筑後の国 ?

2005年4月21日
筑後川総合開発計画にかぎらず全国のダム見直しはエネルギー問題として見直されている。
エコロジーとか環境問題は日常語であるがこの70年代はその視点はなく、この人をして私見ながら嚆矢とする。その先見性は偉大なり室原知幸。
昭和の南方熊楠+田中正造+エコロジー
47年1月 松原ダム試験湛水完了
    3月 下筌ダム試験湛水完了

その堤体は国道でそこを咽んで助手席で密かなる嗚咽。
このころの私は三池炭鉱のホッパーにいて、さらに大隈の原油基地化の現場を往復して参加してない。
石牟礼礼子の水俣もである。
エネルギー問題としてでなく日本の行く末の労働問題に依拠した社会改革者の気概である。
いずれにしろエネルギー問題としての今日的環境問題は思慮にない。
公権と私権、マスコミ、風評被害はいずれも私個人のライフワークでもある。

まだつかない福岡。読むのも疲れるが私も疲れた。落語黄金餅、幾代餅、関西のらくだの弔いの場面の如くである。

小泉はASEANNの会議に出かけたが主に中国の主席会談の行方が気になる。
ロシアプーチンとの会談も近い。

日田はその北方領土を決めた川路聖謨の生誕の地。
今から約130年前の1855年(安政元年)択捉島とウルップ島の間に日露両国の境界を定めた日露通好(和親)条約が締結された
北方領土というのは、歯舞諸島、色丹島、国後島、択捉島の島々。
 北海道の東にある小さな島々?。
 北方領土の総面積は、4,996km2で宮崎県の面積(6,684.km22)と比べてください!
その中で最も大きい択捉島は、3,139km2で、日本一大きい村、十津川村(669km2)の4.7倍。
 このわが国の固有の領土である北方領土は、第2次世界大戦後、ソ連に占拠されたままで、日本はその返還を強くソ連に要求。
 第2次世界大戦後約17,000人もの人々が、長年住み慣れた北方の島々から、わずかな身の回り品をもって強制的に引き揚げさせられた。 自分たちの故郷へ自由に帰れない苦しみは、はかり知れなかろう。まだ福岡西区には着かないが、ここんとこの地震でトラブっているゆえか。?

鉄腕アトムの世界たる都市高速網の福重インターからおれるとすぐ右に曲がり二つ目を左に中華料理専門店の五福がある。
どうみても私どもではお昼の日替わりランチ800円ではないか。
それがどうにも凄すぎるメニュー
・卓料理(8品コース)お一人様3,150円〜 ではないかいな。
「なんぶすっとじゃろかい?」
「あごが落ちるごつ,ウメかった。」
帰りの食後の感想評である。
それがあのような美味いものではてんで予測がつかぬ。
「2000円?」
「それはなかろう。ふかひれスープ、ピラフでさえオイルひとつ違う。」「3000円?」
「あの食後のサクラ・アイスの季節感!」
「4000円?」
レベルひく〜イ〜
単品メニュー牛肉とピーマンの細切り炒め1,680円、焼売、海老蒸し餃子
こリャ〜!うまいもん食って気をつけろ!実に役得。
西区のご自宅に着く前に何してる!

太陽光発電4KWの承認をいただいた。

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