消えた日記の思い出し。
2005年4月17日消えた日記を追い求めての無駄な時間を過ごした。なんか思い出し書くのも不思議な気持ち。これも何度目かわからぬ。
自分の時間が持てない。来客は25時過ぎに帰っていきパソコンの前の与えられた時間は僅かしかない、
明日提出予定の国民金融公庫の書類をこれから作らねばならなず、完全徹夜であろう。
それに以前から読ませていただいてたナッキーさんの日記の過去記事の拾い読みがいけない。
スン〜ゴイ時間を消化。実に自分の意思に反するときが流れた一日。昼間もそうであった。100KM以北の延岡からお出ましの方から携帯。午後13時から16時過ぎまで私の忌み嫌うネットワーク・ビジネスの話。
「市民会館に来てくれ!合わせたい人がいる。」
なんてエ〜ことはない昔でいうネズミ講のビジネスではないか。
8人目には日本の人口を超えるまさにネズミ算でそれ以上は増え得ない。よって泣き寝入りの被害者に代わる。
貧乏はしてても武士は食わねどと心持は恥の文化で高きものを矜持してるつもり。
つき合いゆえ仕方なく最後までいたわけである。水の改善の機械で33万円もする。何人かを集めればタダになり、凄き利益が手に入るそうである。
主催者は隣県大分のアナウンサー・なんか地位利用ジャン!
30数年の煩いの不眠症が不思議なる漢方の力で快報に向かい無睡眠症はない。
よってコーヒーも利用し無理強いに起きている。
漢字では珈琲と書きカフェ。なんかパリ・カルチェラタン風でヨーロッパの香りがする。もし可否と古い表記書いた人は相当の通人
言文一致で「墨東綺譚」の永井荷風はそう記しその中での。
コーヒー論が面白い。
「熱いのを喫するのが本当で、氷で冷却すれば香気は全く消え失せてしまう」
その荷風を獅子文六が小説「可否道」で皮肉る。「
「永井荷風なぞはコーヒーに山盛り五ハイぐらいの砂糖を入れたというから、コーヒー・インテリとしては下の部であろう」
嗜好品たるものであり、まっさか喫茶店が完全禁煙の世相ではその本筋がわかっていない邪道である。紫煙はつき物。オユルシアレ!
一日に一杯、毎日飲む人の肝がん発生率は、飲まない人の約半分とのデーターを厚生省が示した。
心理的な効果にとどまらず、肝臓にもなにがしかの効能があるようだ。
かってこのように味覚論を書いた。
コミュニュケーションの速さはゆったりと進むべき幼児期にどのような人間形成をさせていようことか。
8割が視覚で入ってきていると言う。他は2割と言うことになる。
五感たる目・耳・触・味・臭・のアンバランスの進展。
触覚の低下は人間関係にも及ぼしている。
触れ合う遊びはテレビ・ゲームに象徴されるものに置き換えられ、おしくらまんじゅう、や、ながうまなどのふれあいはない。
集まった人数が足りないとライトに打ったらアウト!なる特別ルールを作る知恵もない。特別ルールでの草野球もない。
青少年白書での友達とはの問いかけに
「最も配慮する人」となる。わたしどもがいかにアナログな古典的なる友たる「安心」はそこに基準はない。
激辛はせんべいやスナック類にも及び味覚障害者の蔓延化である。
ゆっくりお茶を楽しむ余裕はいろんな条件から奪われている。
なお獅子文六『可否道』は、茶道と同じように、「珈琲道」もあっていいじゃないかと、解く。
ヨーロッパにコーヒーが伝わったのは古いが、、広まったのは17,18世紀。バッハの『コーヒー・カンタータ』で窺い知れる。
コーヒー好きの娘と、なんとかコーヒーをやめさせようとする父親とのユーモラスなやりとりの名曲のカンタータ。
ベートーベンも大のコーヒー好き。いつもコーヒー豆を数えて挽いていたほどだと言う。
実にほほえましいではないか。
私のミルの豆の数もここに由来する。
何個ですって?60個、60粒。
ここまでを復活してみたがなんか違ってきてるのでヤメヨット。
コーヒーの味がさめ、香りの賞味期限が切れそうでコーヒーに失礼である。
ワン・クリック
http://blog.with2.net/link.php/34016
自分の時間が持てない。来客は25時過ぎに帰っていきパソコンの前の与えられた時間は僅かしかない、
明日提出予定の国民金融公庫の書類をこれから作らねばならなず、完全徹夜であろう。
それに以前から読ませていただいてたナッキーさんの日記の過去記事の拾い読みがいけない。
スン〜ゴイ時間を消化。実に自分の意思に反するときが流れた一日。昼間もそうであった。100KM以北の延岡からお出ましの方から携帯。午後13時から16時過ぎまで私の忌み嫌うネットワーク・ビジネスの話。
「市民会館に来てくれ!合わせたい人がいる。」
なんてエ〜ことはない昔でいうネズミ講のビジネスではないか。
8人目には日本の人口を超えるまさにネズミ算でそれ以上は増え得ない。よって泣き寝入りの被害者に代わる。
貧乏はしてても武士は食わねどと心持は恥の文化で高きものを矜持してるつもり。
つき合いゆえ仕方なく最後までいたわけである。水の改善の機械で33万円もする。何人かを集めればタダになり、凄き利益が手に入るそうである。
主催者は隣県大分のアナウンサー・なんか地位利用ジャン!
30数年の煩いの不眠症が不思議なる漢方の力で快報に向かい無睡眠症はない。
よってコーヒーも利用し無理強いに起きている。
漢字では珈琲と書きカフェ。なんかパリ・カルチェラタン風でヨーロッパの香りがする。もし可否と古い表記書いた人は相当の通人
言文一致で「墨東綺譚」の永井荷風はそう記しその中での。
コーヒー論が面白い。
「熱いのを喫するのが本当で、氷で冷却すれば香気は全く消え失せてしまう」
その荷風を獅子文六が小説「可否道」で皮肉る。「
「永井荷風なぞはコーヒーに山盛り五ハイぐらいの砂糖を入れたというから、コーヒー・インテリとしては下の部であろう」
嗜好品たるものであり、まっさか喫茶店が完全禁煙の世相ではその本筋がわかっていない邪道である。紫煙はつき物。オユルシアレ!
一日に一杯、毎日飲む人の肝がん発生率は、飲まない人の約半分とのデーターを厚生省が示した。
心理的な効果にとどまらず、肝臓にもなにがしかの効能があるようだ。
かってこのように味覚論を書いた。
コミュニュケーションの速さはゆったりと進むべき幼児期にどのような人間形成をさせていようことか。
8割が視覚で入ってきていると言う。他は2割と言うことになる。
五感たる目・耳・触・味・臭・のアンバランスの進展。
触覚の低下は人間関係にも及ぼしている。
触れ合う遊びはテレビ・ゲームに象徴されるものに置き換えられ、おしくらまんじゅう、や、ながうまなどのふれあいはない。
集まった人数が足りないとライトに打ったらアウト!なる特別ルールを作る知恵もない。特別ルールでの草野球もない。
青少年白書での友達とはの問いかけに
「最も配慮する人」となる。わたしどもがいかにアナログな古典的なる友たる「安心」はそこに基準はない。
激辛はせんべいやスナック類にも及び味覚障害者の蔓延化である。
ゆっくりお茶を楽しむ余裕はいろんな条件から奪われている。
なお獅子文六『可否道』は、茶道と同じように、「珈琲道」もあっていいじゃないかと、解く。
ヨーロッパにコーヒーが伝わったのは古いが、、広まったのは17,18世紀。バッハの『コーヒー・カンタータ』で窺い知れる。
コーヒー好きの娘と、なんとかコーヒーをやめさせようとする父親とのユーモラスなやりとりの名曲のカンタータ。
ベートーベンも大のコーヒー好き。いつもコーヒー豆を数えて挽いていたほどだと言う。
実にほほえましいではないか。
私のミルの豆の数もここに由来する。
何個ですって?60個、60粒。
ここまでを復活してみたがなんか違ってきてるのでヤメヨット。
コーヒーの味がさめ、香りの賞味期限が切れそうでコーヒーに失礼である。
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