めない。
いちよううどんである。四国風で営業方針は三角茶屋方式のセルフで美人ママさんのせいか値段の割りにはうまさを提供してくれる。いでたちもこのようであったのであろうか。
もう一枚は夏目漱石の旧千円札でいまだ宮崎の地では多く出回っている。
漱石は、本名は金之助。中国・晋の時代、詩人孫楚の漱石枕流の故事が由来。
「石に枕し流れに漱(くちすす)がん」と言うべきを、
「石に漱ぎ流れに枕す」と言ってしまったが孫楚は誤りを認めない。
「流れに枕するのは俗世の言に汚れた耳を洗うためであり、石に漱ぐのは俗人にかみつく
歯を磨くためだ」と強弁。誰かに似て凄き頑固者、漱石は偏屈者という意味のペンネーム。
明治期の文語調から言文一致の現代文にした二葉亭四迷。
文士志望を知った父に「くたばってしまえ」と怒鳴られたのを、そのまま使った。なお、本名は長谷川辰之助これでは目立たない。。
迷惑をかけてるが私自身の給料は出そうもない。
国民金融公庫通称コッキンにいった。限りなき好意を受けての面談。
一昨日の財団はじつに大らかであったが流石にお役所の銀行で手厳しい。
宮銀○口さんは経営のあり方まで含め懇切丁寧な指導でずいぶんと違う
NHKラジオでのジャズを解説するイガイヤイガイの藤岡琢也と同じ姓で優しき言葉の中に刺す言葉を含んでいる。
給料が出てないなどとのところを読まれたらおそらくアウトになろう。この稿を担当さん読んでたら片目読みにしてください!
貧すれば鈍すまだまだ恥を矜持し、気高く武士は食わねど・・で生きて生きたい。
ロンドンの下町の貧乏育ちがペ〜ソス溢れた名優名監督のチャップリンとなった如く人生の肥やしとしたい。;「町の灯」だったか、年老いた男が盲目のバレリ−ナに微笑みささやく。
;「人生は素晴らしい、大事なのは勇気と感動である。」
どん底で人間の表裏が見えてくるのは私の心の襞になるのか
人生最大の苦渋で生きるのがいやなほどの経験を封筒に託して手渡し涙した。来月はこの徹は踏まぬ。
もちろん明日からの週末はない。
コリャ!我が事務所の守り神たる越の寒梅かえせ!
職人さんの世界はこうでなくっちゃ〜と臍をかむ。
ワン・クリック
http://blog.with2.net/link.php/34016
心と体は不即不離、心身一如といいかえられよう。ようするに究極は心のバランスでの健康の保持であろう。
これらの一つを極めれば、そこいらの易者張りの生き様に役に立つやも知れぬ。
わが子に名をつけるに当たり、画数とか強い音弱い音、何冊もの名のつけ方に関する著書を読んだ。
白雲幽石は大内兵衛の著書の随想集。長男の名はその中の漢詩をみ、原文に当たり、我流に読み替え過去の歴史上の人物を調べ名ずけた。
産科医院の退院ギリギリ役所への届出も含めてどうにかの滑り込みで子に名がつき事なきをえた。
名で身を立てる職種はいろいろあるが博識の達人たる作家は我がペンネームには熱い思いがこもっているハズと、思っていたが、どうもすべてがそうでもないらしい。
どちらかといえば手軽にユーモア感覚で付けたものも多い。
直木賞は菊池寛が文筆家の生活困窮と友情から定めたものと記憶している。
芥川賞はスッキリ理解できるが直木賞?誰でフル・ネーム、作品は・・となってしまうのが常人のはず。
三十三が最初の名。年齢であった。三十五才でこれでよいか。と落ち着いた。直木三十五の誕生秘話の本人の弁を読んだことがある。前に書いた三島由紀夫の富士の宿での編集者が決めた語りのようである。
資金繰りに.苦しんでいる状況を自らが生み出し、財布に二枚の札をありがたくおしいただく。
新五千円札の女性初のお札の日銀券の肖像の樋口一葉。本名は奈津で夏子とも書く
一葉はペンネームで、達磨大師が一枚の葦の葉に乗ってインドから中国に渡ったという伝説にちなんだものと地元紙で読んだ。
一葉は二十四年の短い生涯を借金から借金で過ごした。
大師は壁に向かって九年の厳しい座禅で、手も足もないような姿になったという言い伝えも残る。
そこで大師のように「私もおあしがない(お金がない)」としゃれたわけだ。
シーガイヤまえにある、一葉うどんを現地の地名、一ッ葉(ひとつば)うどんとは私はどうしても読めない。
いちよううどんである。四国風で営業方針は三角茶屋方式のセルフで美人ママさんのせいか値段の割りにはうまさを提供してくれる。いでたちもこのようであったのであろうか。
もう一枚は夏目漱石の旧千円札でいまだ宮崎の地では多く出回っている。
漱石は、本名は金之助。中国・晋の時代、詩人孫楚の漱石枕流の故事が由来。
「石に枕し流れに漱(くちすす)がん」と言うべきを、
「石に漱ぎ流れに枕す」と言ってしまったが孫楚は誤りを認めない。
「流れに枕するのは俗世の言に汚れた耳を洗うためであり、石に漱ぐのは俗人にかみつく
歯を磨くためだ」と強弁。誰かに似て凄き頑固者、漱石は偏屈者という意味のペンネーム。
明治期の文語調から言文一致の現代文にした二葉亭四迷。
文士志望を知った父に「くたばってしまえ」と怒鳴られたのを、そのまま使った。なお、本名は長谷川辰之助これでは目立たない。。
迷惑をかけてるが私自身の給料は出そうもない。
国民金融公庫通称コッキンにいった。限りなき好意を受けての面談。
一昨日の財団はじつに大らかであったが流石にお役所の銀行で手厳しい。
宮銀○口さんは経営のあり方まで含め懇切丁寧な指導でずいぶんと違う
NHKラジオでのジャズを解説するイガイヤイガイの藤岡琢也と同じ姓で優しき言葉の中に刺す言葉を含んでいる。
給料が出てないなどとのところを読まれたらおそらくアウトになろう。この稿を担当さん読んでたら片目読みにしてください!
貧すれば鈍すまだまだ恥を矜持し、気高く武士は食わねど・・で生きて生きたい。
ロンドンの下町の貧乏育ちがペ〜ソス溢れた名優名監督のチャップリンとなった如く人生の肥やしとしたい。;「町の灯」だったか、年老いた男が盲目のバレリ−ナに微笑みささやく。
;「人生は素晴らしい、大事なのは勇気と感動である。」
どん底で人間の表裏が見えてくるのは私の心の襞になるのか
人生最大の苦渋で生きるのがいやなほどの経験を封筒に託して手渡し涙した。来月はこの徹は踏まぬ。
もちろん明日からの週末はない。
コリャ!我が事務所の守り神たる越の寒梅かえせ!
職人さんの世界はこうでなくっちゃ〜と臍をかむ。
ワン・クリック
http://blog.with2.net/link.php/34016
コメント