5月10日の日記

2005年5月10日
先ほど2時過ぎに無罪放免、流石に明日の仕事を考えると日記の時間が怖い。エェツ!昨日と一字一句も違わない!ですって!ほんと?
その通りです。まったく多忙なる時間の流れ。ほとんど営業の仕事ができづの毎日だ。なぜこの時間から日記を取り組むのか。ひたすらな優しさ!わたしはそう位置づけている。
たしかにこの時間では意識の高揚が異常なる環境やも知れぬ。
今日も言われた、「日記にかいちょるじゃネェか!」
どうにも心の吐露の日記の公開は私の経験では負の部分が多いほうに使われてるようである。
何もないときはまったく話題にも上らない。
何かあったときにのみ引用されてる嫌いがある。
私自身もそうで、常識なしの無断リンクや、かってな強引な書き込みなど無礼さには枚挙に暇がない。
しかし私はこの厳しき環境でさえ全てとは言わないが自分を見つめるために全て書く。
筒井順教のほらが峠を決め込む愚はしない。
真実の吐露を書かずして無意味な作業に過ぎぬ。もちろん個人的に迷惑がかからないような配慮はあるつもりだ。
個人保護法が施行された法事国家でもある。また独特のマナーの世界。どうにも息苦しい私ども団塊の世代。
たかが日記、されど日記である。止められていった方々を知っているが執拗なる邪魔に耐えられづの方もおられた。
自己保全はそれしかないし、それでいいんではなかろうか。
卑怯にいきてるより、全て心うちを公開して何が悪かろう。時代である。名刺にも堂々と日記のアドレスを書こうと思う。
アポなしで強引にやってこられる御仁がおられるがその傲慢さは私にはない。それぞれ理由付けはなされる。
オベンチャラも誤魔化しもない真剣勝負。それでいいではないか。タダ心のそこにある親と子、師匠と子弟の関係はきろうにも切れず魂として残る。それが大和人。謙譲の美徳。
大衆文化たる、講談、浪曲の芸術の世界。義理人情の世界のお話となるし、その気持ちは矜持しよう。それが人と獣の唯一の違い。人の道である。この道は踏み外せない。如何様にあろうとも。かなり、ギリギリのことでもあろう。
福岡の工事が万事休す。明日からの僅かの時間での中、挽回にかかってるがさ〜てどうなるものやら。
情報化社会で公開してるゆえ、このことさえかえって難しくなる。
メールを開いてみるとまたもや、わたしにかけられた戒め。自重しなさい。である。
忙しすぎても日記を書いてる人々。武者小路実篤ではないが正直な人とも私はみる。その分寸暇を惜しんで努力してるもの。
今に社会的評価が分かれるものになるのやも知れぬ。
いい天気ですな〜に変わり、なんか書いたな〜になるやも知れぬ。
相当の努力と堅き意志がいるのだが、眠い!よかった睡魔さまさまがおいでなさった。安眠が取れる喜び。つかの間の睡眠となるや否や。

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